秋の微風

 金木犀が香りはじめた日から、町の風は急にやわらかくなる。やさしくなる。秋雨はやみ、空気はあたたかく、季節は彼らのための舞台である。

 以前に書いた通り(unabara1675.hatenablog.com)、私が京都の大学を志望したのは、高校の修学旅行で訪れた京都ではじめてかいだ金木犀がきっかけだった。私が生まれ育った北海道にはざんねんながら自生していないので、まさかこれが樹木から発せられているとは思わず、「これが古都・京都の匂いか!」と舞い上がっていたのである。

 そうしてその匂いに誘われるまま、念願通り京都の大学に進学した一回生の秋に、「京都に特有のものだと思い込んでいたあの素敵な匂いはこの金木犀というものだったのか」と気がつくことになる。

 私の京都生活、すなわち高校卒業以降の人生の原点は金木犀にあるといっても過言ではない。

 高校時代までの私の中には存在しなかったため、私にとっての金木犀につめこまれた思い出とはすべて大学生になってからのものである。好きなひとがいようなら、「金木犀を探しに出かけませんか」とお誘いしたい思いを抱いたりもした(そのフレーズを使うことはついに一度もなかったけれど)。

 「別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。」と書いたのは川端康成(「化粧の天使達」より)だが、ずるい女は、相手のもつ花と匂いの記憶に、自分を紐づけようとする。金木犀とは、一季限りの花と一季限りの匂いとを併せもつ、最強の樹木であろうと思う。どうかあなたが金木犀とともに私を永遠に思い出しますように。そんなかわいい呪いくらい、許してね。

 とはいいつつも大学時代の私には友だちもおらず、持て余す時間なら無限にあったから、キャンパス内の金木犀の下で、一時間だってただぼんやりとしていた。たとえば四回生時のそのときに考えていたことは、今でもよく記憶している。

 「始まったばかりの今学期・後期が終われば、私はこの大学を卒業する。卒業論文は着地点がよく見えず、好きなこともやれることもやりたいこともたった一つしかないのにそれを選ばず、半年後の自分がどこに住んでいるのかも不透明だ」。頭にあるのはそんなことばかりだったけれど、それでも不安だらけというわけではなく、私はただぼんやりとしていたのだった。そんな持ち前の軽薄さで、これまで生きてきた。

 そして 二〇一八年九月二七日現在の私も同じように、金木犀の下のベンチに座り込んでいる。その匂いを、胸焼けのしそうなほどに吸い込む。この季節が来るたびに私を思い出すことになったであろうその人のことは、もう覚えていないな、と思う。

 

期待外れな程

感情的にはなりきれず

目を閉じるたびに

あの日の言葉が消えてゆく

 

いつの間にか地面に映った

影が伸びて解らなくなった

赤黄色の金木犀

香りがしてたまらなくなって

なぜか無駄に胸が

騒いでしまう帰り道

フジファブリック「赤黄色の金木犀