夏のコントラスト

 
    先週友人に誘われて、奈良の花火大会に行ってきた。
    そんなに大規模ではないらしく、ほぼ地元のひとばかりのような雰囲気であった。地元人ぶりながら、クレープの屋台に並んだ。いちごクレープを注文したので、そのつもりで食べたら、なぜかパインだった。甘いモードになってしまっていた舌が、酸っぱいを感知した。何事かと思った。おいしかった。
    京都に来てからははじめての花火大会だった。札幌にいたころは高1からの4年間毎年、豊平川での花火大会へ行っていた。そしてあらためて、花火はよいものだなあ、と思った。
    星が幾つかしかない空を、ひとの顔もよくみえない暗闇を、ぱっと照らしては、すぐに消えてゆく。なんの未練もないように。
    単色で単発に打ち上げられるものを見ると特にそうなのだけれど、どうしても、花火を見ると、戦争のことを思う。むかし人びとはこの音の中で、この火に焼かれたのだ。ほかにも私は、金一色の、短冊みたいにきらきらと降るあのしずかな星空のような花火が好きなのだけれど、あれを見るときには、空襲で焼かれる町はこんなかんじだったのかな、などと想像してしまう。焼夷弾のように見えるのだ。
    小学生のころ、テレビで見た戦争のドラマがあまりにも怖くて、ひとりで外出できなくなったことがあった。ゆらめきながら降ってくる金色の火の粉を、うつくしいと、ロマンチックに浸れる私たちは幸福である。
    夏には生と死の匂いが付き纏う。
    8月6日、8月9日、8月15日。たとえば戦争のことを振り返るのはいつも夏だ。ひとが生きるとうとさを思う。お盆もそう。会ったこともないご先祖さまのお墓参りへ行って、先人たちが生きてきたことや自分がいま生きていることを思う。帰省をしてひさしぶりに親戚と会うときにも、いつまでこうして会えるか、などとかんがえる。死を思いながら生を思う。その逆も然り。
    また、夏は、ぶっちぎりで明るい季節でもある。
    太陽。あざやかな花。日の長さ。丈の短いワンピース。気持ちがはしゃいで、早まって、人びとはどこか解放感に浮き足立っていて。街はずっと落ちつかない。けれどやがて盛りを過ぎてゆく。花は枯れる。
    生と死、明と暗。そのコントラストが、夏はほかの季節よりも強いのではないか。だからきっと夏はこんなにも特別だ。
    平均寿命まで生きると仮定すると、私にはあと60回ほどの夏がくる。あと60回しかこない。蝉の声を聞いて、強い陽射しのもとを歩いて、きゅうりの一本漬をたべて、麦わら帽子をかぶって。そんな夏はあと60回しかこない。
    いつまでも大げさに青空を仰ぎたいな。太陽に眩みながら。いまが始まりみたいな気持ちで。
    あと60回しかない夏をいつもきちんとみつめよう。いつも好きなひとたちと駆け抜けよう。
    あの花火大会のことを私はおそらく、60年後も覚えている。覚えていて、60年後の60年前のその日のことを、強い生の記憶としてきっと思い出している。
    生きていたい。
 
 
 
 
 
 

少女時代のこと

 
    先日私は、毎日電子文通をしている七年来の友人から「永遠の少女マニア」との称号を与えられた。
    その永遠の少女マニアは先週、はじめて行った古書店で、宮迫千鶴さんの『超少女へ』という本をたまたまみつけて、げっとしてきた。これが素晴らしい出会いであった。本には呼ばれるものである、と誰かが言っていたがまさにこのこと、と、久しぶりに思った。
    少女に憧れる身としてはやはり単純に、この『超少女へ』という題に惹かれたのだった。とりあえずページをぱらぱらめくって内容をみてみる、くらいのつもりであったはずのこの手はもう、その本を離さなかった。
    帰宅して、読んでいたら、涙が出た。想像していた内容とはやや違っていて、けれど、やや違っていたその内容がとてもよかった。
    「1. 少女へのタイムトラベル」の章には、「あ、あ、あ、」と、自分のむかしのことを思い出さされたり、そっかみんなそうなんだな、と心強く思わされたりした。なかまができた気がした。また、私は「少年的少女」ではなかったし「少女的少女」でもなかった気がするな、それならなんなのかな、とかんがえたりもした(まだよくわからない)。
    2. 3.以降の作品解釈は「男性原理」「女性原理」を軸として書かれていた。世の中って人間って、そうだったのか、と思った。
    フェミニズムについて書いているわけではないし、男性原理と女性原理から作品を読み解くことが、この本の目的なのではない。その軸は、作者自身のこれまでの人生や自分自身の謎について解き明かすための、ひとつの手段に過ぎない。
    「どんなできごと」から出発してこれらが書かれているかは、読んでみてください。その核心については、ここには書かない。
 
    今年度の私の目標は「人生総決算」であった。これから生きていくにあたり、私は自分の少女時代について思い出さなければならない。当時の自分の感情を辿り直してみなければならないし、考えてみなければならない、分析してみなければならない。それはあまりしたくないことだ。おそらくみんなそれぞれに、そういうものはあると思う。私はまあ別に大したことじゃないんだけど、って、そう思うその理由を考えたいし分析したいのだ。
    この本の著者の宮迫千鶴さんは、どれほどの感情や葛藤を乗り越えて、『超少女へ』を書かれたのであろうか。想像すると胸が痛む。
    私が「じぶん」を辿り直すことで、また、なぜじぶんはここに至ったのかを考えることで、傷つくひとはいるだろうか。いるだろうな。ある出来事や原因をみつけたなら(といっても、人間はそんなに単純ではない。ひとりの人間という布を織ったその糸同士は複雑に絡み合い、毛糸の塊のようになっている。「ひとつの出来事」だけを取り上げてそれを「原因」と定めるのは、その毛糸玉の糸を一本一本ていねいにほどいていくという本来なされるべき過程や工程をすっ飛ばしてえいやと鋏で切断して糸をばらけさせ、無理やり解決したことにするような、そんなふうに乱雑なことだと思う)、その出来事や原因にはそれを「起こしたひと」があるのであるから、そこに責任を置くことになってしまうのではないか。私はそのひとのせいにしたいわけではないし、きっとそのひとのせいでもないのだ。でもそれをしないと私は、生きてゆけない気がする。
    しかしながら、そのような葛藤をどうにか乗り越え自分なりに考えたり分析して出した答えも、それをどこにも書かずじぶんの中に留めておいたならば、だれも傷つかずに済むはずなのだ。だれの目にも本人の目にもとまらないのなら、知ることがないのだから。ならばなぜ書きたいのか。
    「書くこと」のむずかしさに、今さらながら直面している。ひとに読まれる前提で文を書くようになったのはここ2,3ヶ月のことなので許してほしいと甘えたい。どこまで書いてよくて。どこまで書けて。それは自分の技量だとかの問題だけではない(もちろんあるけど)。最大多数の最大幸福、というやつだろうか。それで許してよいのだろうか。
    宮迫千鶴さんもあとがきで、「解釈する者は、解釈されるべきである。それが私たち人間の文化における自由ではないか。だが、私は私自身の過去を、言葉によってテキスト化したことに、ある種のためらいをおぼえている。というのはこれこそ私小説的理由なのだが、私は、私の生母、義母、祖母といった言葉を持たぬ人々に、言葉の暴力をふるっている。むろん私は私の力のおよぶかぎり、言葉の暴力的側面を骨抜きにしたつもりであるが、言葉はつねに何かを限定する以上、暴力的であることは避けられない(私はだから絵が好きだ。絵は世界を分割しない。曖昧で、矛盾だらけの怒りと悲しみを、そのまま視覚化する)。」と書かれている。
    うーん。よくわからなくなってきた。
    私はまずかんがえて分析するところからはじめて、その後のことはそのとき考えよう。
 
    先ほど、同じく「永遠の少女マニア」の同志である友人に「いい本げっとした」とじまんしたら、「かつて君も少女だった」と感慨深げに言われた。しかし私はまだ少女のつもりであるよ。えっむりですか?
    こころはいつまでも少女でありたい。
    私はまだ真珠の涙を流せるか。
    風になびく髪から星くずはこぼれるのか。
    私にとっての少女の定義のひとつはそこにある。
 
    いつか「あなた」に伝わるかもしれない、と思うと、やはり書きたくなってしまう。
 
 
 
 

星拾い

 
    なにも言えない。なにも書けない。みたいなところで立ち止まってしまう。これすら言いたくないし書きたくない。なにも言えない。なにも書けない。
 
    「何も言えなくなるなんてバカなあやまち」をしてしまうのは、ありとあらゆる種類の言葉を知らないからなのだろうな。わたしの場合においては。知らないわたしが、ありとあらゆる種類のそれを知る過程に、いまあるからなのだろう。
    膨大な言葉の世界に溺れて、何も掴めない。
    「世界にはわたしの知らないありとあらゆる種類の言葉がある」ことはわかっている、ということだけが、せめてもの救いか。
    もうすこしゆけたら、進めたら、なにか見えるのかな。掴めるのかな。そう信じたい。
 
    刺すような八月と焦燥。
    天の川が見たいな。北海道の真ん中で。
    この視界が360度ではないことを恨むほどの星空に圧倒されて、夏の大三角、オリオン座。星は読むものであると知った2年前のその日、ことばというもののひとつひとつーそれは夜空に散らばった銀色のビーズのようでありますーを、拾う旅に出かけました。北の真夏の11度の世界。ここはどこでしょうか。わたしはいまだ帰れません。
    
 
 
 
 

保健室でねむる

 

 「おなかいたい」とは、人間の発するあらゆる弱音のなかで一番かわいいものだと思う。

 きのうの私は、とてもおなかが痛かった。

 そして冒頭に書いたことをここでいきなり覆すけれども、きのうのその「おなかいたい」は、「かわいい」なんて生易しいものではなかった。

 大学に着いてから、痛くて痛くてたまらなくなって、寒気がしてきて、やがて変な汗が出た。この暑いなか、カーディガンを着こんだ。冬物で、真っ赤だった。暑かった。でも寒かった。なんだよどっちだよ。呼吸するのも苦しい。もう歩けなかった。ベンチに座って、動けなかった。ジョー。家に帰ろうにも動けない。痛み止めは持ってき忘れてしまっていた。痛いと私はブチャくなる。あのCMを見るたび、ブチャくなっても高畑充月ちゃんは絶対かわいいよなと思う。ただブチャくなっただけの私は這うように保健室へ行った。

 自動ドアが開いた瞬間、安心して泣きそうになる。「くすりを…ください…」受け付けのおねえさんに話す。こういうとき、ひとはつい具合悪そうな素振りをしてしまうものだ。けれどこのときの私は純度100%で具合が悪かった。椅子に座ってくすりを待つあいだ、あらゆる罪を神に懺悔する。このあいだなすを一本腐らせた、ごめんなさい。レポートまだ終わってない、ごめんなさい。身の危険が迫った人間は神にすがりがちだ。普段からきちんと生きとけよなって、神の声が聞こえる。それな。もう一度懺悔する。

 5分ほど経って、ロキソニンをもらった。

 「家に帰ろうにも動けなくてここに寄ったんです、」と、そのおねえさんに話したら、「大丈夫?薬が効くまでここですこし寝ていってもいいんだよ」と言ってくれた。天使。おことばに甘えて、「静養室」で横になった。

 小中高校と、保健室へはあまり行ったことがなかった。最後に保健室で寝たのは高校一年生のときに、築半世紀のぼろぼろ体育館の雨漏りのせいで滑って転んで頭を打ったときだ。その前は、もう覚えていない。体はずっと丈夫だったのだ(こう見えても中高6年間陸上部員、北海道8位入賞したんだぜ)。

 ベッドに横になったら、「おだいじに」とおねえさんが微笑みをくれた。本日2度目の、天使との出会い。また泣きそうになった。絶望的な気分だったけれどすこし楽になった。笑顔っていいものだ。私もたくさん笑って天使になろう。ふとんのなかでまるくなる。保健室っていいな、と思った。

 薬が効くまでしばらく耐える。とにかく耐える。耐えながらも、つぎの日記には何を書こうとか、書きかけの10件をどう書いていこうとか、このことも書こう、とか、そんなことをかんがえていた。大学に入ってから書かなくなってしまったけれど、小中高までは文を書くことが好きだったから、私はやはりその星のもとに生まれてきたのかもしれない。

 気がついたら眠っていた。

 

 「17時で閉室なんです~」と、カーテン越しに声をかけられて起きた。薬が効くまでどころか2時間も眠っていたらしい。

 腹痛はもうずいぶんましだった。保健室を出たら、夕方で、いくぶん湿度はやわらいでいて。夢ごこちで自転車に乗った。みちたりたような気持ちだった。

 保健室っていいな、と思った。

 それはきっと、「調子が悪いことを当たり前に受け入れてくれる場所」だからだ。「大丈夫?」「おだいじに」と声をかけてもらえるからだ。

 私はずっとそう言って欲しかった。調子悪くていいと思わせて欲しかった。

 

 つらいって言っていいんだよ。調子悪いって言っていいんだよ。人のせいにしてもいい。責任をよそに置いてきてもいい。

 あなたは何も言えないから、すべて自分のせいにするから、つらいと感じることさえ自分に許さないから、そんなに苦しいんだ。

 「みんな大変なんだよ」とか、「人のせいにするな」とか迫害してくる人間は、その人がそういう奴だからなんだ。あなたはそうじゃない。自分をゆるすことができない人間に必要なのは自分をゆるすことだ。人のせいにすることだ。つらいんだと思うことをゆるすことだ。あなたの苦しみはあなたのもの。誰にも邪魔はできない。邪魔する人間は、私が刺す。

 16年経ってようやく自分に対してそう思うことをゆるせるようになったので、私はだいぶ生きやすくなった。

 人の苦しみを尊重しましょう。理解はしなくてよいのです。できないから。「そのきもちわかるよ」なんて、安易に言うべきじゃない。「わたしにはあなたの苦しみをわかることができない」と言えることは、相手を尊重することだ。「わからないけれど、そこに苦しみがあるということはわかるよ」という姿勢こそが大事なのだ。ただ、尊重しましょう。そこにあるのだ、と認めてあげましょう。それだけでいい、それがいい。私は絶対に、「わかる」とは言いたくないし、否定もしたくない。

 「おなかいたい」はかわいい弱音だけれど(きのうはかわいくなかった)、かわいくない弱音は、たくさんある。どうして世の中は、「みんなつらいんだからお前もがまんしろ」となるのだろうな。「みんなつらいんだからみんながみんなに優しくしよう」が正しいんじゃないか。「気分が良くなるまでここですこし寝ていていいんだよ」と言い合える余裕があって欲しいよね。

 保健室みたいな世の中になればいい。

 

 

 あまりにみちたりた気持ちになったので、きょうの分のテスト勉強をしなかった。これは自分のせい。神にまじ懺悔。

 

 

 

 

恋のまたの名は

 

 いつも花にばかり目が行ってしまうから、外を出歩くたび危機一髪が起こる。と、「花ある君」に先日書いた。私が見てしまうのは、花ばかりではなくて、空もだった。

 家の玄関を出たら、まず空を見上げる癖が私にはある。

 自転車をこいでいても見上げながら、飛行機の数をかぞえる。ひとつ、むこうにふたつ、みっつ、と。そのせいで電柱にぶつかりそうになったり、ぐらりと車体が傾いたりする。それでもなかなかやめられない。伊丹空港関西空港が近くにあるせいか、飛行場のないはずの京都の上空にも、頻繁に飛行機が飛んでいる。私の通う大学のキャンパスの広場を歩いていても、空がとても広いから、それらをみつけることは容易である。探せない日は、なんだか物足りない。もちろん空は、大体の人がそうであるように私も小さなころから好きだったけれども、こんなにも飛行機を数えたりするようになったのはずいぶん大きくなってからのことだ。

 なぜこうなったのかな、とかんがえたら、思い当たることがあった。

 むかし好きだったひとが空の仕事をしていたのだった。それで、つい私も見上げる癖がついてしまった。すーっと飛んでゆく、青によく映えた真っ白で鮮やかな飛行機を見るとうれしくなる。背すじの伸びる思いがする。

 意識に上がらないほどのところで、そういうできごとは私の中に生きている。 

 そのひとが遠くへ転勤していくとき、私は、その行き先の出身であってそこに記念館も建っている文豪の話を、何度かした。むこうとしてはあまり興味がなかっただろうけれども、この詩とこの詩が好きで、などと話した。その文豪の名前を聞くたびに胸をかすめる何かが、そのひとがそこへ行ったあとにも残るように。私のことを少しでも思い出してもらえるように。内気で何も言えない私にも、そういう狡猾さだけはあった。自分が好きなものの話はたくさんしよう、と、そのときから意識している。

 思い出してもらえているかどうかはわからない。あの話はもう忘れられてしまっているかもしれない。またどこかへ転勤していっているような気もする。それでもすこしでも、私が無意識に空を見上げるのと同じような感覚で、そのひとのなかに私が残っていたらいいな、とは今でも思う。

 見たことがなくて、形なんかなくて、色もなくて、匂いもなくて、そんな恋のまたの名はやはりおばけなのかもしれない。私の中にしのびこんで、ひっそりと、時々、おどろかせるように現れたり、空を見上げさせたりする。あれはおばけのしわざだったのだ。形でもなく色でもなく匂いでもなく、あの「恋」だけが私の中に残っている。

 だれかのおばけがしのびこんだことで、知らないうちに、癖や、話し方などがつくられることは時々ある。そんな風にひとはだれかの中に生きている。私の中にもだれかが生きていて、それに気がつくことはなんだかむずかゆくて、嬉しい。

 

 

恋を見たことある?

ない 恋人ならあるけど

恋はどんな形をしていると思う?

形なんかないよ

じゃあ 色は?

色もない

匂いは?

匂いもない

じゃ おばけだね

そう 恋のまたの名はおばけだよ

ドアをあけて眠りましょう

あなたのおばけ

恋がそっと入ってきてくれますように

寺山修司「小さな恋の物語」

花ある君

 
 梔子の花びらって、どんなかしら、と思っていた。
 梔子って、意志がある。あの造形。ほかの花より立体的に感じるのは、そのなにか意志のせいか。「わたしはこういうものとして生きています」という主張、意志。それゆえか、あの花びらは澄んだような白ではない。濃い白。ほかの何いろにも染まらない白。みずからにしか染まらない白。天使のような純白ではなくて。このほかの彩りを知らないのではなくて。ほかのなににも揺らされない。あらゆる彩りを取り入れたうえでの白。たとえば川端康成ノーベル文学賞受賞記念講演で「美しい日本の私」と題してかたったなかに、「色のない白は最も清らかであるとともに、最も多くの色を持っています」という一文がある。白にはやはり、あらゆる色が内包されているのだ。梔子のそれには、特にそう思わされる。
 であるなら、6月に道を歩いているとある日からかすめはじめる梔子のあの香りも、彼女たちからの、なにか主張のように思えてくる。
 きっとすこしかたい、との予想をもって、破らないように、こわさないように、よごさないように、そうっと、その花びらをつまんでみた。
 
 柔らかい。
 強さであるような、柔らかさ。
 
 ひらがなで「やわらかい」のではない。確固とした意志を持った、強度のある「柔らかい」。
 花びらは、しと、と、指先になじんだ。生気。その外見の潔癖さ・高潔さから、てっきり拒絶されるかと思っていたのに、また、私がふれたはずだったのに、彼女からしたわしげにふれられた気がした。「離さないで」「わたしを見ていて」と、語りかけられた気がした。どきっとした。あのはかなさと眼差しの強さ。梔子の時季ももうすぐ終わるのだ。
 花のようなひとになりたいといつも思う。花の似あうひとだとか。
 たとえば川端康成が「伊豆の踊子」(また川端さんを引用してしまった。わたしが川端作品が好きな理由がなんとなくわかってきた気もする)で、「それから彼女は花のように笑うのだった。花のように笑うと言う言葉が彼女にはほんとうだった。」と書いた、その彼女のような。あるいは島崎藤村の「初恋」の、
 
      まだあげ初めし前髪の
      林檎のもとに見えしとき
      前にさしたる花櫛の
      花ある君と思ひけり
 
その「花ある君」のような。精神性が外見に現れることで、そう見えるような。
 そのひとの美意識や人間像は、どんな花を好きなのかを知れば、みえてくるような気がする。どうだろうか。わたしなら何になりたいだろう。
  気がつけばここにはいつも花のことばかり書いてしまう。だってわたし、外に出れば花のことしか見ていないんだもの。植え込みに咲くそれらに見惚れて自転車を漕ぐものだから、毎日が危機一髪。でもそのかわりに、時の流れを感じることができる。きのうよりも花をつけたな、だとか、色が濃くなったな、だとか。ここのところのわたしの日課は、先日夏の花 - 一草一花で書いた、通学路の凌霄花百日紅と芙蓉と、あと名の知らない背の高い青い花と、民家の前に突然置かれている百合の花に毎日あいさつをすることである。
 花は、ただそこにあるだけで「美しい」と、「わたしもああなりたい」と、思わせてくれるからよい。あ。ちがうなあ。花はただそこにあるだけではないのだ。花は生きている。生きてみずから花を咲かせている。それぞれの色と、形と、匂いとを纏わせて。「これがじぶん」として生きている。梔子からは特に感じさせられる。その生がわたしたちに訴えかけてくるのだろう。
 わたしが花になるとしたら。
 ナンバーワンとかオンリーワンとか、そのどちらがいいだとか、どうでもいい。「じぶんの美しさ」をもって、凛と生きたいな。
 ああ、「耳につけたるイヤリングの花ある君と思ひけり」とか言われてみたい。
 
 ↓近所の大通沿いの梔子さんです。
 なんで花ってこんな美しい色とかたちに生まれるの。
 
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人生、それは「魔法的」な

 

大学生活最後の年に出会えた小沢健二さんの「魔法的」ライブ、そして これまでの人生で出会えたあなたへ、これから出会うあなたへ

 

 あなたに出会えたことで私の人生これまでが肯定された気がします。どうもありがとう。

 そうあなたに伝えたら、あなたもきっと「あなたのそのことばで私の人生これまでが肯定された気がします。どうもありがとう」とこたえるでしょう。

 糸と糸とが布を織るとは、こういうことなんだな。

 

 以下、小沢健二さんの歌詞(特に「ラブリー」とその他『LIFE』の曲、もちろん他の曲)と中島みゆきさんの「糸」を読んでいるとわかりやすい日記です。

 

 

 はじめに

 

 これまでの私にとって「ラブリー」は、「よくわかる歌」ではありませんでした。ただの恋愛の歌ではないとは思っていましたが、まあ恋愛なのかな、くらいの意識でした。けれど「魔法的」ライブで聞いてみて、「やっぱりただの恋愛の歌じゃないな」と気がつきました。そして帰りの電車の中でいろいろ考えました。

 「ラブリー」で歌われているのは、「恋愛の最中の歌」というよりも「ひととわかりあうこと」や「ひとと出会うこと」「仲よくなること」なのでしょうか?

 私がこれまでよくわかっていなかった歌詞は、「夜が深く長い時を越え」「冬の寒い日に 僕ら手を叩き 朝が来る光 わかりあってた!」「誰かの待つ歩道を歩いてく」の三箇所です。まずは、

 

LIFE IS A SHOW TIME すぐに分かるのさ

君と僕とは恋におちなくちゃ

夜が深く長い時を越え OH BABY

LOVELY LOVELY WAY 息を切らす

(「ラブリー」)

 

 ここでの「恋におちる」とは、「語りあう」とか「仲良くなる」「わかりあう」ということかなと思います。そしてこの「夜が深く長い時を越え」は、直前の「君と僕とは恋におちなくちゃ」か、直後の「LOVELY LOVELY WAY 息を切らす」か、どちらの文にかかるのか、と考えましたが、どちらにもかかるし、独立しているのでもある気がします。

 「夜が深く長い時」とは、もう明けないかと思われたような、深くて長い夜、そんな夜のことを指すように思います。そんな夜を、ちゃんと越えて、私は、生きてくることができた。そんな夜があって、そんな夜にあらゆることを感じて考えて生きてきた時間があったから、きっと同じようにあらゆることを感じて考えて生きてきたあなたと私は、仲よくなることができた。そうであるなら、「深くて長い夜」もあってよかったなと、思える気がします。

 「夜が深く長い時を越え」て生きてきた私たちは、君と話せばすぐに「恋におちなくちゃ」と直感してしまう。そして「LOVELY WAY」を、息を切らして走ってゆく。私とあなたが仲よくなれるのは、夜が深く長い時を越えてきたからなんですよね。

 次に、「冬の寒い日に 僕ら手を叩き 朝が来る光 わかりあってた!」。

 これは、「わかりあってた!」なんですね。ひととひとはおそらく、「わかりあう」ものです。けれどここでは、「わかりあってた!」なんですね。たしかに、「わかりあってた!」と気が付く瞬間は、あります。「つながってた!」というか、たとえば真逆の方向から同じ真ん中めざして進んでいたとか、真逆の方向に進んでいるけれど出発点は同じだったとか。これまでのそれぞれの人生の蓄積や、深く長い夜や。実は私たちは、どこかで「わかりあってた!」からこそ、「君と僕とは恋におちなくちゃ」と「すぐに分かる」のかもしれないです。

 そして「誰かの待つ歩道を歩いてく」とは、そんな「わかりあってた!」の瞬間や「いつか誰かと完全な恋におちる」ような美しい瞬間のために、その誰かと出会うために、人生を生きていく・歩いていく、ということなのですね。

 その歩道では、きっと誰かが、夜が深く長い時を越えながら待っている。私はそう信じている。「誰かが待っている」と確信しているこの歌詞は、すごい希望だなあ、と感じます。そうして出会ったのち、「君と僕とは外へ飛び出す」のです。

 といっても、ひとは、全然違うところで生きてきて、生きていて、ほんとうに相手を「わかる」ことはないのだろうと思います。それでも「わかりあってた!」とわかる瞬間は、ある。それはきっと思い過ごしでもなくて、ただ美しい瞬間です。

 

 さらにひととひととの関係といえば、私は中島みゆきさんの「糸」を思い出しました。

 「縦の糸はあなた 横の糸は私」。その糸と糸とが織りなすようすは、まさに「関係」そのものですよね。どちらかの糸だけでは、織ることができない。双方が意志をもって、縦の糸と横の糸が同じだけ織られるからこそ、ひとつになってゆける・仲よくなってゆけるし、どのような形・関係にも変化してゆける。横の糸である私は、私ひとりではただの糸であるけれど、縦の糸であるあなたと織られることで、布となることができる。そうしてできた関係、すなわち「織りなす布」は、「いつか誰かを暖めうるかもしれない」ものとなれる。この「いつか誰かを暖めうる」ということがどのようなことであるかについて具体的に挙げるのはむずかしいけれど、あなたと私の周りのひとも巻き込むことで新たな布ができあがるとか、そういうことかなと思います。

 「なぜめぐり逢うのか」も「いつめぐり逢うのか」も「私たちはいつも知らない」し、「こんな糸が何になるの」とふるえたりもするけれど、「誰かの待つ歩道を歩いて」「夜が深く長い時を越え」たらきっと、「完全な恋におち」てわかりあえたり、こんな私でも「誰かを暖めうる」ような関係を築き上げることができるのかもしれないな、と思いました。

 

 そうしたことを踏まえて、小沢健二さんの2ndアルバム『LIFE』についても考えました。このアルバムで1曲めから一貫して歌われているのは、「生きること」「ひとと生きること」「誰かが歩道で待っていると信じて歩いていくこと」ではないでしょうか。

 

家族や友人たちと並木道を歩くように曲がり角を曲がるように

僕らは何処へ行くのだろうかと何度も口に出してみたり

熱心に考え 深夜に恋人のことを思って 誰かのために祈るような

そんな気にもなるのかなんて考えたりするけど

(「愛し愛されて生きるのさ」)

 

 1曲め「愛し愛されて生きるのさ」で、「僕らは何処へ行くのだろうか」と問いかけています。

 歌詞のある曲のなかでは最後の曲である「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」でも、「Where do we go, hey now?」と問いかけています。「ねえ、ぼくたちどこへゆこう?」、と。

 『LIFE』の曲名はそれぞれ日本語ですが、それぞれにその英題がつけられています。

 歌詞のないほんとうの最後の曲「いちょう並木のセレナーデ(Reprise)」の英題は、「AND ON WE GO」とされています。このほかの曲は日本語の曲名とその英題がほぼ対応している(たとえば「愛し愛されて生きるのさ」は「LOVE IS WHAT WE NEED」であるし、「ラブリー」はそのまま「LOVELY」です)のに、「いちょう並木のセレナーデ(Reprise)」だけが対応していないのです。リプライズではないほうの「いちょう並木のセレナーデ」の英題は「STARDUST RENDEVOUS」であるけれど、歌詞に「星屑の中のランデブー」とあることから、それを用いているものと思われます。これはどういうことなのでしょうか?

     「AND ON WE GO」とは「AND WE GO ON」の倒置であって、「そしてぼくたちはつづいてゆく、次の場所へゆく」というような意味です。

 「僕らは何処へ行くのだろうか」「ねえ、ぼくたちどこへゆこう?」といった問いに対する答えは、ついにこのアルバムのなかに提示されません。「AND ON WE GO」「ぼくたちは次の場所へゆく」と、最後に暗示されているだけで、行く先は明示されません。このことが意味するのはきっと、「LIFE」すなわち人生には、向かうべき場所が予めあるのではなくて、「誰かの待つ歩道を歩いてく」ものなのである、ということなのでしょう。

 

いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて生きるのさ

それだけがただ僕らを悩める時にも未来の世界へ連れてく

(「愛し愛されて生きるのさ」)

 

 この箇所も、「未来の世界」で「誰もが誰か愛し愛されて生きる」予感があるから、「悩める時にも未来の世界へ」ゆけるのだ、ということなのではないでしょうか。それは「ラブリー」での「誰かの待つ歩道を歩いてく」と同じことであるように感じます。歩道の先には誰かが待っている、という予感があるから、わたしたちは歩いていける。歩いていく。このあたりの詞のすごいところは、「誰もが誰か愛し愛されて生きる」ことも「歩道の先に誰かが待っている」ことも、確信しているところです。

  いつか悲しみで胸がいっぱいでも、夜が深く長い時を越えて、誰かの待つ歩道を歩いていけば、誰かと完全な恋におちることもあるかもしれない。そうしたなら、LIFEはもうSHOW TIMEなのである。そこからLIFEは始まるのかもしれない。

 いや、きっと始まりなのではない。LIFEはただ、COMIN' BACKしただけなのだ。人生はほんとうは、いつだって美しい。こんなすてきな、甘くすてきな、機嫌無敵なデイズはいつまでも続いていく。誰かの待つ歩道を歩いてく。誰かが待っている、そんな予感がある。そこには誰かが待っていて、そうして出会えた君と僕とは恋におちるのだ。

 

LOVELY LOVELY WAY, CAN'T YOU SEE THE WAY?

IT'S A

(「ラブリー」)

 

 IT'S A、につづくことばは何でしょうか?LOVELY WAYなのだろうか?だとするとやはり、「LOVELY WAY」とは、「LIFE」のような気がします。

 

 小沢さんの詞が、身体感覚として、私に染みてくる。

 小沢さんの詞に、私の人生が沿うような瞬間があります。

 「あ、わかった」「こういうことなのかな」という、ぴんとくる瞬間。すっと自分のからだに流れこむ瞬間。これも糸と糸とが布を織るということなのかもしれないですね。縦の糸である小沢さんの詞だけがあってもそれは糸のままであって(私にとっては)、横の糸である受け取り手・私が、この詞ってこういうことなのかなだとか、私の人生を通して感じたり考えたりすることで、その詞と私との布ができあがっていく。私の生活を、人生を構成するような一部となってくれたりする。それが解釈するということで、関係をつくりあげるということなのかもしれないですね。

 「魔法的」、とてもよかったな。

     名古屋公演と大阪公演の、二回も行けた。

 小沢さんのライブは、予感どおり、私の大学生活の集大成となりました。私のこれまでを肯定したうえで、背中を押してくれました。

 

渦を巻く宇宙の力 弱き僕らの手を取り

強くなれと教えてくれる

ちゃんと食べること 眠ること

怪物を恐れずに進むこと

いつか絶望と希望が一緒にある世界へ

(「フクロウの声が聞こえる(新曲)」)

 

 小沢さんにとっての「強くなる」とは、「ちゃんと食べること 眠ること」なんだな。それでいいんだな。そこから始めていいんだな。「希望」をもつこと。けれど、希望だけをもつことが強さじゃないんだな。絶望と希望が一緒にある、ということが強さなのかもしれない。絶望も希望もゆるすことができることが、強さなのかもしれない。

 そして最後に小沢さんは、「はじまり はじまり と扉が開く」と歌ってくれました。相反するものたちが一緒にある世界へ行くことがはじまりなのだ。そこからはじまるのだ。うん。これでいい。

 けれど私も、ちゃんと食べて眠って、その上で怪物を恐れずに進む強さを身につけたい。そして、私を肯定してくれたひとたちに追いつきたい。そのひとたちみたいになりたい。次は私が肯定する番だ。10年後にはそこにたどり着きたい。まずはここからはじめるのだ。

 そういえば「魔法的」でやってくれた「大人になれば」でも、「僕らは歩くよ どこまでも行くよ なんだか知らないが 世界を抜けて 誰かに会うとしたら それはそうミラクル!」と歌っておられる。そう。きっと、「歩いてく」ってことなんだな。

 

 僕らは歩くよ。どこまでも行くよ。夜が深く長い時を越えながら。

 そこで出会うあなたが、私のこれまでを肯定してくれる。

 そんな魔法みたいな瞬間が人生にはある。

 

 いままで出会ったひとみんなありがとう。

 あなたのおかげで私はここまでたどり着けました。

 そしてこれからも歩くのだ。

 歩道の先ではきっとまた誰かが待っている。

 

 最後に引用。

 

…ですが、かけがえのない人は、人生において確かに存在します。家族、友人、そして恋人や配偶者、私たちは真剣に生きるなかでそういう人たちと出会っていきます。「赤い糸」のように前から決まっている人生ではありません。しかし、たまたま出会った人々と一緒に生きていくこと、それが「かけがえのなさ」を育んでいくはずです。

 私は「あなた」と出会い、人生を一変させます。いや、そこで初めて人生が意味を持つ気さえします。そこで出会う私とあなたとは、一体何者でしょうか。私は、もはや肩書きや財産や容姿や、この肉体とそれにまつわる物を指してはいないはずです。私が出会うのは「あなた自身」であり、そうして出会っているのは「私自身」です。つまり、魂と魂とが裸で出会い触れ合うのです。それは私たち人間同士が抱きうる、そして抱くべき愛なのです。私たちは言葉を語り合いながら、なにかを求め、生み出しながら必死に生きています。その同じものを愛し求める者同士、あるいは導き手が、かけがえのない愛の仲間です。

納富信留プラトンとの哲学 対話篇をよむ』岩波新書 2015年7月22日 p-142

 

 一見、ここまで私が記述してきた「ラブリー」や『LIFE』の解釈と、『「赤い糸」のように前から決まっている人生ではありません。』という一文とは、相反するように感じられます。けれど、「ラブリー」や『LIFE』での「歩道の先に誰かが待っている」という確信も、「赤い糸のようにこのひとと出会うという運命」とは異なるはずです。「夜が深く長い時を越え」るからこそ、そのひとには出会えるのだと思います。何もしないでもはじめからすべてが決まっている、というのではない。「夜が深く長い時を越え」ながら、歩道を自分が歩いてゆくからこそ、のちに「あなた」となる「誰か」に出会えるのですよね。つまり「自分が自分を、自分の人生を、きちんと生きていく」ということなのですね。

 上記の「かけがえのない人は、人生において確かに存在します。家族、友人、そして恋人や配偶者、私たちは真剣に生きるなかでそういう人たちと出会っていきます。」という表現と、「ラブリー」の「LIFE IS A SHOW TIME すぐに分かるのさ 君と僕とは恋におちなくちゃ 夜が深く長い時を越え OH BABY LOVELY LOVELY WAY 息を切らす」という表現とは、とても近いことを伝えているように感じます。「夜が深く長い時」を、あらゆることを感じて考えながら「真剣に」生きるから、あなたと出会える。『たまたま出会った人々と一緒に生きていくこと、それが「かけがえのなさ」を育んでいくはずです』。これも、「あなたとわたしで糸を織る」ということのような気がします。そうして私たちは「かけがえのない愛の仲間」となり、いつか「外へ飛び出」して、また誰かの待つ歩道を歩いていくのですね。

 

 「あなた」と出会い続ける人生でありますように。

    そうであるよう、歩いてゆきたい。

    生きてゆきたい。

    

 

 

 写真は、大阪公演最終日に、私の隣にいたおねえさんが、小沢さんが投げた「魔法的電子回路」を幸運にもキャッチなさったので、終演後にお願いして撮らせてもらった、その小沢さんが投げた「魔法的電子回路」のどアップです。

 

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