椿の葉だけがやたらと輝いている窓の外の光
きみは知らない
これが冬だよ
排気ガスと三月の雪融け
崩れるものはみな同じ雪国で生まれた
これが春だよ
生きていられない夏はもう来ない
これが夏だよ
金木犀のない秋に生まれて人を好きになった
あれが秋だった
わたしのことは 忘れて
「桐島聡を名乗る男が神奈川県内の病院に入院している」とのニュースが駆け巡ったのは、一年前の一月末ころだったと思う。
不謹慎ながら私は、LINE NEWSの速報でそれを知ったときに「桐島聡を名乗る男が現れただと?!」とわくわくしてしまった。だって、へたな親戚よりもずっと顔をよく知っている全国指名手配犯である。昔からよく見知ったあの顔である。
テレビのニュースで入院先の病院の航空映像を目にしたときに、「なんか見たことあるな」と思った。まあここに運び込まれることもあるのだろうなと軽く流していたのだが、やがて「桐島聡を名乗る男」の情報が続々と報じられるたびに、私にはもう他人事のようには思えなくなっていった。
「神奈川県内の病院に入院している」「藤沢市内で働いていた」「藤沢市南部に住み込みで働いていた」。
もうだんだんと、私の昔住んでいたエリアにじわじわと近づいてくるのである。そして彼が住んでいた家が特定されたとき、「ああ」と思った。この場所わかる。わたし、歩いてた。
じっさい、私はそこを歩いたことがあり、というかそこから徒歩数分の、数百メートルの場所に住んでいたのだった。見ればわかる建物だった。
桐島聡の近くに私は住んでいた。あるいはすれ違っていたかもしれなかった。
それから、ニュースで彼の知人のインタビューを見たり、彼のいた銭湯で常連客にインタビューしているのを見るほど、私は俄然彼に興味を持ってしまった。
あまりにも近くに住んでいた。近所の音楽バーに出入りしていたとのインタビューなどを見ると、パンデミックさえなければおそらく私も通っていただろうし、彼と知り合いだったかもしれないと思った。
しかし、そんなやじうま的な感情と相反するように同時に、彼の知人たちの抱く感情にも興味を持った。
私の胸を打ったのは、「彼は指名手配犯だったかもしれないけど自分にとっては仲間だったから、仲間を喪ったことが今は悲しい」という知人のインタビューだった。
彼は近所の飲み屋さんやライブハウスでは友人がいたり、仲よくやっていたように、インタビューからは思える。家に行ってCDの貸し借りをしたという証言や、バーベキューをしていたという証言もある。
誰も、「桐島聡を名乗る男」のことを「桐島聡だ」なんて気がついていなかった。思っていなかった。思うはずがなかった。
その知人たちにとって、彼は彼だった。「桐島聡を名乗る男」は「彼という一人の友人」だった。でも、そうではなくて、「桐島聡という別の人間だった」。
そのとき、知人たちはどう思うのだろうか?
自分とちかしい人が「その人ではなかった」。
「では、それは誰だったのか?」
「桐島聡を名乗る男」は、数十年も偽名を名乗り別の人間として生きた最期の病床で、「最後は自分の名前で死にたかった」と話したという。そして、入院から数日後に亡くなった。
私が彼の友人だったら、この言葉を聞いてどんな気持ちになるのだろうか。
急に、彼の存在が宙に浮いてしまう。置いて行かれたような気持ちになる。
三年ほど前、私の叔父が行方不明になった。
行方不明というか、平たく言えば「蒸発」とでもいうのかもしれないが、とにかくいなくなった。
以前の日記で「ちかしいひとをそれぞれの形でうしない続け」と書いているうちの一人は、この叔父のことである。
それは、ひらがなでしか書き表すことのできない「ちかしいひと」を「うしなう」という経験だった。
私にとっては、「BUMP OF CHICKENが見たくてたまらなくてどうしても行きたいのに親が連れて行ってくれない、保護者がいないと行けない」と喚いていた中学三年の私を、保護者代わりにライジングサンロックフェスティバルに連れていってくれて、それから数年間毎年いっしょに参加していた叔父だった。一番近くに住んでいて、私が札幌を出るまでは毎週のように会っていた、大好きな叔父だった。
私が京都へ進学してからも、帰省するたびにばーちゃんちで会っては昔話をしてくれて、「おまえはほんとに愛想のない、すこしも笑わない可愛くない子どもだった」と話してくれた。私はその、私の子どもの頃のエピソードをを聞くのが大好きだった。私にとっての「記憶の器(『この世界の片隅に』より)」だった。
叔父はお金を持っていなくなったらしいこと、またメモ等が残されていたことなどから、きっと生きているのだろうと思われている。しかし誰もその行き先を知らない。誰も探さない。
彼はいまどこで誰として生きているのだろうか。住民票もないのに?どうやって生きている?誰と生きている?
行方不明から七年経てば、死亡として扱えるそうである。あと四年ほど経てば、彼は死んだことになる。死んだことにするしかない手続きがある。彼は死ぬ。生きていたとしても。
この一連ののちに私は、あのひとは一体誰だったのだろうかと思った。
あんなに近くにいたのに、親戚ですら、その人が毎日どんなことを考えて生きているのかなんてわからない。彼は誰だったのだろうか?
私にとっては叔父が、急に宙に浮いてしまった。彼は私を置いていった。
昔から私はよく考えていたことがあった。
その人の何を、どこまで知っていれば、その人を知っていることになるのか?
たとえば誰かについて、「私はその人のことを何も知らない」のに惹かれてしまうことがある。名前と顔とおおよその何をしている人かしか知らない、すこししか話したことがない、それなのに惹かれることがある。
私が知っているその人はほんとうにその人なのだろうか?しかし、「ほんとうに」「その人」とは何なのか。知らなければ惹かれてはいけないのか。
「桐島聡を名乗る男」を、桐島聡ではない一人の別の人間として仲よくしてした人にとって、「桐島聡を名乗る男」は誰であったといえるのか。
叔父の件もあり、「桐島聡を名乗る男」のことが気になって仕方なくていろいろ情報収集をしていたころに、「桐島の件は『ある男』を思い出す」といったツイートを見かけた。
平野啓一郎『ある男』という作品のことのようであり、さっそく読んだ。
これが、2024年に読んだ本の中で一番面白かった(そんなに多くの本を読んだわけではないなりに)。
ここまで書いてきたのだが、書き始めてかなりの月日が経ってもなおもう続きを書けないため、こちらでおしまいにする。
『ある男』はすごく面白くて最後は泣いてしまった。
私はこれ以上この件や叔父について考えることができない。
七月のカレンダーを破り、八月へ駆け出したその瞬間に再生しなければならないアルバム『OMOIDE OVER DRIVE』を聴き、今年も無事に八月を迎えた。
と思ったら、またすぐにもう一枚めくらなければならないほどに日が経ってしまっている。
相変わらずこの体が動かず、どんどん思うようにいかなくなっている。体が丈夫であることだけが取り柄であったはずなのに、全身がだめになってゆくのを日々感じていると、体が動くうちが一番だなと、ありきたりに健康への感謝と祈りを捧げずにはいられない。
七月に駅で二度倒れ、保護されてしまった。血圧が低いので(上が80、下が40など)、夏は特にとてもとてもつらい。暑さで血管が拡がるため、よけいに血圧が下がるそうである。
そんな季節のお恵みを受けてか、夏はほんとうに体を起こす、というか頭を上げていることができず、ただ目を閉じて床に転がっていることしかできない。秋まで生きていられるだろうかと毎年不安になる。
「低血圧は高血圧よりマシ」「低血圧の方が長生き・健康」のようなことを病院でさえも言われるのであるが、私の毎年は六月下旬から九月ころまで、存在しないに等しい。ほぼ空白の期間である。ついでにいえば低血圧には治療法がない。昇圧剤を処方してもらったが、プラシーボ効果体質の私でさえその効果はよくわからなかった。
それを思えば、血圧が高いほうが健康的に暮らしているのではないかとさえ思う(そんなことはないですよねすみません)。
あの、マジで誰か私に血圧を20くらい分けてくれませんか?Win-Winの協定を結ぼうじゃありませんか。
家で横になっているだけで、がんばってるんだよ。
ものすごくがんばっていることを、認めてほしいと思う。横になっているだけでほんとうに、がんばっている。
と、書いたところからさらに秋深くなり、すっかり真冬となり、大寒を過ぎた。あけましておめでとうございました。もうタイトルは「八月」のままにしておきます。
涼しくなりというか寒くなり、体調が戻っている。寒いのも好きではないけれど、暑いよりは「生きている」時間がたしかにあるのでマシである。
この5年間で数えきれないほどの仕事をして失職してを繰り返してきたのだが、ようやく安定できそうだ。もう夏に外に出ることは不可能と判断したため、フルリモートでの勤務である。よっしゃ!!!!!
口頭指示が基本の仕事をしていると、私の「何もできなさ」が露呈され、「できない人」の烙印を押されるのだが、テキストベースの仕事をしていれば「しごできの人」のふりをできることは、2年前に学んだ。魚は木登りができなくていい。私は文を書けばいい。私はテキストベースで人の役に立ち、そして私も褒められて生きたい。
今年の夏も生き延びられるか不安ではあるものの、もう家から出ないことにしているので、そしてまだ引っ越したばかりでわからないがかなり性能のいい家に住み始めたので、これからの夏はいままでより快適に過ごせるだろう。と、期待を込めて。
5年前の、私の真後ろにしゃがみ込まれてスカートの中を盗撮され走り去られ警察にもろくに相手にされなかった件がなければあの書店で契約社員にはなれていたかもしれないと、今でも思う(蝉が聞こえない - 一草一花)。
この5年間、私が何もかも不安定で過ごさなければならなくなったのはあの一件だと思うが、ここできっとどうにかなる。藤井風「帰ろう」を聞いている(私の出棺のときはこの曲を流すよう指定済み)。
ほかに書きたいなと思うものもいろいろあるので、とりあえずこれを公開にしまおう。
私が書く文章を評価してくれる人がいる。
わたしは生きる。
あああでも冬だろうときのうから貧血でたまらなくしんどいが、がんばる。がんばります。がんばると思います。たぶんがんばれると思います。がんばれると思ってはいます。がんばる気持ちはあります。
がんばる。
【休学・留年・休職をコンプ、あらゆる通院歴12年の人間が送る】これさえあれば生きていけたんだなと思うもの2選!
・自分を信じること
・健康な身体
自分を信じることさえできれば、あれは私にはきっとできないなどと決めつけず、できたはずだった。
人がたくさん褒めてくれたときも、もちろんその人のこともその人の言葉も信じているけれど、私は私を信じることができなかった。
自分を信じることができれば、褒めてもらえた道を進んでいけばよかった。
自分を信じられなくても、健康な身体があれば、なんでもできた。
わたしはもう、動けない。
同じ窓の外を見ていた
これからもあなたはそこに留まり続ける
いまわたしはその向こう側へゆける
同じ「時間」というものを持ちながら
わたしの階段は
一段上がるたびにその一段が落ちてゆく
あなたの階段は
あなたの階段は いまどこにあるのか
where are you gone?
失われてゆく
失われた
失われている
けれどいまここにある
会えなくなった
もう会えない
けれどいま会えている
だれにもわからないことばで
だれにもつたわらないせかいで
生きていて
あなたはわたしをだれと思ってる?
同じ空を見ることはもうない
通じ合うことはきっとない
ない のか?
わたしもじきにあなたと同じ空を見る
そのとき語る言葉は
呼びかける名前は
わたしは泣かないが
きみは泣くだろう
そこにいてくれたなら
追記 20240612
これを書いて下書きにした日からもう2年以上が経ち、そしていまあなたはえいえんにうしなわれてしまった。
20年のあいだ、「あふれる愛がやって」きていたのはわたしだった。
どう思われているのか、わからなかった。それでも「あふれる愛」があったのだ。
わたしがやってきたことがあなたたちを嬉しくさせていたなら。そして、そうだと言ってくれたことが、それは、それはもう今までの・これからの私の人生において、あまりに大きなことだった。
今ここにある この暮らしこそが
宇宙だよと
今も僕は思うよ なんて素敵なんだろうと
澄む闇 点滅する赤いLight 脈を打つよ街と
空を横切る彗星のように見てる
あふれる愛がやってくる
その謎について考えてる
高まる波 近づいてる
感じる
小沢健二「彗星」
ここ2年でちかしいひとたちをそれぞれの形でうしない続け、ぐるぐると思うことなどがあるのだが、書いてもまとまりはしない。
そしてこの2年間の私のテーマソングは「ある光」「流動体について」「彗星」「さよならなんて云えないよ(美しさ)」「流星ビバップ」であり、人生において1億回めですが小沢さんの詞からヒントというか、「そうだよな」「そうだったらいいな」という気持ちなどをとてもいただいているところです(2年前の「So kakkoii 宇宙 Shows」も、先月の「Monochromatique」もとてもよかった)。
だんだんと数字を忘れてゆく
大切だった日、
それらは かさねる年月に上書きされて
だんだんと忘れてゆく
話したことも
あなたの名前の漢字すら
忘れてゆく
そんな風になるなんて思いもしなかった
それでも もう覚えていないんだ
答え合わせすらできないことたちは
沈みきってしまった
けれど 書きなぐった文章だけは
時々発掘されて
思い出す
思い出しては また忘れて
思い出すために忘れる
忘れて また思い出すために
私は書いているのだと
海底へ沈んだ船に 光が差すように
2020年1月1日の18時ころ、特に用もなく家を出て、近所のコンビニへ行くことにした。近所といっても1キロほどはあるので、ちょっとしたお散歩である。
元日18時の住宅街はひっそりとしている。見慣れているはずの街灯のオレンジ色がなぜか楽しくて、裏道を抜けてみることにした。こんな特別な日に出歩く人はいないから、好きな歌をちょっと口ずさむことだってできる。
みんながおかしいんじゃないのか
自分は普通だと思ってた
でも何が普通なのか
その根拠なんかあるわけもなくて
欅坂46「角を曲がる」
年末の音楽番組で見た、欅坂46・平手友梨奈さんによる「角を曲がる」のソロパフォーマンスが圧巻だった。
現在はグループを「脱退」されたが、彼女には「表現者」という言葉がもっとも適切な肩書きであると思う。デビュー曲「サイレントマジョリティー」のMVにおけるその存在感は、見る者の言葉を失わせるほどなので、見てみてほしい。
らしさって一体何?
あなたらしく生きればいいなんて
人生がわかったかのように
上から何を教えてくれるの?
周りの人に決めつけられた
思い通りのイメージになりたくない
私は小中高時代にかけて、よく「変わってるね」と言われた。
あまりに言われてきたので、「人は誰かの性格や存在について判断を下すときには『変わってるね』と言うものなのだ」と思っていた。
私は、「人」が欲しいと思うものを、同じように欲しいと思えないことに悩んできた気がする。
また、私が話すことは通じないと感じることが多かった。
それでも大体の人は優しいから、「何言ってるかよくわからない」と笑ってくれた。
私が抱いている疑問や感想はいまいち伝わらないということがよくわかったから、大学に入ってからの私は、あまりしゃべらず、意見も言わず、そうしていようと決めた。
おそらく私は「意見のない子、話してもつまらない子」だと思われていただろうけれど、私は、きっと伝わらないから何も言わないようにしていたのだった。それなりに思うことやら言いたいことはあったが、きゅっと上げた口角の窪みの陰にそれらを押しやっていた。
もちろん話が合う人は時々いて、そうしたときには、一人で溜め込んだものを、たくさん話してしまう。
そうして、答え合わせをするように・どんどんと階段を登るように対話をしてくれた人たちはほんとうに貴重で、有り難い存在だった。
「話してもいい人だ」と思ったときには一気に心を開くから、本来の私は人なつこい性格のはずである。
そんなふうにして、よく言われる私の第一印象は「おとなしい子」になった。別に性格を作っていたわけではないから、そう見られていたのならそうなのかもしれないけれど、私は「ほんとうに思っていることは言っていない」だけなのだった。うまく伝わらないから、「言わない」だけなのだった。
私は「周りの人に決めつけられた思い通りのイメージ」でありたいと思った。それが一番いいと思った。
わかってもらおうとすればギクシャクするよ
与えられた場所で求められる私でいれば嫌われないんだよね?
問題を起こさなければ幸せをくれるんでしょう?
話は伝わらない。
私が生きていくこれから先において起こりうる出来事について、多くの人が「楽しみだね」と言うのだけど、私は、「多くの人がその出来事を起こすからといってなぜ私もまた起こすと確信しているのだろうか?」と思う。
私はいらないのだ。私はその未来を欲しくないのだ。欲しくないと思う理由は、おそらく、私が27年間の人生で考えてきたことのなかで、一番人に伝わらないものである。
「私はそれを欲しくない」というただそれだけの表明が、きっと伝わらない。
OSが違うから、伝えようとしたって、文字化けするだけなのだ。
らしさって一体何?
あなたらしく微笑んでなんて
微笑みたくないそんな時も
自分をどうやれば殺せるだろう
みんなが期待するような人に
絶対になれなくてごめんなさい
ここにいるのに気づいてもらえないから
一人きりで角を曲がる
みんなが期待するような人に、絶対になれなくてごめんなさい。
私にはその未来を生きられない。
私は、欲しくないのです。
私が選んだこの角を曲がる先に未来があるのかは、わからないけれど。
2020.1月