遠ざかりながら近づく

 
    まだ夏の終わらない空を見上げながら、好きもさようならもありがとうも言えずに通り過ぎていってしまったひとのことを思い出していた。飛行機雲みたいなひとだった。
    あらゆる感情が私の中で片づいてしばらくして、そのひとに会う機会があった。この次に会えるのはいつになるかわからないから、伝えようと決めていたことがあったのだけれど、それはさすが私で、結局なにも言えずに、あたりさわりのない近況報告ばかりをして時間は過ぎた。
    ようやく別れぎわに、地下鉄のホームでことばにできたのは「あのとき私ね、ちがう電車に乗るはずだったんだよ」という、それだけだった。それだけだったけれど、同じように「そうだったんだ」とだけ言ったそのひとは、「あの電車で、あなたに出会えてよかった」という意まで汲んでくれたと信じている。
    別れて家に帰って書いた、手紙でもなんでもない1000字程度の文にはひとつの「好き」も「さようなら」もなくて、「ありがとう」だけが幾度も綴られていた。
    好きとか、もうどうでもよかった。それは私だけを動かす感情に過ぎないから。やがて通り過ぎるひとつの季節に過ぎないから。私はただ、あなたが私と出会ってくれてよかったということだけを伝えたかったのだと思う。あなたが生まれたことが私には嬉しくてたまらないということ。私がそのひとにずっと伝えたかったのは、そのことだけだったと気がついた。
    世界はどのように展開してきたか、してゆくか。その起こりうる世界の可能性は無数にあったし、ある。その起こりうる世界の可能性を、人はあらかじめ全て有していて、その組み合わせも無限にある。そのあらゆる可能性の中からただひとつ選ばれてただひとつ起こったこの世界は、それが最善だからである。そんなような話を聞いたことがある。そうだな、と私も思う。
    私たちは出会った。その日その時に起こりえたあらゆる可能性のなかから私がただひとつを選択したことで、またあなたがただ一つを選択したことで、あなたと私が出会う世界は起こった。一応それは「神が選んだ」らしいのだけれども、あなたと私が出会うその世界を最善であると選んだのはあなたと私なのだと信じたい。だから、出会ってくれてありがとう。
    あなたがいまここに生まれたのはそれが最善だからである。ほかの時代のどこかの国に生まれるよりも、もしくは生まれないよりも、よいからである。あなたにとっては最悪だとしても。私にとっては最善である。世界全体にとっても最善なのである。いつかあなたの生や現状をおそう災難が、「現在」という時間の部分においては最悪であっても、「人生」という全体においては最善となりますように。私は願い、伝えることばをかんがえる。

    まだ夏の終わらない空を見上げながら、好きもさようならも言わずにいようと決めることもある。「ありがとう」だけが残るまで幾つの季節が過ぎるかと数えながら、飛行機雲が青空へとかえってゆくのをしずかに見つめている。
    あなたがいてよかった。