原点について

 
  2016年7月2日(土)
 
 髪切ったしな。夏の始まりだな。と、きのう、思っていたら、あっという間だった。
 猛暑日。今季初蝉。今季初エアコン。アイスも食べたし。まあ、アイスは、今季初じゃないんだけども。
 見渡すかぎり山に囲まれた京都の酷暑が始まる。
 
 もう来年はここにいないかもしれないのだなあ、と思うと、京都が愛しくてたまらない。私は、修学旅行で初めて来た十七歳のときから、京都が大好きだ。
  「どうしてわざわざ北海道から京都の大学に来たの」とよく聞かれる。その際には、「一応道内の国立志望だったんですが私の数学の偏差値が四〇しかなくてやっぱ無理だったんで」という理由は隠しておいて、「修学旅行で好きになりました」と答える。
 修学旅行は十月だった。夜の自由行動時間に目的もなく外を歩いていると、とてもよい匂いが、どこにも立ち込めていた。それはいままでにかいだことがなかった。京都ってこんな素敵な匂いのする街なんだな、と、札幌にはない町の古さと同時に、強く惹かれた。初めて来た土地で過ごす特別な夜であるという、気分の高揚感も合わされていたのかもしれないが、その京都の匂いに惹かれるまま、二年後にはほんとうに京都に来てしまった。そうして京都での生活がはじまった一回生の秋に、気がついた。あの匂いは金木犀というものであったらしい(北海道には分布していないのだ)。あの修学旅行の日の金木犀が、私の、京都生活の原点であった。
 と話すと、とてもうけがよい。文学的ですね、といわれる。そうでしょう。これね、信じられないかもしれないけどね、実話なんですよ。
 私は大学一回生の後期から、在学期間の九割の日数(計算しました)をひとりで過ごした。それまで明るいふつうの子(小中高の私を知るひとからの異論はありそうだが)だった私は、二十歳で人生が転覆した。休学をして学年がずれたあとは特に、大学に行っても誰とも話さないし、そもそも誰にも会わないし、ひとりで登校してひとりで授業を受けてひとりでごはんをたべてひとりで下校して家でもひとりで、ほぼどこにも出かけないし、バイト以外はずっとひとりだった。毎日が憂鬱との闘いだった。
「 独りであること」、「未熟であること」、
これが私の二十歳の原点である。
 そんな風なので、ちょうど二十歳のときに読んで「このひとはわたしだ」「わたしはこのひとに出会うためにこの大学に来たのかも」と、一気に傾倒した高野さんの『二十歳の原点』を、自らの「二十歳の原点」とした。「独りであること」からみえるものをさがそう、と思った。
 ひとが嫌いなわけでは決してない。ひとはみんな優しいってことはわかっているし、友だちがほしいとずっと思っていた。飛び込めば受け止めてくれる場所があることも知っていた。けれどこわくてたまらなかった。初対面ではどうにかやれるけど、それ以降仲良くし続けることがどうしてもできなくて、時々よくしてくれるひとがあっても、思い切り距離を引いてしまう。だから定期的に交流できるひとがいなかった。というか、いなくしていた。これまでのことを振り返ってみても、どうしようもなかったと思うし、いまの私にも、あのときの自分を許してあげて、愛してあげることしかできない。ただ、いまの私ならもうすこしうまくやれる。
 だから「大学生活」自体にはほとんど思い出がない。同じゼミのひとたちが仲よさそうに話しているのを見たり、サークルで楽しそうにしているひとたち・学食で友達とごはんをたべているひとたちをみると、うらやましくてたまらないし、劣等感に苛まれる。でも自分がひととの関わりから逃げたせいだしなあと、納得しようとする。特に復学後は、リハビリみたいな大学生活だった。
 それでもずっと京都は好きな町。
 きょうは、四条高倉へ行って用事をして、一乗寺まで。自転車で。最高気温三十六度のなか、私はなんでこんなにひた走ってるんだろうなど考えたけれど、そんなことをできることすら、私には愛しくてたまらない。はあー、生きてる。ひとりで鴨川沿いを走りながら、泣きそうになる。陽が熱い。腕が焼かれる。自分が生きていることがとうといと思えた。自分が京都で三年間生きてきたことが、とうとかった。膝丈ワンピースの裾が翻るのをおさえながら激チャする。すれ違う男のひとが露骨に私の足を見る。そんなことすらいまは美しい。
 洛北カナートのスガキヤで、休憩がてらラーメンとソフトクリームを食べながら(とてもおいしい)、京都に来たばかりのころに立てた目標を思い出した。
 ひとりで生きる強さを身につけること。
 ひとりでは生きられないと知ること。
 当時は希望にあふれていたし、ここで指した「ひとり」とは「ひとり暮らし」のことであって、ここまで記述してきたような「ほんとにひとり」のことではない。
 それにしても、概ね達成できたな、と思った。
 ずっとひとりだったから大体どこでもひとりで行ける(もったいなくてしないけど、ひとり遊園地もひとり焼肉も絶対へいき)。でもそれがひとりで生きる強さではないのだろう。
 ひとりで生きる強さとは、だれかと生きていこうとする強さ、だと思うんだな。根拠とかはないんだけど。そしてだれかと生きようと思うとね、ひとりで生きる強さが必要になるんだよね。
 もちろん、ここまで執拗に「ずっとひとりだった」と書いてきながらも、「ひとりで生きてきた」とは少しも思っていない。物理的(?)にはひとりであったけれど、心理的(?)にはずっとひとに頼っていたし、ひとからもらえることばで、生きてきた。経済的には実家に頼りきりだ。であるから、「ひとりでは生きられない」と、身に沁みて感じている。
 「独りであること」からみえたものは、こういうものだったのかな。
     
 これからについて。
 「大学生活」はもうあきらめた。これからもひとりで図書館にこもっていると思う。よし、いっぱい本読んで日記も書くぞ。でもゼミでは、いままでのみんなとの「あいさつ」にプラスで、なにか話せるようになろう。
 そして京都の町をもっと回りたいなあー。好きなわりに、地元になってしまったせいか引きこもりになったせいか、ぜんぜん出かけられていない。出かけよう。京都の四季を、もっときちんと眺めたいなあ。楽しみ。
 ひととの関わりのなかで生きていくこと。
 四季のなかで生きていくこと。
 これを二十三歳の原点とします。
 『二十歳の原点』はこれからも「私の二十歳の原点」であるし、「人生の原点」でありつづけると思う。二十歳が「成人」であって、人と成る、第二の誕生であるとしたらやはり、人生が転覆した二十歳は私の原点なのだろう。
 これまではどちらかというと後ろ向きな意味で「独りであること」「未熟であること」を解していた。私はひとりであることしかできないし、私は何もできないしものを何も知らないからはずかしい。
 いまは、とても前向きな意味でとらえている。「独りであること(ひととひとは最終的には別の人間なのであって、だからこそ築いていく関係は美しい)」、「未熟であること(自分は未熟であって、だからもっとものを知るべきであり、どこへでもいける)」。あ、やっぱりこれを私の、人生持ち直した二十三歳の原点としようかな。
 あちこちに原点がある人生も、それもいい気がしてきた。
 札幌はほんとうの原点だし京都も原点だし、あのひともこのひともあの本もこの漫画も、私の原点である。
 そうだ、原点を増やし続ける人生を送ろう。
 あ、やっぱりこれを、私の二十三歳の原点としよう(もうなんでもあり)。
 
 イエス、ラブザワールド!←最近の口ぐせ
 

  ↓写真は鴨川沿いです。

 
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兆す

     

 季節が放つ光のなかで深呼吸するように過ぎた日々は、たしかにあのひとがいたことを記憶させてくれた。三月はにぶい春の光。風だけがつめたい春の夜。わたしたちは目的もなくただ歩いた。

 

     ( where do we go? )

 

     「恋におちる」とは、からだごと全身の落下であると思う。自身の心境の変化による、そう簡単に脱出できやしない未知―それは相手であると同時に、自分がどうなってしまうのかさえわからない世界ともいえる―への落下。落下して、留まりつづけること。それに対して、「惹かれる」、とは?心がゆるやかになめらかに、しかし確実に、対象へ引き寄せられつつある状態?
 
 
    ( where do you go? )
 
 
 ミツキさん。と、律儀な発音で読んだあと、あのひとは、今度はわたしの目をすっと見つめて、「ミツキさん」と呼んだ。やわらかい。自分の名前に音楽が流れていることに、初めて気がついた。意外とよく笑うんですね、と言ったあのひとは、わたしの想像通りよく笑った。四月の終わりはすでに初夏の始まるようにまばゆかった。「ふれたい」と思ったとき、夏へ向けた加速は始まっていたのかもしれなかった。それでもわたしはまだわからなかった。わからなかったのに。
 
 
     ( where do I go? )
 
 
 名前を呼んで、あのひとがこの手に伝えた体温が、わたしに兆してしまった一筋の光。三月はにぶい春の光。四月はまばゆい春の光。引き寄せられながら、落下しながら、のこり十ヶ月分の、あなたが放つ光を、わたしは知りたい。
 
 
     where do we go, hey now?
 
 
 
 
 
(「where do we go, hey now?」小沢健二「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」より)
 
 
 

夏の花

     

     夏の花が咲きはじめている。

     凌霄花、のうぜんかずら、空凌ぐ花。

     百日紅さるすべり百日紅いろをつける花。
 
     のうぜんかずらは、通学路にて、先週見つけた。堂々とした花のいろ、花のつけ方。わたしにはなくて、憧れる。そっかもうそんな時季なのか、なんてぼんやりしていたら昨日、おなじ通学路にて、さるすべりを見つけた。もう夏なのか!ああ、気がつけば6月も、22日まで数えているじゃないか。ああ、そこには芙蓉も咲いているじゃないか。梅雨に油断している場合ではないのだ。もう夏なのだ!
  あと一週間とすこしで7月が始まるらしいので、このやや興奮したテンションのまま1年前の今ごろの手書きノートを読み返してみたら、赤面。定期的に過去を振り返ることはだいじである。忘れていた気持ちを思いだすことがあるし、意外といいことを書いていたりもする(でもひとに読まれるくらいなら舌噛み切って絶命します)。
 
     1年生きてきた。
     咲く花は、そのことを知らせてくれるから、私は花が好きだ。北海道と違って本州はすごいよね。ひと月ごとに、違う花が、きちんと咲くのだから。花暦とはこのことなのか。
      太宰治「斜陽」に、こんな一節がある。以下引用。
 
 
    「夏の花が好きなひとは、夏に死ぬっていうけれども、本当かしら。」
      きょうもお母さまは、私の畑仕事をじっと見ていらして、ふいとそんな事をおっしゃった。私は黙っておナスに水をやっていた。ああ、そういえば、もう初夏だ。
    「私は、ねむの花が好きなんだけれども、ここのお庭には、一本もないのね。」
      とお母さまは、また、しずかにおっしゃる。
     「夾竹桃があるじゃないの。」
       私は、わざと、つっけんどんな口調で言った。
     「あれは、きらいなの。夏の花は、たいていすきだけど、あれは、おきゃんすぎて。」
     「私なら薔薇がいいな。だけど、あれは四季咲きだから、薔薇の好きなひとは、春に死んで、夏に死んで、秋に死んで、冬に死んで、四度も死に直さなければならないの?
        二人、笑った。
        太宰治「斜陽」
 
     私も夏の花が好きだ。既述したような、のうぜんかずらやさるすべりなど。とはいっても、私はつつじやサツキも好きだし、金木犀は1年でいちばんのビッグイベントであるし、椿も好きだ。四季のそれぞれをそれぞれの時季にだけ彩ってくれる一季咲きの花が、その季節ごとに好きだから、私もまたその季節ごとに何度も死に直さなければならないのかもしれない。それは、あれもこれも好きだと欲張る罰なのかもしれない。けれど、何度も死に直すということは、何度も生き直すということになるのかしら。そうであるなら私は甘んじて受け入れたい。
 
    1年生きてきた。
    夏は、「生きてきた」と、そのほかの季節よりも、強く思わせてくれるから好きだ。夏には実家に帰省する。夏には恒例イベントがたくさんある。もちろん冬にも帰省するし、おおみそかなどの恒例イベントはあるけれど、夏の方がわくわくする。夏自体が生命力にあふれるような季節だからだろうか。
     私は毎夏、函館の親戚の家へあそびにゆく。毎年、おなじひとに会う。親戚とかね。おなじところへ出かける。函館山のほうとかね。おなじものをみて、おなじものをたべるしおなじものをおみやげに買ったりする。金森倉庫にいったりおすしをたべたりおどるいかグミを買ったりね。去年もこんなふうに過ごした。それから秋を越え冬を越え春を越え、またここにきた。365日×24時間という時間を、1秒も止めることなくここまで繋げてきたのだ。
     1年生きてきた。そのことを感じるようになったのは、たしか15歳のときだった。それもやはり夏だった。毎年恒例の、おばあちゃんちの近所の夏祭りに行った帰りの車の中だった。1年前にもここに来た。それからきょうまでわたしは生きてきたのだ。1年を生きてきた時間の重みを知ったのはそのときだった。私はそれから8年生きてきた。
 
    大森靖子さんは「呪いは水色」のなかで、
 
生きている 生きてゆく
生きてきた 愛の隣で
私たちはいつか死ぬのよ
夜を越えても
 
とうたっている。「生きている現在」「生きてゆく未来」「生きてきた過去」。この、「現在未来過去」と三点に分けてしまえばそれぞれが断絶されてしまうような、非連続的なようで実は連続的な三つの時間のうち、「生きてきた過去」が、私にはもっともとうとく思われる。生きてきたんだよ。生きてきたんだ。何度か死にかけたりしながらも生きてきた。生きていることも生きてゆくことも、それらはまだ確定していないから心もとないけれども、生きてきた、のは事実であって、その事実が私を支えてくれる。これからを生きてゆく推進力となってくれる。そうして生きている現在も生きてゆく未来もいつか、生きてきた過去となって、また私を支えてくれるのだろう。
     最近、私がこれまでどうにか生きてきたのは生きさせてくれるひとがいた・いるからだなあ、と感じることができるようになった。生きさせてくれる。いろいろなことばや時間をくれながら。生きさせてくれる。生きさせてくれるひとがいるから、生きているし、生きてゆくし、生きてきた。「呪いは水色」のなかで、この三つの時間のあとに「愛の隣で」とつけられているのは、そういうことなのではないか。
 
 
     この日記をきっと来年、私は読み返すのでしょう。そして「1年生きてきた」と感じるのでしょう。そのころには凌霄花百日紅も咲いているのでしょう。そうしてまた1年生きてゆくのでしょう。ただ、「私たちはいつか死ぬ」のでしょう。あと何回、「1年生きてきた」を、感じることができるでしょうか。
 
  ことしも夏が始まります。
 
 
 
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わたしはさわやかな風がすきなので
六月の湿気が得意ではない

窓の外には可視化する憂うつ

わたしは晴れがすきなので
雨がやはり得意ではない

きょうはひねもすの降水
虹が架かるまでおやすみなさい


薄れゆく意識のなかで
あなたの水平線を越えるわたしをみた

移ろいゆく季節のなかで
わたしの水平線を越えるあなたをみた


起きたら外へ出かけてみましょう
虹はなないろ

あまみず跳ねても
スカート翻す
街と 六月の 向こう側へ

駆けてくわたしは
夏をいっぴき連れてゆきます

そこにはきっとあなたがいる
雲ひとつない青い季節がある

だから灼ける空の下でふたり
水平線のその先まで落ちてゆきたい

海の底ではきっとその手つないで笑えるので







駆け出そうか

    

赤い唇が色あせる前に

その熱い血潮の枯れぬ間に

きみは駆け出すんだね

今日は春の中へ

瞳の中に花が咲いて

サニーデイ・サービス「東京」

 
     サニーデイ・サービスの「東京再訪」をみてきました。「絶対いいよね〜」という想像の一億倍上回って、よかった。100年分の恋をした。人生で一番拍手した。人生ではじめてスタンディングオベーションしそうになった(すればよかった)。
 
     曲とは、CDで聞いて、ライブで聞いて、そこではじめて完結するものなんだな、ということを以前から思っていました。「東京」をライブで、通しで聞いてみて、そのことを改めて痛感しました。「東京」ってやっぱりこういうアルバムなんだな、と感じるなど。それはまた書くことにします。
 
     いまわたしは帰りの電車の中です。「東京」を聞いています。一年前の渋谷公会堂ワンマンのときも、帰りに「東京」を聞いていたなあ。
     
ぼくも駆け出そうか
きょうは街の中へ
瞳の中に風が吹いて
 
     街の中へ、東京のなかへと駆け出したわたしはまた、京都へと駆け出さなきゃなんない。ちいさな短編集をひとつひとつと読むような生活がそこにはある。
     「東京」で描かれた「東京」とは、実はどこの街でもありうるのだと思う。京都の街にも、「東京」のような季節や思いや若者たちの光景はある。わたしも、「東京」のなかの「ぼく」や「きみ」なのかもしれない。わたしは「ぼく」や「きみ」を眺める存在であると同時に、眺められる「ぼく」や「きみ」なのでしょう。客体でありながらも主体として、どこかの街の主人公として、私にとってはそれは京都で、また生活をしてゆこう。同時多発的に日々はある。
 
 
     瞳の中に風が吹いたならいつかきっとたどり着く場所へ。この熱い血潮の枯れぬまに。
 
 
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なにを聞いてもしっくりこない夜というものがあってね

 
     生きていたいなあ。
     私には好きなひとしかいないから生きていたい。私は、愛する人間です。みんな愛しているんです。ひとも季節も時間も。だから私を殺すとしたら私なのでしょう。みんな私を生きさせてくれているのだから、私を殺すとしたら私しかいない。と言っても自分のことを嫌いではない(クズだなあとかほんと何もできないなあとかは考える)。愛しているからこわくてたまらないよ。
 
     なにをするにしても、私はこれからも生きるのかなあみたいなところで立ち止まってしまう。贅沢なやつだな。しぬならしぬのだし、それまでは生きるんだよ。生きるなら、手段を考えなければならない。
 
     なにを聴いてもしっくりこない夜というのがあってね。そんな夜のやり過ごし方を知ることが生きていくということなのかもしれないよね。
 

ゆくひとたち


ゆくひとたち

夏の風が君をさらって
オリオン座がわたしを手招きました

駆けるように晴れたあの日

ふたりでまいたあおい絵の具が
空からことぱをなくさせました

だから夜は星をならべて
物語をはじめたのです

星の瞬きが語りかける夜
恋とは、愛とは、美しさとは

隣のまばたきが語りかける夜
あなたが、ここに、いてほしい

そして明くる朝 告げること

喉元ながれる八月の熱
キスして君が天の川

花の名 ひとつ その手にあげよう