思い出し泣きする話

   

 私は大学1回生の後期から精神的にやばくなりはじめました。小学生のころから不安定だと親戚には言われているし、中学の卒業式の日には担任の先生からお前はふらっと死にそうだ、死ぬなよと言われたりしてはいたけれど

    大学に入ってからのその不調の原因はいろいろあったのだろうし、いまだによくわかりませんが、まあいろいろあったのでしょう。PMDDが始まったのもこのあたりの気がします。

    私は攻撃性0・外向性0・内向性100のタイプなので、どんなにつらくてもひとに電話をかけたり連絡しまくることはしません。けれど、高3のときの担任の先生にだけは大学1回生12月の夜に、突然電話をかけたことがありました。
    過食症に片足突っ込んで毎日つらくて死にたかったころでした。なんで先生にかけたんだろうか。電話番号を知ってたからかなあ。先生は担任だったしまあまあ仲はよかったものの(みんなと仲のよい、みんなに好かれる先生でした)、私の進学先決定のお知らせ以降、一度も連絡をとっていませんでした。
 そのとき電話でなにを話したかは、もう覚えていないです。私のことだから、つらいとわめいたりたくさん話したわけではなかったでしょう。たぶんぐずぐずと喋っていました。でも先生は優しかった。過食して具合が悪くなっているときなので、私は電話の途中で「ごめんなさい、ちょっと」と言って切って、お手洗いでいろいろしたりしていました。そしてまた電話をかける、みたいなことを2回くらい繰り返しました。そのたび、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。優しい。先生は説教なんてしなかったし無理に話を聞き出すこともしなかったし、結論を導こうともしませんでした。だいたい、つらいとか言って突然電話をかけてくる奴は、思いつくほかのひとたちを置いてそのひとだけに助けを求めているのであって、でも具体的に助けて欲しいとか思っているわけではなくて、おそらく安心したいのであるから、説教なんてしたら逆効果なのです。先生は正しかった。
    そのときはまだ父も私に厳しくて、帰りたいと電話口で泣いたら怒られました。まあそりゃそうだわな。それでもずっとつらかった。そして先生に、泣いたか泣いてないかは覚えていないけれど「帰りたい」と話したら、「あなたがどんな姿になってても僕は空港まであなたを迎えにいって、おかえりって言ってあげますよ」と言ってくれました。優しい。ああ、思い出し泣きしてしまう。結局私は、帰りませんでした。9ヶ月後にはいよいよダメになって休学したけど。
     いつでも優しいことばをかけてあげればいいわけではないし、でもいつでも正しい論だけが正しいわけではないし、説教が人を殺すこともある。それを正確に判断した先生はすごいなあと思う。常に大事なことは、相手を否定しないことだ。
     復学した年の夏休みに、出身高校に遊びに行きました。高1のときの担任の先生と会って話したときに、「そういえばH先生(高3のときの担任の先生)が、君から電話が来たって言ってたことあったけど」と言われました。そう、前述の話です。H先生も私から電話が来てびっくりしたのだろうし、それも緊急事態的な電話だったから、高1のときの担任の先生に話したんだろうなあ。そして高1のときの担任の先生は、「なんでぼくには電話くれなかったの」と言いました。嫉妬!!可愛い!!!!!
     その先生も、私が高校生活に挫けてたころを助けてくれた先生です。先生の電話番号知らなかったからですよ、と言ってごまかしました(ほんとに知らなかったもん)。
    帰る場所があるって素晴らしい。いい学校だったなあ。みんな転勤しちゃったからあの校舎にはもういないけれど、先生たちに会いたいなあ。こんど帰省したら、会いに行こうかなあ。
     と、いい話風にまとめましたが、その高3のときの担任の先生はとても変なひとで、「あなたをみてると蹴りたくなるんですよねえ」と言われたことがあります。先生大好き。