蝉が聞こえない

 

 天気予報は毎日きちんと見ているはずなのに、すぐに忘れてしまう。

 職場で「きょうこれから大雨みたいですねえ」なんて言って、全然降らないことがよくある。「晴れるみたいですねえ」と言って雨だった日には、心から申し訳なく思う。

 関東で過ごす二度目の夏はいまのところとても涼しくて、それは今年の夏が冷夏であるからなのか、二月まで私が住んでいた関西よりもここのほうが涼しい土地であるからなのかは、まだ判断がつかない。

「今年の夏は暑くなります」と天気予報で聞いた気がしていたけれど、私のことだから覚え違いなのだろう。

 ところで、先週から私は休職している。今月いっぱいは休ませてもらう予定である。

 私はただのパート従業員なので、そのへんは自由にさせてくれるのかもしれない。人手は足りてないのに、申し訳ない。

 休職するに至った理由は、いまは書けない。

 きっと、いつか書けるようになるとは思う。

 原因から生じた結果だけを述べるなら、人や物音が怖くて外出がうまくできない、といったところである。

 いまのところ、不特定多数のお客さんを相手にしなければならないいまの職場には戻れるような気がしていない。もうだめかもしれない。

 だって、いままでだって十分怖かった。

 

 これが私の人生なんだろうか。

 なんでこんなことになるんだろうか。

 大学時代にも休学してた。

 なんで、ちゃんと生きられないんだろうか。

 なんで、こんな目に遭うんだろうか。

 

 診断書を出してくださいね、と職場から言われたので、診断書をもらうために病院に行った。

 まず、ソーシャルワーカーさんと三十分ほど、質疑応答のように話をした。生い立ちからいまのことまで、いろいろと聞かれ、いろいろと話した。

 こういうとき、両親の離婚や母親二人との話をすると大体泣いてしまうのだけど、それはうまくクリアした。聞かれたことに淡々と答えることができた。

 しかし、「自分の存在を消してしまいたいと思う、ってところに丸をつけてますね?」と聞かれ、「生まれてきたくなかったってずっと思ってます」と発声した瞬間には、ぽろぽろ泣いてしまった。

 その後のお医者さんとの面談(とでもいうのか)でも、同じような内容の繰り返しだった。

 今回休職するに至った理由について、「いままで何人にこういうことされてきたの」と聞かれ、ぼんやり思い出しながら数えてみて、「…? 五人くらいですかね…」と答えたら、なぜかお医者さんは笑ってくれた。私も笑った。いまあらためて数えてみたら、七人だった。

 休職することになった理由を話すときも、やっぱり泣いてしまった。

 発声するとどうしてもだめらしい。考えているだけよりも、書くだけよりも、発声をすると、その瞬間に涙が出てきてしまう。

 

 いろんなことがずっといやだった。

 いろんなことが、ずっと、いやだった。

 そして今回、スカートの中を盗撮された、かもしれない、しかしまちがいなく脚にはさわられた、というだけのことが、こんなにも私を壊すのだった。

 容赦なく私から、あらゆるものをうばうのだった。

 どれくらいのものを取り戻せるのか。

 どうやって、わたしを私として、受け止めて、どんなことを思って、私は、わたしを、生きて、いけばいいの。

 

 七月に入ったらすぐに蝉が鳴き始めるものなのだと思っていた。それが私にとっての本州の夏だった。  

 しかしまだ聞こえない。いつ聞こえるのか。まだ聞こえない。もう聞こえなくていい。何も聞きたくない。もう、聞こえない。