物語のはじまりには 丁度いい季節になったろう
まるで全てが変わるように
小沢健二「暗闇から手を伸ばせ」
五月。五月はよい季節である。
時折さあっと吹く風は、四月のように花を散らせはしないし、六月からはじまる夏のように、じとりとした湿気を含むこともない。ただ髪をなびかせる。ただワンピースの裾をひるがえらせる。新緑がうつくしい。カーディガン一枚の身軽さ。五月のようなひとになりたい、と思う。
そんなよい季節なので、ブログをはじめてみた。
ここのところ出会うひとが才能のあるひと・頭のよいひとばかりで、そしていろいろな本を読むことが多かったので、落ち込んだ。すばらしい文や思想は努力や積み重ねに裏づけされていることもわかっているから、よけい落ち込んだ。わたしは何もしてこなかったな。わたしはなんら、付け足せることばを持たないな。別にわたしがなにか書かなくても世界はここにあるじゃん。とおもう。
それに、なにかについて考えて、なにかについて書くのなら、わたしのこれまでについて多少ふれながら書かなければならないこともあるだろう。大したことでもないけれどそれは避けたかった。知られたくないわけではないけれど、ひとに知られるようなことでもない。けれどね?
そう。まあ、いっか。
できるだけ個人の匂いは消したいとかどういう人間であるかは消したいとか考えたけれど、ここに書くのは作品ではないし、面倒なのでやめました。わたしの朝のおけしょうは2分あれば完了するけれど、それはかける時間もクレンジングもただ面倒だからであります。そういうことも書いてしまおう。もうなんでもいい。
桜が終わったな、と思ったら、まるでバトンタッチするみたいにつつじが開花しましたね。列車の連絡待ちみたいに。花界隈でも、あなたつぎたのむわよ、みたいなことがあるのかしら。わたしは五月のようなひとになりたいし、ひとつきごとに交代する花のようなひとになりたい。花は美しいな。気がついたら、つつじも藤もことしはおわってしまった。百日紅とのうぜんかずらがたのしみですね。
なにかを書くということ。
わたしはまだ臆病なまんまで、少し戸惑っている。