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真夏のピークが去った


    台風が接近しているそうで、ここ数日は雨降りですね。私は雨音を聞くことは好きなのですが、部屋の中が外の世界の憂うつに、しずかに満たされていくようで、雨の日は気が塞ぎます。いままで本を読んでいたのですが(村上春樹さんです)、外の世界の雨のせいで、25mプールいっぱいに陰鬱さが満ちているような、とにかく私をじわじわと囲い込んで、追い込まれるような、呼吸が圧迫されるような気持ちになって、片付けを始めてしまいました。大体の憂うつは、部屋に物が多いことが原因の気がします。雨の日は、本を読むのがお好きですか。それとも、何かに取り憑かれたように片付けをなさいますか。
    きょうの明け方は、寒さに目が覚めました。半袖ひざ丈ワンピースの部屋着と、タオルケット一枚にブランケット一枚とでは、とっくに冷えるということに、今さら気がつきました。もう9月も下旬になるらしいのです。起きて、毛布を一枚足しました。
    そういえば、パッケージに「夏」と大きく書かれたスナック菓子が、ドンキホーテで叩き売りされていました。おいものおやつや菓子パンが店頭に並ぶ季節ですね。けれど私はまだガリガリ君ソーダ味を、ぽたぽたとたらしながら食べていたい。
    私にとっては奇跡のような夏の終わりでした。
    今年一年は特に、世界が私のために回っていたような気がしています。みなさんありがとう。光とはひとを生きさせるためにあるのだと、思いました。生きなくちゃ。
    いまはとりあえず、フジファブリック若者のすべて」を聞いています。きょうの題もその歌詞です。真夏のピークが去ったどころか、もう秋なのですが(特に、私の生まれ育った北海道なんて冬の序章でしょう)。
  「若者のすべて」。この曲を聞くと、いつも思います。何が若者のすべてなのか。若者のすべてが何なのか。若者であるところの私のすべてとは何であるのか。若者であるところの私のすべてが何なのか。そんなことを、いまもかんがえています。
   この曲の、『「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて』という詞が好きです。運命ということばは便利です。けれど私はこのことばもしくは概念を、「運命なのだから」という諦めや若者のうっすらとした希望のために利用するのではなく「運命ならば」という、自らの推進力としていきたいと思います。
    僕らは変わるかな。
    さて、部屋の片付けの続きをしなくっちゃ。終わったら、本の続きを読もう。ああ、でも、なんか、ねむい。さっき足した毛布、あったかい。あーおひるねしたい。僕らは、変わるかな?ああ、ねよう。ねよう。明け方見た夢では、知らないひとがしんでいた。ひとがしぬ夢は吉夢らしいな。でも明るい夢を見たいな。さっきから頭が痛いのは眠りすぎのせいなんだろう。低気圧の影響かしら、そんな繊細なのかな、私は。おやすみなさい。