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わたしは信じている


     いつでも愛していたい。
     いつまでも愛してるを言いたい。
     愛してる。愛してる。愛してるよ。

     大好きな女の子と、夜が明けるまでながでんわをした。チョコレートをたべるのがやめられないということ、この世の中には余裕が足りないということ、占い雑誌の新刊のこと、素肌がいちばん美しくありたいということ、かわいくなりたいということ、自分の直感に素直でいようということ。1年前も同じこと言ってなかった?とか笑いながら、4時間さんざん話す。そうして喋り倒したわたしたちがたどり着くところは、いつも決まっている。「この、一緒に話してる時間がとってもだいじだよ」「愛してるよ」。
     現実的な想像というわけではないけれど、たとえばいつか娘が生まれたら、「愛子」と名づけたいな、なんてかんがえたりする。
     「子」という字は、「一」と、「了」の、二文字から成る。つまり、「一から了まで」「はじまりから終わりまで」という意味があるらしい。むかしからひとびとは、「人生をまっとうする」という意味を込めて「〜子」と名づけてきたという。素敵だなあ。それを聞いたわたしは、「人生のはじまりから終わりまで愛があふれるように」、「愛子」という名前にしてあげたいな、とかんがえました。
     「愛してる」をいわれる人生は素晴らしい。けれど、「愛してる」をいえる人生はもっと素晴らしい。わたしはそう思います。
     彼女もきのう、そんなことを話していた。「愛する人になるわ。」そうだね、愛する人になろう。彼女とはいつも、愛について語る。そして愛を伝えあう。彼女考案のことば「ラブみなぎる」は、生命力に満ち溢れていて、とてもよいと思う。私たちはとても仲のよく結びつきあっている同性の友人同士であるから、愛してると、こんなにも表明しあえるのだろうか。けれど相手が誰であっても好きなひとたちには、きっと愛を伝えたほうがよいにきまっているのだ。といってもわたしは好きなひとに告白とか、したこと、ないんですけど。まあそれとこれとは別のはなし。ってことにしておく。

     以下引用。


      幸福な生は
      真理を喜ぶことです。
      幸福な生は真理である
      あなたを喜ぶことです。

      神よ、
      わたしの照明、
      わたしの顔の救い、
      わたしの神よ。

      この幸福な生を
      すべてのひとが欲しています。
      唯一の幸福であるこの生を
      すべてのひとが欲しています。
      すべてのひとは真理を喜ぶことを
      欲しています。

      アウグスティヌス『告白録』(宮谷宜史訳 『アウグスティヌス著作集 第5巻Ⅱ』教文館 2007.7.10)

 
     どの訳がいいのかよくわからなかったので図書館で目についたこちらにしました(山田晶訳の文庫も持っていますが、Ⅰしか持ってません)。アウグスティヌスの『告白』を読みながら、不勉強なわたしは神がどうのといわれてもぴんとこないので、頭の中で「神」を「愛」と変換しながら読んだら、とてもわかりやすかった(こんなことしてたら怒られますかね)。わたしの中では、神も真理も、愛ということにしている。たどり着く先は愛であるとわたしは信じている。


     まばたきひとつで通り過ぎた季節を、
     もう一度数えよう


     あなたの生きる道が愛に始まり愛で終わりますように。
     この世界が愛に始まり愛で終わりますように。
     わたしは愛するひとでありますように。
     いつでも愛を伝えられるひとでありますように。

     愛してる。愛してるよ。

     ラブみなぎる。