20170201

 

    出勤1日目。まだ研修期間だけれど。

    きのうはとりあえず、社会人ぽく見えるように通勤用のかばんをげっとした。さすが、形から入るわたし。CanCamコートを着ているし、すこしは社会人に見えるかしら?

    せっかく「オトナ見えかばん」をげっとしたのにくつはげっとできなかったので、去年から履いてるぼろブーツで通勤。誰も見てないからよし。

    半分社会人になったし、いつもカッツカツだったICOCAに5000円もチャージ。さらば、残額5円→自動改札バァーン!の屈辱。社会人ってじゆうだ!!

    きょうは休憩室で、「そうだ 京都 行こう」のCMを見た。ふと、京都が恋しくなった。丸太町通千本通嵐電沿い。鞍馬口。東山。4年半分のわたしが、あちらこちらに見える。散り散りにある。わたしは彼女を、愛したい。

    お金を数えていて、ふと、先月まで働いていたアルバイト先が恋しくなった。ああ、お釣り銭は6万円だったな。みんないいひとたちだったな。

    わたしは、愛されていたことを知った。

 

    京都。

    京都が似あうね、と言われることが、わたしは何よりも嬉しかった。17歳のわたしは、京都に惚れてしまったのだった。そうして、いまになって思う。わたしは京都に愛されていた。

 

    今月わたしはまた、別の古都へと引っ越す。古都、鎌倉へ。

    「どこにでも宿る愛」という、『この世界の片隅に』の原作に登場することばをわたしはいま強く信じている。それは不安由来の信念というよりも、確信に基づく信念である。未来への確信。だってこれまでそうだったから。

    どこにでも宿る愛。きっとなんだって愛せる。どこでだって愛せる。愛される。そう、わたしは信じている。そんなふうに信じるように生きられるのは、わたしに愛を傾け宿らせた、あなたがいたからです。

 

 

    追記:20171013

    書いたことを忘れていたにっき。

    いちばんさいごの「あなた」が誰を指していたのか、もう忘れてしまったけれど、それはたしかに「あなた」であったような気がします。あなたへ、ありがとう。

 

 

 

 

 

書きたい

 

    気がつけば、ここを5ヶ月も空けてしまっていた。

    書きたいことや書こうと思ったことや、いくつも下書きはあるけれど、途中にしたままである。とりあえずそれは置いておいて、「ひさしぶりだから」なんて気合を入れずに、ひとつめを書いてしまおう。

 

    この5ヶ月のあいだで私は大学を卒業して、京都から鎌倉へ引っ越して(このあたりは前回書いた)、という、いわゆる「新生活」が始まっていた。ここのところの毎日は、朝は7時半過ぎに起きて8時半過ぎに家を出る。夜は21時ころに帰宅して24時に就寝する。そんなふうに1日が終わる。

    「しゃかいじん」になってからというものの、自由に使える時間は学生時代よりもうんと減って、家のこと(ごはんやおべんとうやお風呂や洗濯など)を済ませると、残る時間はかなり少ない。それでも大きな不満はとくべつない。

    そんな日常を過ごすなかでいま一番に不思議なことは、大学時代よりも圧倒的に自由時間が少ないのに圧倒的に毎日が暇だ、ということである。

    きっと頭をあまり使っていない、文章を書いていないから、なのだろうな。と思う。いまある悩みごとも、学生時代のように時代も地域も越えた思想を取り入れながら考えて解決していくようなものではなくて、もっと現世的で美しくないものばかりだ。そんなときにこそ人文学を、とは思うものの、イデア界に想いを馳せてばかりでは生活がとまる。

    文章を書かない。それは私にとってかなり苦痛らしい。書きたいことや思いだけは常にあり、それを言葉に出していないということが、苦しくてたまらない。頭のなかだけではなくて実際に書かないことにはうまくまとまらないし、まとまらないことが苦しい。時間がとかパソコンがとかなんとか言ってないでとにかく何かを、書き続けなければ。体は同じところの往復だとしても、せめて頭のなかだけは、世界も時代も縦横無尽に飛び回りたい。

    私は書かなきゃいけない星のもとに生まれてきたのかな、なんてかんがえる。それで生きていくだとかは別として、とにかく書かなきゃいけない星。私の人生には書かなくていいことなんて、ひとつもないよな。

    先日、小学校時代からの友人3人とひさしぶりに会った。2人とも、ここを時々読んでくれているらしかった。「文章好きだよ」と言ってくれた。「昔からよく書いてたよね」と言ってくれた。「書いてないなんてもったいないよ」と言ってくれた。

    書いたものを読んでくれるひとのあること、感想をくれるひとのあること、「書いて」と言ってくれるひとのあること、ほんとうに嬉しい。こいつは書いた方がこいつのためにいいな、という治療めいたご厚意によるものだとしても。

    はじめて小説やら詩やらを書きはじめた小学校5年生・11歳のころから14年が経つ。それ以来ずっと好きだったこと、続けていること、人に褒められること、それらはすべて同じひとつのこと、「文を書く」という、そのことひとつだけだった。たしかにそうだった。

    遠くにみえている青信号に、どうせ間に合わないからと、急いだり走ってみたりすることもせずに、歩いて向かうことにする、するとその青信号は思いのほか長く点灯していて、ああ、走っていたら間に合ったのかもな、と、そう思うような、今までも今も、私の人生は、そんなことばかりな気がする。そんな風に生きてきてしまった。

    やりたいこととか、好きなこととか、できそうなこととか、できることとか、でもきっと私にはできないとか、届かないとか。そんな風にして、流してきた。

    でも、流れてなかった。

 

 

君は君らしく生きて行く自由があるんだ

大人たちに支配されるな

初めから そうあきらめてしまったら

僕らは何のために生まれたのか?

夢を見ることは時には孤独にもなるよ

誰もいない道を進むんだ

この世界は群れていても始まらない

Yesでいいのか?

サイレントマジョリティ

欅坂46サイレントマジョリティー」

 

ねえ 目をあけて

余計なものから生きる力は生まれないから

あなたにはもう見えているはず

自分が大事だよ それも人なんだよ

雨が空から離れたら きっと

見えなかったものがあなたに見えるよ

傷つけたくて傷つける人なんて

どこにもいない

進むためなんだから

熊木杏里「雨が空から離れたら」

 

 

    まだ間に合うのかしら。私は。

 

    絶望の最小化ではなく希望の最大化を図るよう生きること。

 

 

 

 

きのうは雨でもきょうは晴れ

 

    片付きゆく部屋の隅には片付かぬ君が煙草の跡ひとつあり

 

    ただいま、引っ越し準備の真っ最中である。鋭意、ものを捨てては思い出に浸り、捨てられなくては思い出に浸る。引っ越し準備や片付けというのは往々にしてセンチメンタルに耐えることが主な仕事であると思う。だから作業は全く進まない。いまもこうやって文章を書いているし。

    ほんの少しずつほんの少しずつ片付いてゆく部屋の中で、時折ぼうっとしては、片付いてゆかない記憶を辿る。前述した、思いついたままに書いた短歌めいたものは実際にあったことではないけれども、いまのわたしは似たような状況にある。

    1回生のときにサークルの子たちと親子丼の会をしたこと、何人もの友人たちが泊まりに来たこと、そのお泊まり会で一緒に泣いたりしたこと、この座椅子に座っていたひとのこと、部屋のスイッチに貼ったマスキングテープの跡、この椅子で文を書いたり読んだりしたこと。

    わたしがこの部屋にいたことは、地図上には載らないし、当然史書にも載らないし、この町のほとんどのひとは知らない。それでもわたしやあのひとたちは、ここにいたよ、と、そんなことを誰かに伝えたいな、なんて思う。

    煙草の跡は目に見えるけれど、思い出だって、可視的であるといえないことはないのではないか。だって鮮明にあるもの。見えてくるもの。景色として、すぐそこに。

    と、そうこう書いて下書きに保存しているうちに日は経ち卒業式が終わり、荷物はあっという間に部屋からなくなった。2017年3月22日、水曜日です。がらんとした部屋の、フローリングの上に寝転がっていまこれを書いています。これから集荷のひとが来てくれるのを、ぶどうのピュレグミをもぐもぐしながら、待っています。

    きょうこのあと、この町を離れる。思ったほどの感慨はないんだな。もう新天地での生活が始まっていて、ここでは生活していないからだろうか。

    でも、もっと会ってもっと話したいことのあるひとたちはいて、それはとてもさみしい。書こうと思って書けなかった手紙、言おうと思って言えていないこと。そのうち、と、思っている。なんだかまたすぐに会える気がしている。それまで生命が続いてくれるかなんてわからないのにね。それでもまたすぐに会える気がしている。しているよ。

    もうカーテンも取り外して、開け放った窓の外に、飛行機雲が伸びていくのが見えた。そしてゆっくりと、電線と交差した。やがて、飛行機雲が消えて、電線は残されて、それは人と人との出会いと別れのようで。

    いまわたしは、飛行機雲なのかしら。束の間交差したわたしの線とあなたの線は、少しずつ離れて、やがて遠のいて、わたしの線は少しずつ消えて。

    それでもわたしは飛行機雲ではないから、交差したわたしとあなたは地球が一周回るころ、また出会うでしょう。どれくらいのスピードで伸びる・進むそれなのかはわからないけれども、また出会うでしょう。

    そしてまたあなたはここであなたの線とだれかの線が美しく交差して素晴らしい日々を送りますように。

    わたしは向こうで、愛しいひととの交差を日々ゆるやかに繰り返し、一枚の布を織れるように。

   

 

    縦の糸はあなた 横の糸は私

    逢うべき人に出逢えることを

    人は仕合わせと呼びます

    中島みゆき「糸」 

  

 

    しあわせな京都生活だった。

    しあわせな人生だ。

 

 

遡及的に愛されるいくつかの今日へ

 

 この「一草一花」内で、数か所設定変更をしてみた。おそらくあまり気づかれないであろうし、気づかれなくてもまったくかまわないし、ただ変えてみたというそれだけのこと。id名だけではなくて、名前を表示させることもできると教えてもらったので、そこも変えた。かわいい名前。うふふ。

 それと、「自由記述欄」「ひとこと説明」のようなスペースがあったので、

 

 遡及的に愛されるいくつかの今日へ

 

 と書いてみた。このような文の型・導き方のようなものはよくあるなあと思うけれど、書きたい内容はこれなのでこれにした。

 生きてみなければわからないことをわかるために生きるのだろうか、と、ここのところ思う。いつかやってくる答え合わせのために生きるのだろうか、とか。

 人がなすいくつかのことや、陥るいくつかの状況などといったことのその意味は、その時点においては明らかでないことが多い。そんなときには誰かを呪ったり自分を呪ったり、もう生きていたくないなーと思ったりする。

 あと2ヶ月で終わる(はずの)大学生活で、私は何もできなかった。何もなかった。

 1回生の後期からずっと体調が悪くて休学し、復学したあとには大学へ週5で通っていたのに、授業以外では誰にも会うことがなかった。人が嫌いなわけではなかったし、会話をすることが嫌いだったわけでもないけれど、常に「相手は私を疎ましく思っているに違いない」と感じてしまっていたから、怖くてたまらなくて、人間関係を続けることができなかったのだった。それは、よく言われる「自信のなさ(スキルなどといった、自分の存在に上乗せしていくものの問題)」のせいではなくて、そもそも「自分が生きている・生まれたことといった存在そのものの肯定感」が低かったせいであるように思う。

 こんなにも人が溢れるキャンパスの中で、私は誰にも用がなかったし、誰も私に用がなかった。卒業してもしなくても変わらないような気がしたし、卒業式で自分が誰かと会話をしたり別れを惜しんだりするようすが、まるで想像できなかった。内にこもり続けていたから、何もできなかった。何もしなかった。

 その大学生活を過ごしながら、まあひとりで本を読んだり日記を書く日々はきらいではなかったけれど、無駄に過ごしているんじゃないかと感じることは、常にあった。

 今となっては、すこし懐かしくも思う。時間が経って、私はその日々を愛することができるし、そのときの自分を愛することができる。

 2016年は、私にとって「答え合わせ」の年であった。「私は間違えてなかったんだな」と思える出会いがあったり、「あの大学生活の日々があったから私は今ここにいるんだな」と思える出会いがあった。それは、これまで自分が辿ってきた道筋でなければ辿りつかない場所であった。報われるような思いがして、その日々が愛しく思えた。けれどそれは今になったから言えることであって、たとえば今の私があのときの私に「だから生きなよ」と説いても、「そういう問題じゃない」といって、聞かないであろう。それは当然である。「生きてみてわかったこと」「肯定されたこと」は、「生きていないうち」「肯定されていないうち」には、わかるはずがない。そうはいっても、「そういう問題じゃない」といって聞かないであろう自分も、もしかしたらどこかに存在するかもしれないそういうひとのことも、「だよね」と言って肯定したい。

 ものごとの意味は遡及的にしかわからない。何かを愛するためには時間が要ることがある。大体のことは、きっとそうでしょう。わかりたければ、愛したければ、それまで生きなければならない。まあ、もっとゆるく、「それまで生きたほうがいいんじゃないかしら」と、そんな風に思う。自分のこれまでがどこかに繋がるような、ここにたどり着くんだ、とわかるような、そんな日が来るかもしれないなら、たぶん生きたほうがいい。「今まで間違えてなかったんだ」という瞬間にしか、全ては肯定されないのではないか。

 何でもない日常であるような今日も、つらいなーと思いながら過ごした今日も、いつかどこかに辿り着くかもしれない。愛されることになるかもしれない。それは誰かによってかもしれないし、私によってかもしれない。そんな遡及的に愛されるいくつかの今日について、ここ「一草一花」に書き留めておこうと思う。これは、そんな決意の一文である。文の最後に「へ」とつけたのは、何かしらの助詞をつけたいという思いもあったのと、未来の自分からのメッセージというような意味合いを持たせたかったからである。ここに書きながら、全てはいつかの未来において肯定されると、愛されると、現時点においてすでに予感しているのである。それくらいの希望を抱いたっていいよな。私は私に生きていて欲しい。

 「遡及的に愛されるいくつかの今日へ」。その宛名の先に綴られるであろうことばを私はすでに知っている。そしてその未来になったとき、さらに続きを書くのでしょう。

 これを落としたら卒業できないというラスボスのテストがあまり出来なくて涙目の今日も、いつか愛されますように。

 

 

 

 

 

 

 

bear

 
 
    誕生日の前月になると、「お誕生日クーポン」のメールマガジンがあちこちから届くようになる。アイスの31%オフや、洋服の1000円引きや、トリートメントのサービスなど。無敵な気持ちになれる。
    先月は誕生日でした。祝福してくれる方がいらっしゃって嬉しい。どうもありがとうございます。
    誕生日には、いろんなひとがその当人に「おめでとう」と言ってくれる。何をめでたいとするのか。そのひとが生まれたことは何十年経ってもめでたいことである、ということだろうか。なんて美しいのか。
    でも、当人が会うひと会うひとに「ありがとう」と伝えるのが本筋なような気もするな。自分の生がこの世に存在することを祝福してくれることへの返礼としての「ありがとう」ではなくて、自分の生がこの世に存在して、それから存在し続けているのはあなたのおかげですという意味での「ありがとう」を伝えるべきではないか。来年の誕生日は積極的に、その日会ったひとに「ありがとう」と言ってみよう。
 
    最近は何も書きたくないし、書けないし。ということはつまりかんがえることを進めていたわけでもなければ、きちんと勉強もしていたわけでもないのであります。この文も、2週間前に途中まで書いていて、やめて、それをいま書き足したり書き直したりしている。けれどその期間に、そういう、論理や技術などではなくて、「感情」というものを発展させることができていた気はします。
    私は感情がきらいでした。人は簡単にそれに流されるから。何も見えなくなるから。だから、なぜそうかんじるのか、ほんとうにそうかんじるのか、それをかんがえなければ、という強迫観念に常におそわれるのです。けれども、たとえば「好き」は「好き」でいいし、「悲しい」は「悲しい」でいいじゃん、という、そういう単純な感情を単純な感情としてまずはそこに置く・肯定することの重大さのようなものがわかった気がします。
 これらは私の課題だったので、やや克服し始めているところなのかもしれないです。よい24歳にしよう。I was born.「生まれる」は受動かもしれないけれど、「生きる」は能動だ。そして25歳の私を生むのは私ですね。
 
    
 
    あざやかさを、匂いを、おとした金木犀の花の、たちこめる生と死のなかで、私はある。光によって。愛によって。私の意思によって。私はある。
    道ばたに降ったそのちいさな花びらを、手帳のきょうのページにはさんでみた。2017年の10月20日に、また会いましょう。
 
 
 2016年11月4日
 
 
 
 
 

手からすべるように

 

 流してしまったいくつかの出来事や感情に気がついて、ごめんね、と思った。

 あの本を読んだのはいつだったっけ。あの音楽にはまっていたのはいつだったっけ。あんなことを考えていたのはいつだったっけ。

 あの本を読んでその瞬間に感じたのは何だったっけ。あの音楽を聞いて自分のどんな感情のなまえを見つけたんだったっけ。あんなことを考えてそれをどんなふうに記述しようとしていたんだっけ。

 それらはもうわからないし、思い出せない。ここに持っていたのになくしてしまったこと。あの本があの音楽があの出来事が、私にくれたものたちを、私は流してしまった。時間に。風に。

 ごめんね。

 そう感じた私は、すべてから語りかけられている気持ちになった。私に語りかけられたことは、私が記述しなければならない。

    文を書きたい。

 目に映るすべてのことはメッセージ。

 

 

 

 

calling

 
 「よばれる」という感覚は時々あって、なにかに引きつけられるというか、たとえば直感と言い換えてもいいのかもしれないけれど、もっと音もなく大きななにかで、そう、やはりそれは「よばれる」というのがいちばん適切な気がするから、わたしはこの感覚を「よばれる」と表現している。
    京都に進学したのは、まあいろいろ事情はあったのだけれども、「よばれた」からだった。ふと、「あ、京都」と、そうしてよばれるままにやってきて、京都在住であるいま、わたしはある場所によばれている気がするから、卒業したらそこに行こうとおもう。
    わたしがわたしを失えないのは、この世界によばれているからなのだろうか。
    これは自分ではないのだとよくわかっていながらも抗うことができないことがある。突然涙が止まらなくなる。自分を壊してしまいたくなる。意思によって生きているのではなくて、身体に生きられているような。頭の言うことを聞いてくれないから、身体を投げ捨てたくなって、窓を開けてしまう。風がつめたい。
    小学生のころからわたしは「もうひとつの世界」を信じていた。それは死後の世界を指しているのではなくて。そこは何もかもが調和した完璧に美しい世界。「美しいである」世界。
    小中学生のころはよくかみさまと会話をしていたから、「わたしはこちらの世界の住人ではないのだろう」と感じていた。早くあちらに行きたいと思っていた。でも、どうやらまだ行けないらしい。引きつけられず反発する。風がわたしを押さない。なぜ?
    おねがいだからずっとわたしの名前を、読んで、呼んで。そしてわたしをよんでいて欲しい。「美しいである」のはこの生と、そう思わせて。
 
    窓を閉める。わたしもあなたをよんでいる。