2020年1月1日の18時ころ、特に用もなく家を出て、近所のコンビニへ行くことにした。近所といっても1キロほどはあるので、ちょっとしたお散歩である。
元日18時の住宅街はひっそりとしている。見慣れているはずの街灯のオレンジ色がなぜか楽しくて、裏道を抜けてみることにした。こんな特別な日に出歩く人はいないから、好きな歌をちょっと口ずさむことだってできる。
みんながおかしいんじゃないのか
自分は普通だと思ってた
でも何が普通なのか
その根拠なんかあるわけもなくて
欅坂46「角を曲がる」
年末の音楽番組で見た、欅坂46・平手友梨奈さんによる「角を曲がる」のソロパフォーマンスが圧巻だった。
現在はグループを「脱退」されたが、彼女には「表現者」という言葉がもっとも適切な肩書きであると思う。デビュー曲「サイレントマジョリティー」のMVにおけるその存在感は、見る者の言葉を失わせるほどなので、見てみてほしい。
らしさって一体何?
あなたらしく生きればいいなんて
人生がわかったかのように
上から何を教えてくれるの?
周りの人に決めつけられた
思い通りのイメージになりたくない
私は小中高時代にかけて、よく「変わってるね」と言われた。
あまりに言われてきたので、「人は誰かの性格や存在について判断を下すときには『変わってるね』と言うものなのだ」と思っていた。
私は、「人」が欲しいと思うものを、同じように欲しいと思えないことに悩んできた気がする。
また、私が話すことは通じないと感じることが多かった。
それでも大体の人は優しいから、「何言ってるかよくわからない」と笑ってくれた。
私が抱いている疑問や感想はいまいち伝わらないということがよくわかったから、大学に入ってからの私は、あまりしゃべらず、意見も言わず、そうしていようと決めた。
おそらく私は「意見のない子、話してもつまらない子」だと思われていただろうけれど、私は、きっと伝わらないから何も言わないようにしていたのだった。それなりに思うことやら言いたいことはあったが、きゅっと上げた口角の窪みの陰にそれらを押しやっていた。
もちろん話が合う人は時々いて、そうしたときには、一人で溜め込んだものを、たくさん話してしまう。
そうして、答え合わせをするように・どんどんと階段を登るように対話をしてくれた人たちはほんとうに貴重で、有り難い存在だった。
「話してもいい人だ」と思ったときには一気に心を開くから、本来の私は人なつこい性格のはずである。
そんなふうにして、よく言われる私の第一印象は「おとなしい子」になった。別に性格を作っていたわけではないから、そう見られていたのならそうなのかもしれないけれど、私は「ほんとうに思っていることは言っていない」だけなのだった。うまく伝わらないから、「言わない」だけなのだった。
私は「周りの人に決めつけられた思い通りのイメージ」でありたいと思った。それが一番いいと思った。
わかってもらおうとすればギクシャクするよ
与えられた場所で求められる私でいれば嫌われないんだよね?
問題を起こさなければ幸せをくれるんでしょう?
話は伝わらない。
私が生きていくこれから先において起こりうる出来事について、多くの人が「楽しみだね」と言うのだけど、私は、「多くの人がその出来事を起こすからといってなぜ私もまた起こすと確信しているのだろうか?」と思う。
私はいらないのだ。私はその未来を欲しくないのだ。欲しくないと思う理由は、おそらく、私が27年間の人生で考えてきたことのなかで、一番人に伝わらないものである。
「私はそれを欲しくない」というただそれだけの表明が、きっと伝わらない。
OSが違うから、伝えようとしたって、文字化けするだけなのだ。
らしさって一体何?
あなたらしく微笑んでなんて
微笑みたくないそんな時も
自分をどうやれば殺せるだろう
みんなが期待するような人に
絶対になれなくてごめんなさい
ここにいるのに気づいてもらえないから
一人きりで角を曲がる
みんなが期待するような人に、絶対になれなくてごめんなさい。
私にはその未来を生きられない。
私は、欲しくないのです。
私が選んだこの角を曲がる先に未来があるのかは、わからないけれど。
2020.1月