花ある君

 
 梔子の花びらって、どんなかしら、と思っていた。
 梔子って、意志がある。あの造形。ほかの花より立体的に感じるのは、そのなにか意志のせいか。「わたしはこういうものとして生きています」という主張、意志。それゆえか、あの花びらは澄んだような白ではない。濃い白。ほかの何いろにも染まらない白。みずからにしか染まらない白。天使のような純白ではなくて。このほかの彩りを知らないのではなくて。ほかのなににも揺らされない。あらゆる彩りを取り入れたうえでの白。たとえば川端康成ノーベル文学賞受賞記念講演で「美しい日本の私」と題してかたったなかに、「色のない白は最も清らかであるとともに、最も多くの色を持っています」という一文がある。白にはやはり、あらゆる色が内包されているのだ。梔子のそれには、特にそう思わされる。
 であるなら、6月に道を歩いているとある日からかすめはじめる梔子のあの香りも、彼女たちからの、なにか主張のように思えてくる。
 きっとすこしかたい、との予想をもって、破らないように、こわさないように、よごさないように、そうっと、その花びらをつまんでみた。
 
 柔らかい。
 強さであるような、柔らかさ。
 
 ひらがなで「やわらかい」のではない。確固とした意志を持った、強度のある「柔らかい」。
 花びらは、しと、と、指先になじんだ。生気。その外見の潔癖さ・高潔さから、てっきり拒絶されるかと思っていたのに、また、私がふれたはずだったのに、彼女からしたわしげにふれられた気がした。「離さないで」「わたしを見ていて」と、語りかけられた気がした。どきっとした。あのはかなさと眼差しの強さ。梔子の時季ももうすぐ終わるのだ。
 花のようなひとになりたいといつも思う。花の似あうひとだとか。
 たとえば川端康成が「伊豆の踊子」(また川端さんを引用してしまった。わたしが川端作品が好きな理由がなんとなくわかってきた気もする)で、「それから彼女は花のように笑うのだった。花のように笑うと言う言葉が彼女にはほんとうだった。」と書いた、その彼女のような。あるいは島崎藤村の「初恋」の、
 
      まだあげ初めし前髪の
      林檎のもとに見えしとき
      前にさしたる花櫛の
      花ある君と思ひけり
 
その「花ある君」のような。精神性が外見に現れることで、そう見えるような。
 そのひとの美意識や人間像は、どんな花を好きなのかを知れば、みえてくるような気がする。どうだろうか。わたしなら何になりたいだろう。
  気がつけばここにはいつも花のことばかり書いてしまう。だってわたし、外に出れば花のことしか見ていないんだもの。植え込みに咲くそれらに見惚れて自転車を漕ぐものだから、毎日が危機一髪。でもそのかわりに、時の流れを感じることができる。きのうよりも花をつけたな、だとか、色が濃くなったな、だとか。ここのところのわたしの日課は、先日夏の花 - 一草一花で書いた、通学路の凌霄花百日紅と芙蓉と、あと名の知らない背の高い青い花と、民家の前に突然置かれている百合の花に毎日あいさつをすることである。
 花は、ただそこにあるだけで「美しい」と、「わたしもああなりたい」と、思わせてくれるからよい。あ。ちがうなあ。花はただそこにあるだけではないのだ。花は生きている。生きてみずから花を咲かせている。それぞれの色と、形と、匂いとを纏わせて。「これがじぶん」として生きている。梔子からは特に感じさせられる。その生がわたしたちに訴えかけてくるのだろう。
 わたしが花になるとしたら。
 ナンバーワンとかオンリーワンとか、そのどちらがいいだとか、どうでもいい。「じぶんの美しさ」をもって、凛と生きたいな。
 ああ、「耳につけたるイヤリングの花ある君と思ひけり」とか言われてみたい。
 
 ↓近所の大通沿いの梔子さんです。
 なんで花ってこんな美しい色とかたちに生まれるの。
 
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人生、それは「魔法的」な

 

大学生活最後の年に出会えた小沢健二さんの「魔法的」ライブ、そして これまでの人生で出会えたあなたへ、これから出会うあなたへ

 

 あなたに出会えたことで私の人生これまでが肯定された気がします。どうもありがとう。

 そうあなたに伝えたら、あなたもきっと「あなたのそのことばで私の人生これまでが肯定された気がします。どうもありがとう」とこたえるでしょう。

 糸と糸とが布を織るとは、こういうことなんだな。

 

 以下、小沢健二さんの歌詞(特に「ラブリー」とその他『LIFE』の曲、もちろん他の曲)と中島みゆきさんの「糸」を読んでいるとわかりやすい日記です。

 

 

 はじめに

 

 これまでの私にとって「ラブリー」は、「よくわかる歌」ではありませんでした。ただの恋愛の歌ではないとは思っていましたが、まあ恋愛なのかな、くらいの意識でした。けれど「魔法的」ライブで聞いてみて、「やっぱりただの恋愛の歌じゃないな」と気がつきました。そして帰りの電車の中でいろいろ考えました。

 「ラブリー」で歌われているのは、「恋愛の最中の歌」というよりも「ひととわかりあうこと」や「ひとと出会うこと」「仲よくなること」なのでしょうか?

 私がこれまでよくわかっていなかった歌詞は、「夜が深く長い時を越え」「冬の寒い日に 僕ら手を叩き 朝が来る光 わかりあってた!」「誰かの待つ歩道を歩いてく」の三箇所です。まずは、

 

LIFE IS A SHOW TIME すぐに分かるのさ

君と僕とは恋におちなくちゃ

夜が深く長い時を越え OH BABY

LOVELY LOVELY WAY 息を切らす

(「ラブリー」)

 

 ここでの「恋におちる」とは、「語りあう」とか「仲良くなる」「わかりあう」ということかなと思います。そしてこの「夜が深く長い時を越え」は、直前の「君と僕とは恋におちなくちゃ」か、直後の「LOVELY LOVELY WAY 息を切らす」か、どちらの文にかかるのか、と考えましたが、どちらにもかかるし、独立しているのでもある気がします。

 「夜が深く長い時」とは、もう明けないかと思われたような、深くて長い夜、そんな夜のことを指すように思います。そんな夜を、ちゃんと越えて、私は、生きてくることができた。そんな夜があって、そんな夜にあらゆることを感じて考えて生きてきた時間があったから、きっと同じようにあらゆることを感じて考えて生きてきたあなたと私は、仲よくなることができた。そうであるなら、「深くて長い夜」もあってよかったなと、思える気がします。

 「夜が深く長い時を越え」て生きてきた私たちは、君と話せばすぐに「恋におちなくちゃ」と直感してしまう。そして「LOVELY WAY」を、息を切らして走ってゆく。私とあなたが仲よくなれるのは、夜が深く長い時を越えてきたからなんですよね。

 次に、「冬の寒い日に 僕ら手を叩き 朝が来る光 わかりあってた!」。

 これは、「わかりあってた!」なんですね。ひととひとはおそらく、「わかりあう」ものです。けれどここでは、「わかりあってた!」なんですね。たしかに、「わかりあってた!」と気が付く瞬間は、あります。「つながってた!」というか、たとえば真逆の方向から同じ真ん中めざして進んでいたとか、真逆の方向に進んでいるけれど出発点は同じだったとか。これまでのそれぞれの人生の蓄積や、深く長い夜や。実は私たちは、どこかで「わかりあってた!」からこそ、「君と僕とは恋におちなくちゃ」と「すぐに分かる」のかもしれないです。

 そして「誰かの待つ歩道を歩いてく」とは、そんな「わかりあってた!」の瞬間や「いつか誰かと完全な恋におちる」ような美しい瞬間のために、その誰かと出会うために、人生を生きていく・歩いていく、ということなのですね。

 その歩道では、きっと誰かが、夜が深く長い時を越えながら待っている。私はそう信じている。「誰かが待っている」と確信しているこの歌詞は、すごい希望だなあ、と感じます。そうして出会ったのち、「君と僕とは外へ飛び出す」のです。

 といっても、ひとは、全然違うところで生きてきて、生きていて、ほんとうに相手を「わかる」ことはないのだろうと思います。それでも「わかりあってた!」とわかる瞬間は、ある。それはきっと思い過ごしでもなくて、ただ美しい瞬間です。

 

 さらにひととひととの関係といえば、私は中島みゆきさんの「糸」を思い出しました。

 「縦の糸はあなた 横の糸は私」。その糸と糸とが織りなすようすは、まさに「関係」そのものですよね。どちらかの糸だけでは、織ることができない。双方が意志をもって、縦の糸と横の糸が同じだけ織られるからこそ、ひとつになってゆける・仲よくなってゆけるし、どのような形・関係にも変化してゆける。横の糸である私は、私ひとりではただの糸であるけれど、縦の糸であるあなたと織られることで、布となることができる。そうしてできた関係、すなわち「織りなす布」は、「いつか誰かを暖めうるかもしれない」ものとなれる。この「いつか誰かを暖めうる」ということがどのようなことであるかについて具体的に挙げるのはむずかしいけれど、あなたと私の周りのひとも巻き込むことで新たな布ができあがるとか、そういうことかなと思います。

 「なぜめぐり逢うのか」も「いつめぐり逢うのか」も「私たちはいつも知らない」し、「こんな糸が何になるの」とふるえたりもするけれど、「誰かの待つ歩道を歩いて」「夜が深く長い時を越え」たらきっと、「完全な恋におち」てわかりあえたり、こんな私でも「誰かを暖めうる」ような関係を築き上げることができるのかもしれないな、と思いました。

 

 そうしたことを踏まえて、小沢健二さんの2ndアルバム『LIFE』についても考えました。このアルバムで1曲めから一貫して歌われているのは、「生きること」「ひとと生きること」「誰かが歩道で待っていると信じて歩いていくこと」ではないでしょうか。

 

家族や友人たちと並木道を歩くように曲がり角を曲がるように

僕らは何処へ行くのだろうかと何度も口に出してみたり

熱心に考え 深夜に恋人のことを思って 誰かのために祈るような

そんな気にもなるのかなんて考えたりするけど

(「愛し愛されて生きるのさ」)

 

 1曲め「愛し愛されて生きるのさ」で、「僕らは何処へ行くのだろうか」と問いかけています。

 歌詞のある曲のなかでは最後の曲である「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」でも、「Where do we go, hey now?」と問いかけています。「ねえ、ぼくたちどこへゆこう?」、と。

 『LIFE』の曲名はそれぞれ日本語ですが、それぞれにその英題がつけられています。

 歌詞のないほんとうの最後の曲「いちょう並木のセレナーデ(Reprise)」の英題は、「AND ON WE GO」とされています。このほかの曲は日本語の曲名とその英題がほぼ対応している(たとえば「愛し愛されて生きるのさ」は「LOVE IS WHAT WE NEED」であるし、「ラブリー」はそのまま「LOVELY」です)のに、「いちょう並木のセレナーデ(Reprise)」だけが対応していないのです。リプライズではないほうの「いちょう並木のセレナーデ」の英題は「STARDUST RENDEVOUS」であるけれど、歌詞に「星屑の中のランデブー」とあることから、それを用いているものと思われます。これはどういうことなのでしょうか?

     「AND ON WE GO」とは「AND WE GO ON」の倒置であって、「そしてぼくたちはつづいてゆく、次の場所へゆく」というような意味です。

 「僕らは何処へ行くのだろうか」「ねえ、ぼくたちどこへゆこう?」といった問いに対する答えは、ついにこのアルバムのなかに提示されません。「AND ON WE GO」「ぼくたちは次の場所へゆく」と、最後に暗示されているだけで、行く先は明示されません。このことが意味するのはきっと、「LIFE」すなわち人生には、向かうべき場所が予めあるのではなくて、「誰かの待つ歩道を歩いてく」ものなのである、ということなのでしょう。

 

いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて生きるのさ

それだけがただ僕らを悩める時にも未来の世界へ連れてく

(「愛し愛されて生きるのさ」)

 

 この箇所も、「未来の世界」で「誰もが誰か愛し愛されて生きる」予感があるから、「悩める時にも未来の世界へ」ゆけるのだ、ということなのではないでしょうか。それは「ラブリー」での「誰かの待つ歩道を歩いてく」と同じことであるように感じます。歩道の先には誰かが待っている、という予感があるから、わたしたちは歩いていける。歩いていく。このあたりの詞のすごいところは、「誰もが誰か愛し愛されて生きる」ことも「歩道の先に誰かが待っている」ことも、確信しているところです。

  いつか悲しみで胸がいっぱいでも、夜が深く長い時を越えて、誰かの待つ歩道を歩いていけば、誰かと完全な恋におちることもあるかもしれない。そうしたなら、LIFEはもうSHOW TIMEなのである。そこからLIFEは始まるのかもしれない。

 いや、きっと始まりなのではない。LIFEはただ、COMIN' BACKしただけなのだ。人生はほんとうは、いつだって美しい。こんなすてきな、甘くすてきな、機嫌無敵なデイズはいつまでも続いていく。誰かの待つ歩道を歩いてく。誰かが待っている、そんな予感がある。そこには誰かが待っていて、そうして出会えた君と僕とは恋におちるのだ。

 

LOVELY LOVELY WAY, CAN'T YOU SEE THE WAY?

IT'S A

(「ラブリー」)

 

 IT'S A、につづくことばは何でしょうか?LOVELY WAYなのだろうか?だとするとやはり、「LOVELY WAY」とは、「LIFE」のような気がします。

 

 小沢さんの詞が、身体感覚として、私に染みてくる。

 小沢さんの詞に、私の人生が沿うような瞬間があります。

 「あ、わかった」「こういうことなのかな」という、ぴんとくる瞬間。すっと自分のからだに流れこむ瞬間。これも糸と糸とが布を織るということなのかもしれないですね。縦の糸である小沢さんの詞だけがあってもそれは糸のままであって(私にとっては)、横の糸である受け取り手・私が、この詞ってこういうことなのかなだとか、私の人生を通して感じたり考えたりすることで、その詞と私との布ができあがっていく。私の生活を、人生を構成するような一部となってくれたりする。それが解釈するということで、関係をつくりあげるということなのかもしれないですね。

 「魔法的」、とてもよかったな。

     名古屋公演と大阪公演の、二回も行けた。

 小沢さんのライブは、予感どおり、私の大学生活の集大成となりました。私のこれまでを肯定したうえで、背中を押してくれました。

 

渦を巻く宇宙の力 弱き僕らの手を取り

強くなれと教えてくれる

ちゃんと食べること 眠ること

怪物を恐れずに進むこと

いつか絶望と希望が一緒にある世界へ

(「フクロウの声が聞こえる(新曲)」)

 

 小沢さんにとっての「強くなる」とは、「ちゃんと食べること 眠ること」なんだな。それでいいんだな。そこから始めていいんだな。「希望」をもつこと。けれど、希望だけをもつことが強さじゃないんだな。絶望と希望が一緒にある、ということが強さなのかもしれない。絶望も希望もゆるすことができることが、強さなのかもしれない。

 そして最後に小沢さんは、「はじまり はじまり と扉が開く」と歌ってくれました。相反するものたちが一緒にある世界へ行くことがはじまりなのだ。そこからはじまるのだ。うん。これでいい。

 けれど私も、ちゃんと食べて眠って、その上で怪物を恐れずに進む強さを身につけたい。そして、私を肯定してくれたひとたちに追いつきたい。そのひとたちみたいになりたい。次は私が肯定する番だ。10年後にはそこにたどり着きたい。まずはここからはじめるのだ。

 そういえば「魔法的」でやってくれた「大人になれば」でも、「僕らは歩くよ どこまでも行くよ なんだか知らないが 世界を抜けて 誰かに会うとしたら それはそうミラクル!」と歌っておられる。そう。きっと、「歩いてく」ってことなんだな。

 

 僕らは歩くよ。どこまでも行くよ。夜が深く長い時を越えながら。

 そこで出会うあなたが、私のこれまでを肯定してくれる。

 そんな魔法みたいな瞬間が人生にはある。

 

 いままで出会ったひとみんなありがとう。

 あなたのおかげで私はここまでたどり着けました。

 そしてこれからも歩くのだ。

 歩道の先ではきっとまた誰かが待っている。

 

 最後に引用。

 

…ですが、かけがえのない人は、人生において確かに存在します。家族、友人、そして恋人や配偶者、私たちは真剣に生きるなかでそういう人たちと出会っていきます。「赤い糸」のように前から決まっている人生ではありません。しかし、たまたま出会った人々と一緒に生きていくこと、それが「かけがえのなさ」を育んでいくはずです。

 私は「あなた」と出会い、人生を一変させます。いや、そこで初めて人生が意味を持つ気さえします。そこで出会う私とあなたとは、一体何者でしょうか。私は、もはや肩書きや財産や容姿や、この肉体とそれにまつわる物を指してはいないはずです。私が出会うのは「あなた自身」であり、そうして出会っているのは「私自身」です。つまり、魂と魂とが裸で出会い触れ合うのです。それは私たち人間同士が抱きうる、そして抱くべき愛なのです。私たちは言葉を語り合いながら、なにかを求め、生み出しながら必死に生きています。その同じものを愛し求める者同士、あるいは導き手が、かけがえのない愛の仲間です。

納富信留プラトンとの哲学 対話篇をよむ』岩波新書 2015年7月22日 p-142

 

 一見、ここまで私が記述してきた「ラブリー」や『LIFE』の解釈と、『「赤い糸」のように前から決まっている人生ではありません。』という一文とは、相反するように感じられます。けれど、「ラブリー」や『LIFE』での「歩道の先に誰かが待っている」という確信も、「赤い糸のようにこのひとと出会うという運命」とは異なるはずです。「夜が深く長い時を越え」るからこそ、そのひとには出会えるのだと思います。何もしないでもはじめからすべてが決まっている、というのではない。「夜が深く長い時を越え」ながら、歩道を自分が歩いてゆくからこそ、のちに「あなた」となる「誰か」に出会えるのですよね。つまり「自分が自分を、自分の人生を、きちんと生きていく」ということなのですね。

 上記の「かけがえのない人は、人生において確かに存在します。家族、友人、そして恋人や配偶者、私たちは真剣に生きるなかでそういう人たちと出会っていきます。」という表現と、「ラブリー」の「LIFE IS A SHOW TIME すぐに分かるのさ 君と僕とは恋におちなくちゃ 夜が深く長い時を越え OH BABY LOVELY LOVELY WAY 息を切らす」という表現とは、とても近いことを伝えているように感じます。「夜が深く長い時」を、あらゆることを感じて考えながら「真剣に」生きるから、あなたと出会える。『たまたま出会った人々と一緒に生きていくこと、それが「かけがえのなさ」を育んでいくはずです』。これも、「あなたとわたしで糸を織る」ということのような気がします。そうして私たちは「かけがえのない愛の仲間」となり、いつか「外へ飛び出」して、また誰かの待つ歩道を歩いていくのですね。

 

 「あなた」と出会い続ける人生でありますように。

    そうであるよう、歩いてゆきたい。

    生きてゆきたい。

    

 

 

 写真は、大阪公演最終日に、私の隣にいたおねえさんが、小沢さんが投げた「魔法的電子回路」を幸運にもキャッチなさったので、終演後にお願いして撮らせてもらった、その小沢さんが投げた「魔法的電子回路」のどアップです。

 

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原点について

 
  2016年7月2日(土)
 
 髪切ったしな。夏の始まりだな。と、きのう、思っていたら、あっという間だった。
 猛暑日。今季初蝉。今季初エアコン。アイスも食べたし。まあ、アイスは、今季初じゃないんだけども。
 見渡すかぎり山に囲まれた京都の酷暑が始まる。
 
 もう来年はここにいないかもしれないのだなあ、と思うと、京都が愛しくてたまらない。私は、修学旅行で初めて来た十七歳のときから、京都が大好きだ。
  「どうしてわざわざ北海道から京都の大学に来たの」とよく聞かれる。その際には、「一応道内の国立志望だったんですが私の数学の偏差値が四〇しかなくてやっぱ無理だったんで」という理由は隠しておいて、「修学旅行で好きになりました」と答える。
 修学旅行は十月だった。夜の自由行動時間に目的もなく外を歩いていると、とてもよい匂いが、どこにも立ち込めていた。それはいままでにかいだことがなかった。京都ってこんな素敵な匂いのする街なんだな、と、札幌にはない町の古さと同時に、強く惹かれた。初めて来た土地で過ごす特別な夜であるという、気分の高揚感も合わされていたのかもしれないが、その京都の匂いに惹かれるまま、二年後にはほんとうに京都に来てしまった。そうして京都での生活がはじまった一回生の秋に、気がついた。あの匂いは金木犀というものであったらしい(北海道には分布していないのだ)。あの修学旅行の日の金木犀が、私の、京都生活の原点であった。
 と話すと、とてもうけがよい。文学的ですね、といわれる。そうでしょう。これね、信じられないかもしれないけどね、実話なんですよ。
 私は大学一回生の後期から、在学期間の九割の日数(計算しました)をひとりで過ごした。それまで明るいふつうの子(小中高の私を知るひとからの異論はありそうだが)だった私は、二十歳で人生が転覆した。休学をして学年がずれたあとは特に、大学に行っても誰とも話さないし、そもそも誰にも会わないし、ひとりで登校してひとりで授業を受けてひとりでごはんをたべてひとりで下校して家でもひとりで、ほぼどこにも出かけないし、バイト以外はずっとひとりだった。毎日が憂鬱との闘いだった。
「 独りであること」、「未熟であること」、
これが私の二十歳の原点である。
 そんな風なので、ちょうど二十歳のときに読んで「このひとはわたしだ」「わたしはこのひとに出会うためにこの大学に来たのかも」と、一気に傾倒した高野さんの『二十歳の原点』を、自らの「二十歳の原点」とした。「独りであること」からみえるものをさがそう、と思った。
 ひとが嫌いなわけでは決してない。ひとはみんな優しいってことはわかっているし、友だちがほしいとずっと思っていた。飛び込めば受け止めてくれる場所があることも知っていた。けれどこわくてたまらなかった。初対面ではどうにかやれるけど、それ以降仲良くし続けることがどうしてもできなくて、時々よくしてくれるひとがあっても、思い切り距離を引いてしまう。だから定期的に交流できるひとがいなかった。というか、いなくしていた。これまでのことを振り返ってみても、どうしようもなかったと思うし、いまの私にも、あのときの自分を許してあげて、愛してあげることしかできない。ただ、いまの私ならもうすこしうまくやれる。
 だから「大学生活」自体にはほとんど思い出がない。同じゼミのひとたちが仲よさそうに話しているのを見たり、サークルで楽しそうにしているひとたち・学食で友達とごはんをたべているひとたちをみると、うらやましくてたまらないし、劣等感に苛まれる。でも自分がひととの関わりから逃げたせいだしなあと、納得しようとする。特に復学後は、リハビリみたいな大学生活だった。
 それでもずっと京都は好きな町。
 きょうは、四条高倉へ行って用事をして、一乗寺まで。自転車で。最高気温三十六度のなか、私はなんでこんなにひた走ってるんだろうなど考えたけれど、そんなことをできることすら、私には愛しくてたまらない。はあー、生きてる。ひとりで鴨川沿いを走りながら、泣きそうになる。陽が熱い。腕が焼かれる。自分が生きていることがとうといと思えた。自分が京都で三年間生きてきたことが、とうとかった。膝丈ワンピースの裾が翻るのをおさえながら激チャする。すれ違う男のひとが露骨に私の足を見る。そんなことすらいまは美しい。
 洛北カナートのスガキヤで、休憩がてらラーメンとソフトクリームを食べながら(とてもおいしい)、京都に来たばかりのころに立てた目標を思い出した。
 ひとりで生きる強さを身につけること。
 ひとりでは生きられないと知ること。
 当時は希望にあふれていたし、ここで指した「ひとり」とは「ひとり暮らし」のことであって、ここまで記述してきたような「ほんとにひとり」のことではない。
 それにしても、概ね達成できたな、と思った。
 ずっとひとりだったから大体どこでもひとりで行ける(もったいなくてしないけど、ひとり遊園地もひとり焼肉も絶対へいき)。でもそれがひとりで生きる強さではないのだろう。
 ひとりで生きる強さとは、だれかと生きていこうとする強さ、だと思うんだな。根拠とかはないんだけど。そしてだれかと生きようと思うとね、ひとりで生きる強さが必要になるんだよね。
 もちろん、ここまで執拗に「ずっとひとりだった」と書いてきながらも、「ひとりで生きてきた」とは少しも思っていない。物理的(?)にはひとりであったけれど、心理的(?)にはずっとひとに頼っていたし、ひとからもらえることばで、生きてきた。経済的には実家に頼りきりだ。であるから、「ひとりでは生きられない」と、身に沁みて感じている。
 「独りであること」からみえたものは、こういうものだったのかな。
     
 これからについて。
 「大学生活」はもうあきらめた。これからもひとりで図書館にこもっていると思う。よし、いっぱい本読んで日記も書くぞ。でもゼミでは、いままでのみんなとの「あいさつ」にプラスで、なにか話せるようになろう。
 そして京都の町をもっと回りたいなあー。好きなわりに、地元になってしまったせいか引きこもりになったせいか、ぜんぜん出かけられていない。出かけよう。京都の四季を、もっときちんと眺めたいなあ。楽しみ。
 ひととの関わりのなかで生きていくこと。
 四季のなかで生きていくこと。
 これを二十三歳の原点とします。
 『二十歳の原点』はこれからも「私の二十歳の原点」であるし、「人生の原点」でありつづけると思う。二十歳が「成人」であって、人と成る、第二の誕生であるとしたらやはり、人生が転覆した二十歳は私の原点なのだろう。
 これまではどちらかというと後ろ向きな意味で「独りであること」「未熟であること」を解していた。私はひとりであることしかできないし、私は何もできないしものを何も知らないからはずかしい。
 いまは、とても前向きな意味でとらえている。「独りであること(ひととひとは最終的には別の人間なのであって、だからこそ築いていく関係は美しい)」、「未熟であること(自分は未熟であって、だからもっとものを知るべきであり、どこへでもいける)」。あ、やっぱりこれを私の、人生持ち直した二十三歳の原点としようかな。
 あちこちに原点がある人生も、それもいい気がしてきた。
 札幌はほんとうの原点だし京都も原点だし、あのひともこのひともあの本もこの漫画も、私の原点である。
 そうだ、原点を増やし続ける人生を送ろう。
 あ、やっぱりこれを、私の二十三歳の原点としよう(もうなんでもあり)。
 
 イエス、ラブザワールド!←最近の口ぐせ
 

  ↓写真は鴨川沿いです。

 
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兆す

     

 季節が放つ光のなかで深呼吸するように過ぎた日々は、たしかにあのひとがいたことを記憶させてくれた。三月はにぶい春の光。風だけがつめたい春の夜。わたしたちは目的もなくただ歩いた。

 

     ( where do we go? )

 

     「恋におちる」とは、からだごと全身の落下であると思う。自身の心境の変化による、そう簡単に脱出できやしない未知―それは相手であると同時に、自分がどうなってしまうのかさえわからない世界ともいえる―への落下。落下して、留まりつづけること。それに対して、「惹かれる」、とは?心がゆるやかになめらかに、しかし確実に、対象へ引き寄せられつつある状態?
 
 
    ( where do you go? )
 
 
 ミツキさん。と、律儀な発音で読んだあと、あのひとは、今度はわたしの目をすっと見つめて、「ミツキさん」と呼んだ。やわらかい。自分の名前に音楽が流れていることに、初めて気がついた。意外とよく笑うんですね、と言ったあのひとは、わたしの想像通りよく笑った。四月の終わりはすでに初夏の始まるようにまばゆかった。「ふれたい」と思ったとき、夏へ向けた加速は始まっていたのかもしれなかった。それでもわたしはまだわからなかった。わからなかったのに。
 
 
     ( where do I go? )
 
 
 名前を呼んで、あのひとがこの手に伝えた体温が、わたしに兆してしまった一筋の光。三月はにぶい春の光。四月はまばゆい春の光。引き寄せられながら、落下しながら、のこり十ヶ月分の、あなたが放つ光を、わたしは知りたい。
 
 
     where do we go, hey now?
 
 
 
 
 
(「where do we go, hey now?」小沢健二「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」より)
 
 
 

夏の花

     

     夏の花が咲きはじめている。

     凌霄花、のうぜんかずら、空凌ぐ花。

     百日紅さるすべり百日紅いろをつける花。
 
     のうぜんかずらは、通学路にて、先週見つけた。堂々とした花のいろ、花のつけ方。わたしにはなくて、憧れる。そっかもうそんな時季なのか、なんてぼんやりしていたら昨日、おなじ通学路にて、さるすべりを見つけた。もう夏なのか!ああ、気がつけば6月も、22日まで数えているじゃないか。ああ、そこには芙蓉も咲いているじゃないか。梅雨に油断している場合ではないのだ。もう夏なのだ!
  あと一週間とすこしで7月が始まるらしいので、このやや興奮したテンションのまま1年前の今ごろの手書きノートを読み返してみたら、赤面。定期的に過去を振り返ることはだいじである。忘れていた気持ちを思いだすことがあるし、意外といいことを書いていたりもする(でもひとに読まれるくらいなら舌噛み切って絶命します)。
 
     1年生きてきた。
     咲く花は、そのことを知らせてくれるから、私は花が好きだ。北海道と違って本州はすごいよね。ひと月ごとに、違う花が、きちんと咲くのだから。花暦とはこのことなのか。
      太宰治「斜陽」に、こんな一節がある。以下引用。
 
 
    「夏の花が好きなひとは、夏に死ぬっていうけれども、本当かしら。」
      きょうもお母さまは、私の畑仕事をじっと見ていらして、ふいとそんな事をおっしゃった。私は黙っておナスに水をやっていた。ああ、そういえば、もう初夏だ。
    「私は、ねむの花が好きなんだけれども、ここのお庭には、一本もないのね。」
      とお母さまは、また、しずかにおっしゃる。
     「夾竹桃があるじゃないの。」
       私は、わざと、つっけんどんな口調で言った。
     「あれは、きらいなの。夏の花は、たいていすきだけど、あれは、おきゃんすぎて。」
     「私なら薔薇がいいな。だけど、あれは四季咲きだから、薔薇の好きなひとは、春に死んで、夏に死んで、秋に死んで、冬に死んで、四度も死に直さなければならないの?
        二人、笑った。
        太宰治「斜陽」
 
     私も夏の花が好きだ。既述したような、のうぜんかずらやさるすべりなど。とはいっても、私はつつじやサツキも好きだし、金木犀は1年でいちばんのビッグイベントであるし、椿も好きだ。四季のそれぞれをそれぞれの時季にだけ彩ってくれる一季咲きの花が、その季節ごとに好きだから、私もまたその季節ごとに何度も死に直さなければならないのかもしれない。それは、あれもこれも好きだと欲張る罰なのかもしれない。けれど、何度も死に直すということは、何度も生き直すということになるのかしら。そうであるなら私は甘んじて受け入れたい。
 
    1年生きてきた。
    夏は、「生きてきた」と、そのほかの季節よりも、強く思わせてくれるから好きだ。夏には実家に帰省する。夏には恒例イベントがたくさんある。もちろん冬にも帰省するし、おおみそかなどの恒例イベントはあるけれど、夏の方がわくわくする。夏自体が生命力にあふれるような季節だからだろうか。
     私は毎夏、函館の親戚の家へあそびにゆく。毎年、おなじひとに会う。親戚とかね。おなじところへ出かける。函館山のほうとかね。おなじものをみて、おなじものをたべるしおなじものをおみやげに買ったりする。金森倉庫にいったりおすしをたべたりおどるいかグミを買ったりね。去年もこんなふうに過ごした。それから秋を越え冬を越え春を越え、またここにきた。365日×24時間という時間を、1秒も止めることなくここまで繋げてきたのだ。
     1年生きてきた。そのことを感じるようになったのは、たしか15歳のときだった。それもやはり夏だった。毎年恒例の、おばあちゃんちの近所の夏祭りに行った帰りの車の中だった。1年前にもここに来た。それからきょうまでわたしは生きてきたのだ。1年を生きてきた時間の重みを知ったのはそのときだった。私はそれから8年生きてきた。
 
    大森靖子さんは「呪いは水色」のなかで、
 
生きている 生きてゆく
生きてきた 愛の隣で
私たちはいつか死ぬのよ
夜を越えても
 
とうたっている。「生きている現在」「生きてゆく未来」「生きてきた過去」。この、「現在未来過去」と三点に分けてしまえばそれぞれが断絶されてしまうような、非連続的なようで実は連続的な三つの時間のうち、「生きてきた過去」が、私にはもっともとうとく思われる。生きてきたんだよ。生きてきたんだ。何度か死にかけたりしながらも生きてきた。生きていることも生きてゆくことも、それらはまだ確定していないから心もとないけれども、生きてきた、のは事実であって、その事実が私を支えてくれる。これからを生きてゆく推進力となってくれる。そうして生きている現在も生きてゆく未来もいつか、生きてきた過去となって、また私を支えてくれるのだろう。
     最近、私がこれまでどうにか生きてきたのは生きさせてくれるひとがいた・いるからだなあ、と感じることができるようになった。生きさせてくれる。いろいろなことばや時間をくれながら。生きさせてくれる。生きさせてくれるひとがいるから、生きているし、生きてゆくし、生きてきた。「呪いは水色」のなかで、この三つの時間のあとに「愛の隣で」とつけられているのは、そういうことなのではないか。
 
 
     この日記をきっと来年、私は読み返すのでしょう。そして「1年生きてきた」と感じるのでしょう。そのころには凌霄花百日紅も咲いているのでしょう。そうしてまた1年生きてゆくのでしょう。ただ、「私たちはいつか死ぬ」のでしょう。あと何回、「1年生きてきた」を、感じることができるでしょうか。
 
  ことしも夏が始まります。
 
 
 
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わたしはさわやかな風がすきなので
六月の湿気が得意ではない

窓の外には可視化する憂うつ

わたしは晴れがすきなので
雨がやはり得意ではない

きょうはひねもすの降水
虹が架かるまでおやすみなさい


薄れゆく意識のなかで
あなたの水平線を越えるわたしをみた

移ろいゆく季節のなかで
わたしの水平線を越えるあなたをみた


起きたら外へ出かけてみましょう
虹はなないろ

あまみず跳ねても
スカート翻す
街と 六月の 向こう側へ

駆けてくわたしは
夏をいっぴき連れてゆきます

そこにはきっとあなたがいる
雲ひとつない青い季節がある

だから灼ける空の下でふたり
水平線のその先まで落ちてゆきたい

海の底ではきっとその手つないで笑えるので







駆け出そうか

    

赤い唇が色あせる前に

その熱い血潮の枯れぬ間に

きみは駆け出すんだね

今日は春の中へ

瞳の中に花が咲いて

サニーデイ・サービス「東京」

 
     サニーデイ・サービスの「東京再訪」をみてきました。「絶対いいよね〜」という想像の一億倍上回って、よかった。100年分の恋をした。人生で一番拍手した。人生ではじめてスタンディングオベーションしそうになった(すればよかった)。
 
     曲とは、CDで聞いて、ライブで聞いて、そこではじめて完結するものなんだな、ということを以前から思っていました。「東京」をライブで、通しで聞いてみて、そのことを改めて痛感しました。「東京」ってやっぱりこういうアルバムなんだな、と感じるなど。それはまた書くことにします。
 
     いまわたしは帰りの電車の中です。「東京」を聞いています。一年前の渋谷公会堂ワンマンのときも、帰りに「東京」を聞いていたなあ。
     
ぼくも駆け出そうか
きょうは街の中へ
瞳の中に風が吹いて
 
     街の中へ、東京のなかへと駆け出したわたしはまた、京都へと駆け出さなきゃなんない。ちいさな短編集をひとつひとつと読むような生活がそこにはある。
     「東京」で描かれた「東京」とは、実はどこの街でもありうるのだと思う。京都の街にも、「東京」のような季節や思いや若者たちの光景はある。わたしも、「東京」のなかの「ぼく」や「きみ」なのかもしれない。わたしは「ぼく」や「きみ」を眺める存在であると同時に、眺められる「ぼく」や「きみ」なのでしょう。客体でありながらも主体として、どこかの街の主人公として、私にとってはそれは京都で、また生活をしてゆこう。同時多発的に日々はある。
 
 
     瞳の中に風が吹いたならいつかきっとたどり着く場所へ。この熱い血潮の枯れぬまに。
 
 
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