きのうは雨でもきょうは晴れ

 

    片付きゆく部屋の隅には片付かぬ君が煙草の跡ひとつあり

 

    ただいま、引っ越し準備の真っ最中である。鋭意、ものを捨てては思い出に浸り、捨てられなくては思い出に浸る。引っ越し準備や片付けというのは往々にしてセンチメンタルに耐えることが主な仕事であると思う。だから作業は全く進まない。いまもこうやって文章を書いているし。

    ほんの少しずつほんの少しずつ片付いてゆく部屋の中で、時折ぼうっとしては、片付いてゆかない記憶を辿る。前述した、思いついたままに書いた短歌めいたものは実際にあったことではないけれども、いまのわたしは似たような状況にある。

    1回生のときにサークルの子たちと親子丼の会をしたこと、何人もの友人たちが泊まりに来たこと、そのお泊まり会で一緒に泣いたりしたこと、この座椅子に座っていたひとのこと、部屋のスイッチに貼ったマスキングテープの跡、この椅子で文を書いたり読んだりしたこと。

    わたしがこの部屋にいたことは、地図上には載らないし、当然史書にも載らないし、この町のほとんどのひとは知らない。それでもわたしやあのひとたちは、ここにいたよ、と、そんなことを誰かに伝えたいな、なんて思う。

    煙草の跡は目に見えるけれど、思い出だって、可視的であるといえないことはないのではないか。だって鮮明にあるもの。見えてくるもの。景色として、すぐそこに。

    と、そうこう書いて下書きに保存しているうちに日は経ち卒業式が終わり、荷物はあっという間に部屋からなくなった。2017年3月22日、水曜日です。がらんとした部屋の、フローリングの上に寝転がっていまこれを書いています。これから集荷のひとが来てくれるのを、ぶどうのピュレグミをもぐもぐしながら、待っています。

    きょうこのあと、この町を離れる。思ったほどの感慨はないんだな。もう新天地での生活が始まっていて、ここでは生活していないからだろうか。

    でも、もっと会ってもっと話したいことのあるひとたちはいて、それはとてもさみしい。書こうと思って書けなかった手紙、言おうと思って言えていないこと。そのうち、と、思っている。なんだかまたすぐに会える気がしている。それまで生命が続いてくれるかなんてわからないのにね。それでもまたすぐに会える気がしている。しているよ。

    もうカーテンも取り外して、開け放った窓の外に、飛行機雲が伸びていくのが見えた。そしてゆっくりと、電線と交差した。やがて、飛行機雲が消えて、電線は残されて、それは人と人との出会いと別れのようで。

    いまわたしは、飛行機雲なのかしら。束の間交差したわたしの線とあなたの線は、少しずつ離れて、やがて遠のいて、わたしの線は少しずつ消えて。

    それでもわたしは飛行機雲ではないから、交差したわたしとあなたは地球が一周回るころ、また出会うでしょう。どれくらいのスピードで伸びる・進むそれなのかはわからないけれども、また出会うでしょう。

    そしてまたあなたはここであなたの線とだれかの線が美しく交差して素晴らしい日々を送りますように。

    わたしは向こうで、愛しいひととの交差を日々ゆるやかに繰り返し、一枚の布を織れるように。

   

 

    縦の糸はあなた 横の糸は私

    逢うべき人に出逢えることを

    人は仕合わせと呼びます

    中島みゆき「糸」 

  

 

    しあわせな京都生活だった。

    しあわせな人生だ。