恋人の部屋

 
ははとのLINEより
はは「いまかれしんち?
わたし「うん、そうだよ」
 
はは「かれし、寝た?」
わたし「茶の間でふだん寝ているらしいので八時に寝た」
 
    おつきあいしている相手のことは恋人と呼びたいよね、とは、高校のときから流星の友人と妄想していた。三人称としての「彼」「彼女」はおとなで素敵だけれど、恋人の呼称としての彼氏とか彼女ということばはあまり使いたくない。
    そう。でも、かれし。
    ここで本人の知らぬ間にかれしと呼ばれているひとはわたしの二親等にあたり、わたしの54歳年上である。わたしが札幌に帰省しているあいだだけ、かれしとされている。
    じーちゃんはとても時間にきっかりしたひとだ。たとえば10時に家を出るならば、9時50分には準備完了をして、帽子までかぶって座って待っているひとである。
    特に用事のないときには、わたしはほぼじーちゃんちへ行く。
    
 
朝9時過ぎ
じーちゃんからの電話「きょうはうちくるか、なんじにくるんだ」
わたし「んー12時くらいかな」
じーちゃん「きをつけてこいよ」
お昼12時過ぎ
(時間にルーズな私は12時過ぎに家を出る)
じーちゃんからの電話「いまどこにいる」
わたし「あ、ごめん今家でた」
じーちゃん「きをつけてこいよ」
13時ころ
(じーちゃんち到着後まもなく)
じーちゃん「きょうは泊まるのか」
わたし「んーきょうは帰ろうかな」
じーちゃん「そうか次はいつ来るんだ、あしたはくるのか、俺はなああした午前中はいないぞ、」
わたし「おおお、そしたら午後からこようかなあ」
18時ころ
じーちゃん「帰るのか。次はいつ来るんだ」
わたし「うーん午後かな」
この段落一番上に戻る。
3日ほどじーちゃんちに行かないときも、この段落一番上にもどる。
そして、はは「じーちゃん、かれしだ」
 
    じーちゃんをあと50歳若くして他人にしたなら、上の会話はかれしさながらである(たぶん)。日中どうしてもひとりになる時間がさみしいのか、このように連絡がくることがある。わたしもじーちゃんが好きなので、頻繁に遊びに行く。時々はお昼ごはんを食べに近所までおでかけする(はは「いいな、ランチデート」)。
    時間に厳しいじーちゃんと、どうしても遅刻するわたしのちぐはぐな生活。それでもじーちゃんちでの時間は、まったりと進む。じーちゃんは、大体新聞を読むかテレビを見るか家事をしているか寝ている。飼い猫のまるさんは、大体いたずらしているか窓の外の鳥を見つめているかわたしに撫でられて猫パンチを繰り出すか寝ている。あとは常に可愛い。可愛い。歩いているだけで可愛い。北海道弁で言えばめんこい。わたしはといえば、大体iPhoneでなにかしているか書きものをしているか本を読むか掃除をするか猫のまるさんと遊んでいる(じゃらすと遊んでくれるけど、撫でるとパンチされる)。
    そしてすこしだけ窓を開けると、夏の北海道のさわやかな風が流れこむ。近所の公園からは野球少年たちの掛け声が聞こえる。私はここで、穏やかな時間を過ごす。
彼女の部屋から見えるのは 街に溶けゆく太陽か
猫がいるような部屋でとりあえず僕は詩を書こう
       サニーデイ・サービス「恋人の部屋」 
    まさにこんな風である。
    じーちゃんちの部屋は一階にあるから「街を行く人たちを見降ろして」はできないけれど、ここからは街に溶けゆく太陽が見える。猫がいるような部屋でわたしは詩を書く。美しい時間を過ごす。
    ただ、「恋人の部屋」がノンフィクションであるかどうかはわからないしどちらでもよいけれども、猫がいるような部屋で詩を書くのは至難のわざであるということは、サニーデイの曽我部さんにお伝えしておきたい。たとえば、先ほどご紹介したじーちゃんちの猫・まるさんは、わたしが右手に握るペンの、文字を書く動きに反応してそれにじゃれつき噛みついてくるし、ノートや手帳から栞のひもが下がっていようものなら猫パンチを止めない。噛みつかれた栞のひもはほつれ、うわーっとなる。この状況下で、まともに文字など書けやしないのだ。猫は大体のことにじゃましてくる生きものである(可愛いから許す)。
    それでも詩を書かずにいられないような気持ちにさせるのが、恋人の部屋なのだ。これからもまるさんの攻撃にめげずに、かれしの部屋では詩を書こう。
 
 
    ↓写真はびじんのまるさんです♡
 
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    ↓犯行現場です♡
 
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