季節が放つ光のなかで深呼吸するように過ぎた日々は、たしかにあのひとがいたことを記憶させてくれた。三月はにぶい春の光。風だけがつめたい春の夜。わたしたちは目的もなくただ歩いた。
( where do we go? )
「恋におちる」とは、からだごと全身の落下であると思う。自身の心境の変化による、そう簡単に脱出できやしない未知―それは相手であると同時に、自分がどうなってしまうのかさえわからない世界ともいえる―への落下。落下して、留まりつづけること。それに対して、「惹かれる」、とは?心がゆるやかになめらかに、しかし確実に、対象へ引き寄せられつつある状態?
( where do you go? )
ミツキさん。と、律儀な発音で読んだあと、あのひとは、今度はわたしの目をすっと見つめて、「ミツキさん」と呼んだ。やわらかい。自分の名前に音楽が流れていることに、初めて気がついた。意外とよく笑うんですね、と言ったあのひとは、わたしの想像通りよく笑った。四月の終わりはすでに初夏の始まるようにまばゆかった。「ふれたい」と思ったとき、夏へ向けた加速は始まっていたのかもしれなかった。それでもわたしはまだわからなかった。わからなかったのに。
( where do I go? )
名前を呼んで、あのひとがこの手に伝えた体温が、わたしに兆してしまった一筋の光。三月はにぶい春の光。四月はまばゆい春の光。引き寄せられながら、落下しながら、のこり十ヶ月分の、あなたが放つ光を、わたしは知りたい。
where do we go, hey now?
(「where do we go, hey now?」小沢健二「おやすみなさい、仔猫ちゃん!」より)