兆す

     

 季節が放つ光のなかで深呼吸するように過ぎた日々は、たしかにあのひとがいたことを記憶させてくれた。三月はにぶい春の光。風だけがつめたい春の夜。わたしたちは目的もなくただ歩いた。

 

     ( where do we go? )

 

     「恋におちる」とは、からだごと全身の落下であると思う。自身の心境の変化による、そう簡単に脱出できやしない未知―それは相手であると同時に、自分がどうなってしまうのかさえわからない世界ともいえる―への落下。落下して、留まりつづけること。それに対して、「惹かれる」、とは?心がゆるやかになめらかに、しかし確実に、対象へ引き寄せられつつある状態?
 
 
    ( where do you go? )
 
 
 ミツキさん。と、律儀な発音で読んだあと、あのひとは、今度はわたしの目をすっと見つめて、「ミツキさん」と呼んだ。やわらかい。自分の名前に音楽が流れていることに、初めて気がついた。意外とよく笑うんですね、と言ったあのひとは、わたしの想像通りよく笑った。四月の終わりはすでに初夏の始まるようにまばゆかった。「ふれたい」と思ったとき、夏へ向けた加速は始まっていたのかもしれなかった。それでもわたしはまだわからなかった。わからなかったのに。
 
 
     ( where do I go? )
 
 
 名前を呼んで、あのひとがこの手に伝えた体温が、わたしに兆してしまった一筋の光。三月はにぶい春の光。四月はまばゆい春の光。引き寄せられながら、落下しながら、のこり十ヶ月分の、あなたが放つ光を、わたしは知りたい。
 
 
     where do we go, hey now?
 
 
 
 
 
(「where do we go, hey now?」小沢健二「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」より)
 
 
 

夏の花

     

     夏の花が咲きはじめている。

     凌霄花、のうぜんかずら、空凌ぐ花。

     百日紅さるすべり百日紅いろをつける花。
 
     のうぜんかずらは、通学路にて、先週見つけた。堂々とした花のいろ、花のつけ方。わたしにはなくて、憧れる。そっかもうそんな時季なのか、なんてぼんやりしていたら昨日、おなじ通学路にて、さるすべりを見つけた。もう夏なのか!ああ、気がつけば6月も、22日まで数えているじゃないか。ああ、そこには芙蓉も咲いているじゃないか。梅雨に油断している場合ではないのだ。もう夏なのだ!
  あと一週間とすこしで7月が始まるらしいので、このやや興奮したテンションのまま1年前の今ごろの手書きノートを読み返してみたら、赤面。定期的に過去を振り返ることはだいじである。忘れていた気持ちを思いだすことがあるし、意外といいことを書いていたりもする(でもひとに読まれるくらいなら舌噛み切って絶命します)。
 
     1年生きてきた。
     咲く花は、そのことを知らせてくれるから、私は花が好きだ。北海道と違って本州はすごいよね。ひと月ごとに、違う花が、きちんと咲くのだから。花暦とはこのことなのか。
      太宰治「斜陽」に、こんな一節がある。以下引用。
 
 
    「夏の花が好きなひとは、夏に死ぬっていうけれども、本当かしら。」
      きょうもお母さまは、私の畑仕事をじっと見ていらして、ふいとそんな事をおっしゃった。私は黙っておナスに水をやっていた。ああ、そういえば、もう初夏だ。
    「私は、ねむの花が好きなんだけれども、ここのお庭には、一本もないのね。」
      とお母さまは、また、しずかにおっしゃる。
     「夾竹桃があるじゃないの。」
       私は、わざと、つっけんどんな口調で言った。
     「あれは、きらいなの。夏の花は、たいていすきだけど、あれは、おきゃんすぎて。」
     「私なら薔薇がいいな。だけど、あれは四季咲きだから、薔薇の好きなひとは、春に死んで、夏に死んで、秋に死んで、冬に死んで、四度も死に直さなければならないの?
        二人、笑った。
        太宰治「斜陽」
 
     私も夏の花が好きだ。既述したような、のうぜんかずらやさるすべりなど。とはいっても、私はつつじやサツキも好きだし、金木犀は1年でいちばんのビッグイベントであるし、椿も好きだ。四季のそれぞれをそれぞれの時季にだけ彩ってくれる一季咲きの花が、その季節ごとに好きだから、私もまたその季節ごとに何度も死に直さなければならないのかもしれない。それは、あれもこれも好きだと欲張る罰なのかもしれない。けれど、何度も死に直すということは、何度も生き直すということになるのかしら。そうであるなら私は甘んじて受け入れたい。
 
    1年生きてきた。
    夏は、「生きてきた」と、そのほかの季節よりも、強く思わせてくれるから好きだ。夏には実家に帰省する。夏には恒例イベントがたくさんある。もちろん冬にも帰省するし、おおみそかなどの恒例イベントはあるけれど、夏の方がわくわくする。夏自体が生命力にあふれるような季節だからだろうか。
     私は毎夏、函館の親戚の家へあそびにゆく。毎年、おなじひとに会う。親戚とかね。おなじところへ出かける。函館山のほうとかね。おなじものをみて、おなじものをたべるしおなじものをおみやげに買ったりする。金森倉庫にいったりおすしをたべたりおどるいかグミを買ったりね。去年もこんなふうに過ごした。それから秋を越え冬を越え春を越え、またここにきた。365日×24時間という時間を、1秒も止めることなくここまで繋げてきたのだ。
     1年生きてきた。そのことを感じるようになったのは、たしか15歳のときだった。それもやはり夏だった。毎年恒例の、おばあちゃんちの近所の夏祭りに行った帰りの車の中だった。1年前にもここに来た。それからきょうまでわたしは生きてきたのだ。1年を生きてきた時間の重みを知ったのはそのときだった。私はそれから8年生きてきた。
 
    大森靖子さんは「呪いは水色」のなかで、
 
生きている 生きてゆく
生きてきた 愛の隣で
私たちはいつか死ぬのよ
夜を越えても
 
とうたっている。「生きている現在」「生きてゆく未来」「生きてきた過去」。この、「現在未来過去」と三点に分けてしまえばそれぞれが断絶されてしまうような、非連続的なようで実は連続的な三つの時間のうち、「生きてきた過去」が、私にはもっともとうとく思われる。生きてきたんだよ。生きてきたんだ。何度か死にかけたりしながらも生きてきた。生きていることも生きてゆくことも、それらはまだ確定していないから心もとないけれども、生きてきた、のは事実であって、その事実が私を支えてくれる。これからを生きてゆく推進力となってくれる。そうして生きている現在も生きてゆく未来もいつか、生きてきた過去となって、また私を支えてくれるのだろう。
     最近、私がこれまでどうにか生きてきたのは生きさせてくれるひとがいた・いるからだなあ、と感じることができるようになった。生きさせてくれる。いろいろなことばや時間をくれながら。生きさせてくれる。生きさせてくれるひとがいるから、生きているし、生きてゆくし、生きてきた。「呪いは水色」のなかで、この三つの時間のあとに「愛の隣で」とつけられているのは、そういうことなのではないか。
 
 
     この日記をきっと来年、私は読み返すのでしょう。そして「1年生きてきた」と感じるのでしょう。そのころには凌霄花百日紅も咲いているのでしょう。そうしてまた1年生きてゆくのでしょう。ただ、「私たちはいつか死ぬ」のでしょう。あと何回、「1年生きてきた」を、感じることができるでしょうか。
 
  ことしも夏が始まります。
 
 
 
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わたしはさわやかな風がすきなので
六月の湿気が得意ではない

窓の外には可視化する憂うつ

わたしは晴れがすきなので
雨がやはり得意ではない

きょうはひねもすの降水
虹が架かるまでおやすみなさい


薄れゆく意識のなかで
あなたの水平線を越えるわたしをみた

移ろいゆく季節のなかで
わたしの水平線を越えるあなたをみた


起きたら外へ出かけてみましょう
虹はなないろ

あまみず跳ねても
スカート翻す
街と 六月の 向こう側へ

駆けてくわたしは
夏をいっぴき連れてゆきます

そこにはきっとあなたがいる
雲ひとつない青い季節がある

だから灼ける空の下でふたり
水平線のその先まで落ちてゆきたい

海の底ではきっとその手つないで笑えるので







駆け出そうか

    

赤い唇が色あせる前に

その熱い血潮の枯れぬ間に

きみは駆け出すんだね

今日は春の中へ

瞳の中に花が咲いて

サニーデイ・サービス「東京」

 
     サニーデイ・サービスの「東京再訪」をみてきました。「絶対いいよね〜」という想像の一億倍上回って、よかった。100年分の恋をした。人生で一番拍手した。人生ではじめてスタンディングオベーションしそうになった(すればよかった)。
 
     曲とは、CDで聞いて、ライブで聞いて、そこではじめて完結するものなんだな、ということを以前から思っていました。「東京」をライブで、通しで聞いてみて、そのことを改めて痛感しました。「東京」ってやっぱりこういうアルバムなんだな、と感じるなど。それはまた書くことにします。
 
     いまわたしは帰りの電車の中です。「東京」を聞いています。一年前の渋谷公会堂ワンマンのときも、帰りに「東京」を聞いていたなあ。
     
ぼくも駆け出そうか
きょうは街の中へ
瞳の中に風が吹いて
 
     街の中へ、東京のなかへと駆け出したわたしはまた、京都へと駆け出さなきゃなんない。ちいさな短編集をひとつひとつと読むような生活がそこにはある。
     「東京」で描かれた「東京」とは、実はどこの街でもありうるのだと思う。京都の街にも、「東京」のような季節や思いや若者たちの光景はある。わたしも、「東京」のなかの「ぼく」や「きみ」なのかもしれない。わたしは「ぼく」や「きみ」を眺める存在であると同時に、眺められる「ぼく」や「きみ」なのでしょう。客体でありながらも主体として、どこかの街の主人公として、私にとってはそれは京都で、また生活をしてゆこう。同時多発的に日々はある。
 
 
     瞳の中に風が吹いたならいつかきっとたどり着く場所へ。この熱い血潮の枯れぬまに。
 
 
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なにを聞いてもしっくりこない夜というものがあってね

 
     生きていたいなあ。
     私には好きなひとしかいないから生きていたい。私は、愛する人間です。みんな愛しているんです。ひとも季節も時間も。だから私を殺すとしたら私なのでしょう。みんな私を生きさせてくれているのだから、私を殺すとしたら私しかいない。と言っても自分のことを嫌いではない(クズだなあとかほんと何もできないなあとかは考える)。愛しているからこわくてたまらないよ。
 
     なにをするにしても、私はこれからも生きるのかなあみたいなところで立ち止まってしまう。贅沢なやつだな。しぬならしぬのだし、それまでは生きるんだよ。生きるなら、手段を考えなければならない。
 
     なにを聴いてもしっくりこない夜というのがあってね。そんな夜のやり過ごし方を知ることが生きていくということなのかもしれないよね。
 

ゆくひとたち


ゆくひとたち

夏の風が君をさらって
オリオン座がわたしを手招きました

駆けるように晴れたあの日

ふたりでまいたあおい絵の具が
空からことぱをなくさせました

だから夜は星をならべて
物語をはじめたのです

星の瞬きが語りかける夜
恋とは、愛とは、美しさとは

隣のまばたきが語りかける夜
あなたが、ここに、いてほしい

そして明くる朝 告げること

喉元ながれる八月の熱
キスして君が天の川

花の名 ひとつ その手にあげよう




とりあえずで生きる

 

  この1ヶ月くらい鬱々としていたのに急に生き返った。ここのところばいとと大学しか行かない日々(ゼミも怖くてさぼってた)、ばいとでしか人と会話しない日々、だった。でも出かけるようになったら世界が広がった。生きていこうと思った。

 

     “Le vent se lève, il faut tenter de vivre”

 

   ポール・ヴァレリー「海邊の墓地」の一節です。

   岩波文庫の『ヴァレリー詩集(鈴木信太郎訳)』で「風 吹き起こる…… 生きねばならぬ」と訳されています。

   堀辰雄はこの一節を「風立ちぬ、いざ生きめやも」と訳しました。このことについてもいろいろここに書いていたのですが、「めやも」の誤訳説を知り、それについてかんがえることは「風立ちぬ」の作品を読み込むことであり、考えるうちに作品内における意味と現実における問題とが交錯してきてよくわからなくなった(作品内でこの訳が載っている二箇所のうち一箇所めは作品序盤であって、風に絵が倒される場面である。ここで強い反語の意味を持ってくるのはかなり皮肉めいているというか「お前」の結末の伏線なのか?それならば反語で訳した意味は理解できるきがする。しかしそれならば、本来の「il faut tenter de vivre」とは異なる意味ではなくなるのだけれども、それはよいのか?また二箇所めは「生き生きと」「切ないまでに愉しい日々」とある希望にあふれた箇所なので、一箇所めの意味でもたせた意味はひっくり返るのではないか?それでよいのか?って、省略したけど書いちゃった、全然的外れな読みだったら恥ずかしすぎてとびこみますね)ため省きました。またいつか書きます。なにかご存知の方がいらっしったらご教示ください。

   古典の素養がないことがばれそうですがそれでも「風立ちぬ、いざ生きめやも」って、めっちゃ生きそうな文だなあと思います。超生きそう。私も、まじ生きることにします。

 

   と書いたところで。

   ポール・ヴァレリーについては私は詩集を読んだだけなので恥ずかしながらよく存じ上げないのですが、はじめて知った・読んだのは「自殺が許されるのは、完全に幸福な人だけだ」という文でした(引用で読んだだけなので文脈における意味を確認していません。うちの図書館で手に入らないので早いうち手に入れて確認したい。とにかくこの一文は私の胸を打った)。

   私が休学していてやや回復してきたころ・私の意志ではない病的な「死にたい」からいろいろ考えた結果の「死にたい」にシフトしてきたころ(やっかいといえばやっかいな時期だな)にその文を読んで、「そうか私がいま死んでもかわいそうと思われるだけなのかつらかったんだねと思われるだけなのか、そんなの悔しい、生きなきゃ、勝ち組になって完全な幸福・状態で死ななくちゃ」と思った(寺山修司『青少年のための自殺学入門』も読んでた)。「人生を通じて遺書を書こうと思った」と日記に登場するがそれもこのあたり。当時は病に臥していたので許してください。このころの日記を読み返すと自分のことながらめっちゃ死にそう。でも死ななかった。生きててよかった。

 

  「 とりあえず生きておく」って大事だな、と思った。

   それはいまになったからいえることで、その最中にはそんなこと思えないのだけれど、とりあえず生きること。そうしたら、自分はここにいていいんだってわかる。こともあるかも。数年前の自分に言ってあげたい。言ったところで救われる気持ちにすらならないのだろうけれど言ってあげたい。まあね、生きていける気がしてねむっても、朝目が覚めて、瞬間に「あっ無理」と思うこともありますよね。でもとりあえず生きておくという選択をする。でも私は、その選択をしないひとを否定したり非難したくはない。

 

   今年は人生総決算したい。

   いま、風が立ったきがするんです。

 

 

前回の文について補足

「小説でも詩でも日記でもない」と書きましたがそれはきっと「小説でも詩でもある」ものなのでしょう、でもおとといあげた文は「日記」ではないのです。