真夏の果実

 

 特筆すべきような一日を過ごしたわけではないけれど今日のことは書き残したいから書くだけの私のためだけの日記。

 

 2018年7月11日(水)の日記(1)

 私が生まれ育った札幌には、かえるがいなかった。

 正確にいえば、札幌の中の私が生まれ育った町のあたり(そこは地下鉄沿線だったのでかなり都会であるといえる)には、かえるがいなかった。だからこちらに引っ越してきて、ドラッグストアで買い物をして店の外に出た夜、「かえるの合唱」が聞こえてきたときは、とてもおどろいた。「これ、かえる?」と、配偶者に確認したものだった。

 私にとって、かえるの合唱は、キャンプ場に行かないと聞けないものだった。車に乗ったり電車に乗ったり、キャンプ場使用料を払ったりと、おかねを払わなければかえるには会えなかった。

 また、蝉も札幌にはいなかった。とはいっても、木の多い公園や山に行けば蝉の鳴き声は聞こえないことはなかったと思うけれど、本州のような「家の中でも外でも蝉しぐれ」という状況はなかった。

 民家の前や田んぼの横を流れる、夏には涼しげなあの用水路もなかった。どうでもいいけれど、あれがもし私の人生にこれまで存在していたのならそこに落っこちた回数は一度や二度では済まないんだろうな、なんて思う。

 そのような、「よくある夏の日常・夏の風景」は私にとっては全く日常ではなく、むしろ非日常だった。

 本州の夏の楽しいところは、そのような典型的な・テレビや漫画でよく見る日本の夏を体験することができるところだ。こちらに来るまでは気が付かなかったけれど、北海道で巡る四季というものはやはりこちらにおけるそれとは大いに異なる。「北海道に夏はなかった」とまで言ってしまいたい。

 蝉の声が聞こえる。用水路のすぐ脇を自転車で走る。猛暑日

 いまの県に引っ越してきて5か月が経ってもまだ行ったことのない近所のスーパーまで。帰り道は、通ったことのない道を通る。あ、行き当たり。曲がってまっすぐ行ってみると、新興住宅地。新しい家が立ち並び、家の前の道路では子どもたちが遊び、ぎゃんぎゃんした子どもの声が聞こえてくるなとそちらへ向かってみても姿はない。どうやら彼らは家の中にいるらしい。それなのにこの声の大きさ。夏休みが恋しくなる。

 線路を渡るための地下歩道を通る。すこし涼しい。道路も人生も、暗いところはひんやりとする。

 トンネルを抜けるとそこは古い住宅地。数十年分の雨風や人の生を吸収しきったような木造の家々。「おばあちゃんちを思い出すな」なんて言ってみたかったけれど、私のおばあちゃんちはみんな新しい家だから、そして札幌にはこういう趣の古い家も瓦屋根もめったにないから、ざんねんながら先ほど通った新興住宅地の方が、なつかしかった。

 てきとうに右へ左へ曲がったら、見慣れた交差点に出たので、帰宅。

 家の鍵を開けてリビングに着いて即エアコンをつける。北海道にはエアコンのある家なんてそうそうないなとまた、思う。リモコンひとつで瞬く間に家が涼しくなる、これも本州の夏。

 

 2018年7月11日(水)の日記(2)

 昔の自分はよくがんばっていたみたいだ。

 彼女のイメージで私を記憶してくれている人がいる。彼女の書いた日記は私の心を動かす。彼女のおかげで私は生きているようなところがある。

  「もういいです、今がいちばんだから、もうこれ以上の幸せは望まないから、私はいますぐ、死んでもいいです」と、以前はよく思っていた。でも、「今がいちばんだ」と今もそう思うのだから、やはり生きていてよかったのでしょう。そう思わせてくれる人に出会うためにはやはり、生きることだ。それと、「自分」を「よく」生きることだ。

 私はいま、生きたくてたまらないです。

 

 2018年7月11日(水)の日記(3)

めまいがしそうな真夏の果実

今でも心に咲いている

サザンオールスターズ真夏の果実

 

  2018年7月11日(水)の日記(4)

 時は2018年、今年で平成が終わるそうですが、私は現在HTMLでホームページを作る作業中です。いつか移行しようかなと思っています。いつかね、いつか。