最終電車


    
「最終電車

    深夜2時のことを26時とよぶ彼はそのとき8月32日のなかにいた。
   どうしたってはくちょうやわしには見えない星座と、歩いて揺らされるたびぶつかるふたつの手と。結べない星たちは、つなげないわたしと彼のようで、寄る辺ないわたしたちはいつまでも歩いた。
    夏の男の子の白いシャツほど眩しいものは、この世にないと思う。彼のそれは昼の陽をすっかり吸収しきっていて、そこからあふれ出た光が彼の姿として、暗い夜に浮かんでいるように見えた。ほんとうは、海岸通りにぽつぽつと置かれた街灯によって照らされているだけなのだけれど。それでもわたしには、彼自身による発光のように思われた。その背中からは柔軟剤の香りがして、私の胸を刺した。ああ男の子だな、と思った。
 
「この時間になると、人も車も通らないね」
 
    短針も長針も2を指している左手首の腕時計を見ながら、あかるく彼が言った。
    8月31日23時54分発、8月32日ゆきの最終電車を探して歩き続ける私たちの横を、北斗七星が通り抜けた。
 
銀河鉄道なら来るかもしれないけど」
「来たら、乗りますか?」
「そうだな、乗ってみたいけれどそしたら途中で君は、いなくなっちゃうんですね」
「私からしたら私が私だからいなくなるのはあなたなんですよ」
 
    そんなとりとめもない会話は、夏の夜の空気に浮かばされる。恋も憧れもせつなさも愛のことばも、昼間の最高気温36度を未練たらしく引きずった熱気のうちに、閉じこめられてしまう。
    夏がこんなに暑いのは、熱病に侵されるように人々が恋をするからだと彼は言った。わたしたちは閉じこめられて浮かばされたまま、そこから抜け出すことができない。
 
「蛍を、見たことありますか」
「ああ、一度だけ」
「そうですか。わたし、なくて」
「それじゃあこんど探しに行きましょうか」
 
    こんどって、一年後の夏ですか、と、頭のなかで聞いてみた。一年後もわたしと一緒にこんなふうに、歩いてくれるのですか。
 
「天の川は、ありますか」
「天の川は、すごいですね。星が敷き詰められていて。昔は街灯も、家の明かりもないから、夜にはほんとうに星しか見えなかったのでしょう。それならたしかに夜には、星をつないで物語をつくるしか、することがなさそうです。そうかんがえるとわたしには、星は観察するものではなくて、読むものであるように思われます」
「オリオン座は物語だよね、ケンタウロスは手に矢を持っていて、オリオン座のしたにあるうさぎ座は、それから逃げようとしている」
 
    はじまりと終わりを季節は繰り返す。私はいつもそれに遅れてしまう。たとえば桜だってそうで、そろそろ咲くんだろうなとどきどきしていると、気がつけば真っ最中で、真っ最中だな、と感じるころには、すでに散り始めている。スノードームのような世界のなかで季節がまわるのを、その外側からただ眺めているだけだ。当事者のつもりなのに、なりきれないでいる。きっと彼もそうだった。だからわたしたちはいま夏が終わる瞬間を見届けようとしている。いまだけは、追いつきたくて。
 
  「いつか終わるとしてもいまを一緒に生きるってことは、そんなに美しいことなのかな」
 
    季節もひとの心も、うつりゆくものだとしても、季節は終わり続けることで季節を保ち続けるのに対して、ひとの心は、終わらないことで保ち続けてゆくしかない。終わっては始まる季節に対して、ひとの心は、そういうものではない。
    1年後にまたふたりで会い、蛍を探しにゆくこと。1年後。24時間365日という途方もない時間のなかにわたしはいられるだろうか。そんなわたしに彼は言った。
 
 「終わらないよ。」
 
    遠くから波の音が聞こえていた。いつかだれかに言えなかったこと、伝えられなかったことを、夏に置きさりもできないで、わたしたちは立ち尽くす。立ち尽くすように歩き続ける。立ち尽くすことも歩き続けることも、結局は同じなのだ。どこへもゆけないから、どこかへゆくしかない。
    いつも、季節だけがゆく。ゆく季節に押し出されて、わたしたちはどこへ駆け出せるのか。
 
「終わりを定義しよう。話はそれからです」
 
    彼のかたることばのひとつひとつが天の川のようにきらめいては美しく流れてゆく。そのことばたちを銀色の刺繍糸で縫いつけてこの指先で弾いたならどんな音楽が鳴りだすだろうかと思った。
    オリオン座はまだ見えなかった。天の川は記憶の中だった。ふたり、いつまでも8月32日の真ん中に立っていた。わたしは胸が痛くてたまらなかった。胸が痛いという沈黙の瞬きが、海の向こうの客船の中へ溶け出していく。
    二時間後に空が白んだらきっと夏が終わると彼は言って、偶然のような奇跡の光が煙に霞んで消えていった。