消えないで

 
    金木犀が始まった。
    と書こうと思っているうちに、終わってしまっていた。私はとことん季節に乗り遅れる。
    私が通うこの大学の構内には、どこもかしこも金木犀が植えられている。花をつけるこの時季になると、建物から出る前にすでに、匂いがしてくるほどである。設計者はきっとセンチメンタリストなのだろう。
    私がこの四年間の学生生活で見つけた「サイコーの金木犀スポット」にある金木犀の木たちはもう、「ぼくら今年の役目終わりっす」とでもいうように、黄色い花を落としてしまっていた。そっか。おつかれさまです。また来年だね。私、来年はいないけど。こうして生命は続いてゆく。
    毎週水曜日に訪れる建物の階段下を通ったとき、その残り香が鼻先をかすめた。鮮やかさをおとした、濁った黄色い花がそこにはあった。やった、ここにはまだあるんだ、と思ったら、その匂いはすれ違った誰かの香水にかき消されてしまった。私の初秋の微風は終わった。
    大学構内を歩くとき、私はいつもiPodにつないだイヤホンで音楽を聞いている。時々は、学生の騒がしさも聞きたくて、そうしないこともある。大学自体は大好きだ。風景のように眺めていたい。それでも大体いつも音楽を聞いている。この風景と音楽と自分をすべて結びつけて、二十年後にも覚えていたい、思い出したい、と思うのである。私はいつも二十年後の感傷を先回りして現在の行動を決めている。
    休み時間になって人通りが増え始めると、大好きな音楽は人の声に、人自身に、雰囲気に、かき消されてゆく。そうすると、いつもひとりでいる私は泣きたくてたまらなくなる。ただひとつの頼りが奪われる気持ちになる。心細くなる。強く生きたい。
    神様を信じる強さを僕に、生きることをあきらめてしまわぬように、大学というにぎやかな場所でイヤホンからかかりつづける音楽に、僕はずっと耳を傾けている。
    匂いや音楽と同じように、記憶も、誰かにかき消されるものであると思う。誰かとの記憶は、誰かとの記憶に。それは上書きに近いような気もするし、やはり消されるものであるようにも感じる。あるときふと、季節の風は次の季節の風に、取って代わる。あの感じ、似ている。ただ、匂いや音楽とは違って記憶のそれだけは、希望と思いたい。
    でもやはり、かき消されたくないものばかりだな。匂いも音楽も記憶も。だから私の中に確かに持つんだ。音楽を鳴らすんだ。かき消されないように。かき消されたとして、また取り戻せるように。
    
 
 
 
 
 

一年前の日記を転載

 
    2015年9月29日
 

    あざやかな夏が過ぎて、いつのまにか蝉の声も途絶えた九月、金木犀はセンチメンタルを加速させます。窓を開けて息を吸い込めば街中が初恋の嵐

 
    一生続くかと思われた夏休みがおわりました\(^o^)/
 
    夏休みは長く札幌に帰りました。毎年恒例のRISING SUN ROCK FESTIVALや函館帰省美瑛富良野旅行へ行きました。京都に戻ってからは、行く2日前に決定した日帰り鎌倉弾丸ツアーを決行しました。
 
    私のライジングは今年で9年目でした。気づけば全開催回数の半分以上を行っている、おどろき!その割にいまだ荷物を上手に作れないね、ごめんなしゃいね。
 以下、とても長い感想↓
 
私の人生のエンドロール音楽部門に間違いなく載る方々です、とてもよかったです。一番好きな曲「白い恋人」は、何度聞いても胸がつまるし、ライジングにぴったりな曲。
「僕らはきっと日曜日の朝に
めまいのするような朝陽を見る 
地平線の向こうへと翻る
蒼い太陽の日差しの中で」
白い恋人にかかわらずRISING SUN ROCK FESという会場では、曲に新たな解釈ができる。私はこのフェスが大好きです。
晴れていた空は、NOW でさらに陽が照って、天気を操るようで、さすがサニーなデイをサービスしてくれるひとたちでした。絶対最後にやると思っていたサマーソルジャーは、わかっていても悶えます。
「その唇染めるのは彼方に沈む夕陽なのか
ぼくの心捕まえて青ざめさせる恋の季節
「八月の小さな冗談と真夏の重い病」
キラーフレーズですね。サニーデイ・サービスは素晴らしいバンドだ(くちぐせ)
 
cero
あまりに絶賛されているのであまのじゃくにきちんと聞いておらず、遠巻きに途中からライブを見ましたが、圧倒されました。す、すごいものを見てしまった…。歌詞とかメロディとか音とかなんだかそういうのではなく、「そこで音楽が鳴っている」、そのことが素晴らしかったです。目にみえるすべてが音楽でした。音の粒たちが光に照らされて、降ってきた。
私の好きな音楽のひとたちの多くはもう活動をしていないか、いわゆる全盛期ほど活動をしていなくて、それがとてもくやしかった。間に合いたかったなーという思いが強かった(今はそれほど思わないけれど)。だから、大森靖子さんがメジャーデビューまで駆け上がっていく様子を見ていることができたことはとても嬉しかったです。そしていまceroを好きになれて、わたしはとても嬉しい。あたらしく音楽を好きになること、CDの発売日を心待ちにできること、その幸福!!!11月のcero中野サンプラザワンマン行きます(((o(*゚▽゚*)o))) Yellow Magusは今年のわたしの夏の一曲。
 
ボヘミアンガーデンに向かう途中で、中島みゆきさんの「世情」が聞こえてきた。安藤裕子さんが歌っていると気づいて走りました。「世情」は、『二十歳の原点』が大好きな私は、シュプレヒコールの波をひとり通り過ぎていく彼女を思いながら聞いています。
「世界をかえるつもりはない」が圧巻でした。安藤裕子さんは歌手とか女優とか画家とかスタイリストとかもそうなのだけど、「表現者」ということばが似あうなあと思います。
「世界の片隅で叫ぶほどの
言葉なんて何も持たないけど
この狭い部屋の片隅で君が今も
笑っているなんて素敵だもん」
TEXASと海原の月も聞きたかった!
 
銀杏というかみねたなんですね。わたしは銀杏のライトなファンなので文脈に沿った見方はできませんがとてもとてもよかったです。銀杏の直前までテントでねていたのに、スッと「銀杏見なきゃ」と目が覚めたのは何かだったと思います(何か)。
前回のライジング出演は7年前だそうですが、わたしもそれ、遠くから見た気がするなあ。7年かあしみじみ。『DOOR』も『君と僕の第三次世界大戦的恋愛革命』も高校生のころ聞いていました。
最後にやってくれた曲のあいどんわなだい(I DON'T WANNA DIE FOREVER)」「ぽあだむ」はあのときはじめて聞いたのですが、とてもよかった。
「夢見る頃を過ぎて
英雄なんかいないって重々承知してんだ
でもあの子さえいれば
ドニ・ラヴァンみたいにPOPになれんだ」
ギターも置いて打ち込みに合わせてピンボーカルで歌うみねたの、まっすぐさがとてもよかった。MCとかもそうだけどやはりみねたは存在感あるなあ、カリスマ的なひとなのだなあと思いました。「ぽあだむ」は今年のわたしの夏の一曲。「こぼれたら キッスしてね」で涙出そうになる。この曲の歌詞のあらゆるところが私のつぼを押してくる。この曲の主人公の男の子の、恋と退屈とロックンロールっぷりがうつくしい。MVではかわいいかわいい女の子たちが次々と投げキッスしてくれます、YouTubeへ急げ。来月の京都梅小路公園での野外イベントに銀杏が来るそうなのでとても楽しみです。ライジング以来大ファンになりました。
 
    ほかにもいろいろ見ました、クラムボンの「サラウンド」で気持ちが晴れわたったり「便箋歌」で泣いたり、ハナレグミも笑って泣いて踊ってのすばらしさ、ほんとうにさいこーでしたが、長くなりすぎるので省略です。たのしかった。ライブのほかにも、いちごけずったし、花かんむりかぶった。
    二泊三日のライブ三昧テント生活から帰宅して、16時ころまさに充電が切れたようにねむりましたら目が覚めたのは翌朝5時で、どっちの5時なのか、わかりませんでした。ライジングあるあるですよね。
    音楽があるから忘れないでいられることがあって、音楽があるからそこにあることに気がつける感情があって、だからできるだけたくさんの、ものに、触れたほうがいい。勉強をしなさい本を読みなさいということの意味することのひとつには、期せずして持ってしまった自分ではどうにもことばにできない感情やぼんやりとした思いを、どこかの国でいつかの時代に同じように考え続け文にあらわしあるいは思想として組み立てた人があることを知っている、ということに救われるから、があるとかんがえます。
    そういえばここ数年サンステージだけ斜めに設置されているのは何か理由があるのでしょうか、サンからテントに戻るのにまっすぐ歩くと斜めに進んでいるから方向がわからなくなりませんか。
 
    函館は第二の故郷、美瑛富良野へ行くとからだが一心される気がする、前日翌日フルタイムバイトなのに鎌倉日帰りはいろいろなひとに「え、なんで ?」とドン引きされた、でもたのしかった、まなしゃんありがとう。
    北海道が大好きだけれど、まだこっちの12ヶ月で過ごしていたいなあ。
    季節の中で美しく生きたいと思います。
 
    ちなみに:一文めの「初恋の嵐」はバンドの初恋の嵐からです。
 
 
 
 
    某FBより。
    読み返すとかなり日本語があやしかったり、感想がふわっふわだったりしますが、「音楽があるから~」のくだりを書きたかったので、こちらに転載しておきます…。一年が経つのって早いなあ。
 
 
 
 
 

始まりとは

 

 きょうから私の後期が始まりました。

 以下、二十年後の私のためだけの日記。

 

 後期の授業は、必修の授業と、足りてない二単位分の一般教養と、自分の興味のある哲学史

 きょうは、必修の授業である専門演習(ゼミ)だった。

 教室は、いつだってこわい。みんな、いいひとなんだ。いいひとなんだけど、ただ、こわい。私はひとを前にすると常に自分が批判されている気がしてきてしまって、たまらなくなって、逃げたくなる。でもそれって、自分が人前に出られるほどの自信を持っていないからで、ただ自分が悪いだけなんだ。だから、人前に出られるような人間になるべきなんだ。うん、わかるよ。

 教室に入るのも、出るのも、びくびくしている。

 当然なにごともなく、第一回の授業は終わる。いい年なんだから自分で自分の首を絞めるなんてやめたほうがいいよ、と、内なる自分も自分を批判してくる。うん、わかるよ。何をどう考えても自分しか悪くないことばかりで、だから人を前にするのがこわくて、だから何もできなくて、その結果また自分しか悪くないからこうなるんだとかんがえたところで、何も変わっていかない。

 じゃあ、どうしようか?

 自分を変えるならいまだなと思う。きょうが始まりなんだ。

 いまやることをひとつひとつこなすこと。

    とりあえず、外へ出て行きましょう。

 もうすぐで、ほら、もうすぐで、川に出るはず。

 

 

    忘れたくないな。

    きょうは十九時過ぎに図書館を出た。外では、雷が鳴っていて。雨が降っていた。傘をさして、中のレジュメや本が濡れないようにリュックを前に背負って、iPodで中村くんの『金字塔』を聞いて、いつもの通学路は金木犀の匂いがたちこめていて、歩いて、家に帰ったよ。

    まだ、大きな無限大が、みんなを待ってる。

    トンネルを抜けると、今日は、解放記念日だ。

    家に着いて、ポストを開けたら、てがみが届いていた。ちょうどイヤホンからは、「謎」が聞こえていた。

    僕等の答えはゴールを旋回し、大手振り、出発地点へ戻る。

    誰にもわかって欲しくないから日記に書かない幸せ。

 

     始まりとは、ここだ。

 

 

 

 

進むとは何か

 
    とてもよい文を書くひとがいて、そのひとの文が更新されるのを私はいつもたのしみにしている。
    このあいだ、更新された文をわくわくと読んだら、心乱された。母の愛についての文だった。内容はごく普遍的で当たり前で、おそらく大体のひとが賛同することで、正しかった。私も異論はないし、やはりとてもよい文であった。とてもよかった。けれど私は心乱された。
    文中で繰り返される「お母さん」ということばにも私は気分が重くなった。たとえば他にも、ここ連日テレビで放送されるオリンピック関連の、出場選手がお母さんへ感謝を伝える場面にも私はすこし気分が重くなる。すぐに忘れるけど。
    誰も傷つけない文や言葉というのは、あるのだろうか。たとえばこの文も、誰かを傷つけているに違いない。
    私は「重度かつさわやかなファザコン」を自称しており、よく、父がどうのこうのと言うし、書く。それを読んでわずかでも心乱されたり傷つくひとがいるだろうとは、ある程度予想している。
    何かについて書くとき、語るとき、誰からも受け入れられることはきっとない。
 「人を愛することはよいことだ」という命題があったとして、それはおそらく正しくて、しかしながらいくつもの「けれど」や「自分は愛されなかった」や「愛が人を殺すこともある」などは、かんがえられる。あらゆる場合はあるけれど、それらすべてを鑑みながら書くことは不可能に近い。だからといって、「不快に思うひともいるんだからやめてください」という主張も違う。
 何かについて書くとき、そこから弾き出されるような場合やひとがあるのは仕方がない。ありとあらゆるひとがあって、ありとあらゆる場合がある。そしてそれを知るたび、「何も言えない」という地点に立ち止まってしまう。
 けれど、全てに考慮していては何も言えないし、何も書けない。
 けれど、いつも意識していたい。
 立ち止まってはいけない。
 けれど、進まなければならないのか。
 そんなことをかんがえ続けることだけは、やめてはいけない。

ありとあらゆる種類の言葉を知って何も言えなくなるなんてそんなバカなあやまちはしないのさ!
小沢健二「ローラースケート・パーク」
   
  この言葉をいつも胸に刻みます。
 
  書くって、伝えるって、言葉って、何なのか。
  私にはまだまだ洞察が足りない。
 
 
 
 
 
 
 

真夏のピークが去った

 

    台風が接近しているそうで、ここ数日は雨降りですね。私は雨音を聞くことは好きなのですが、部屋の中が外の世界の憂うつに、しずかに満たされていくようで、雨の日は気が塞ぎます。いままで本を読んでいたのですが(村上春樹さんです)、外の世界の雨のせいで、25mプールいっぱいに陰鬱さが満ちているような、とにかく私をじわじわと囲い込んで、追い込まれるような、呼吸が圧迫されるような気持ちになって、片付けを始めてしまいました。大体の憂うつは、部屋に物が多いことが原因の気がします。雨の日は、本を読むのがお好きですか。それとも、何かに取り憑かれたように片付けをなさいますか。

    きょうの明け方は、寒さに目が覚めました。半袖ひざ丈ワンピースの部屋着と、タオルケット1枚にブランケット1枚とでは、とっくに冷えるということに、今さら気がつきました。もう9月も下旬になるらしいのです。起きて、毛布を1枚足しました。
    そういえば、パッケージに「夏」と大きく書かれたスナック菓子が、ドンキホーテで叩き売りされていました。おいものおやつや菓子パンが店頭に並ぶ季節ですね。けれど私はまだガリガリ君ソーダ味を、ぽたぽたとたらしながら食べていたい。
    私にとっては奇跡のような夏の終わりでした。
    今年のこの1年は特に、世界が私のために回っていたような気がしています。みなさんありがとう。光とはひとを生きさせるためにあるのだと、思いました。生きなくちゃ。
    いまはとりあえず、フジファブリック若者のすべて」を聞いています。きょうの題もその歌詞です。真夏のピークが去ったどころか、もう秋なのですが(特に、私の生まれ育った北海道なんて冬の序章でしょう)。
  「若者のすべて」。この曲を聞くと、いつも思います。何が若者のすべてなのか。若者のすべてが何なのか。若者であるところの私のすべてとは何であるのか。若者であるところの私のすべてが何なのか。そんなことを、いまもかんがえています。
   この曲の、『「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて』という詞が好きです。運命ということばは便利です。けれど私はこのことばもしくは概念を、「運命なのだから」という諦めや若者のうっすらとした希望のために利用するのではなく「運命ならば」という、自らの推進力としていきたいと思います。
    僕らは変わるかな。
    さて、部屋の片付けの続きをしなくっちゃ。終わったら、本の続きを読もう。ああ、でも、なんか、ねむい。さっき足した毛布、あったかい。あーおひるねしたい。僕らは、変わるかな?ああ、ねよう。ねよう。明け方見た夢では、知らないひとがしんでいた。ひとがしぬ夢は吉夢らしいな。でも明るい夢を見たいな。さっきから頭が痛いのは眠りすぎのせいなんだろう。低気圧の影響かしら、そんな繊細なのかな、私は。おやすみなさい。
 
 
 
 
 

生きている

 
    一年ぶりにお会いした方がここを読んでくださっていて、とてもうれしかった。ありがたかった。
    自分のためにしかならないし書いていて何になるのか、と思いながらも、書かなきゃ、と思うから、私は書いていました。公開することに意味があるから公開しているとはいっても、誰も見ていなくても書くのですが、見てるよと言ってくださる方がいらしたら、ああやろう、と思います。書くたび絶望しますが、それをしなくなるために、やろう。
    くださった感想のひとつに、「内容がいつも意味深ですよね」というのがありました。そうですかね。なるほど。もうひとり、そう言った方がいました。なるほど。
    できるだけ「私」から遠ざけたいとか、できるだけ雰囲気のみを残したいとか、かんがえていたら、今のところこうなってしまった。たとえば目の前のあるものについて書くとき、具体的なことばでかさねることで現れる景色より、何も描けていないようなことばから立ち上がる景色が私は見たいのだ。それを見ることができるようになるということが、私の今後の目標のひとつにある。けれど、私の場合は具体からの抽象ではなくてただの抽象だから、よくない気もする。まずはものごとを考えるために書かなければ、と思う。私は論理的に、ものをかんがえることができないのだ。感性だけに寄ってはいけない。その感性があるかどうかもわからないけれど。
 きれいで上手で論理的でしっかりとした思考に基づいた文を読むたび、あああ私はこんなに書けないのにここで書いてて何になるんだろう、と、いつも思う。見てくれているひともいるから、きちんとした文できちんとした始まりと終わりで書かなければならないな、でもあああ書けない、とも、思う。
 できないくせに完璧主義で、「かくあるべき」に縛られがちで、ひとの目を気にするゆえ何もできなくなる私はもうすこし、自分のためなのだということを意識した方が、きっといい。そもそも書けないし誰かのためにここを書いているわけではないけれど、自分のためでもなかったと、気がついた。
    もっと、毎日のことを書こうかしら。
    手段としてここに文を書くことにしているけれど、目的でもいいのかもしれない。私は、私の食べたものも見たものもここに書こう。そうしてそこからいつも何かをかんがえて、書けばよい。文を書くために書くことと、記録を残すこと。かんがえることも、「日記」のように記録を残すことも、いまの自分のためにもいつかの自分のためにもなる。そうしていつか読んだ誰かのためになることがあればいいな。
    私はいま、私が生きてあることを書けばよい。記録すればよいのだ。
 おととい、ひとがウェブ上に書いた日記を四年分読んだ。美しくて涙が出た。
 いくつかの文はノートにメモをした。「あっ、あれってこういう言い回しで表されるものだったのか」とおどろいたことがあって、私の脳内辞書に登録した。すっきりした。
 このような内容はもちろんであるけれど、私は、そのひとが生きているということが美しいと思った。そのことに涙が出た。
 私は書くばかりでなく、ひとの日記を読むことが好きである。たとえば高野悦子さん、二階堂奥歯さん、弘津正二さんなどの本が、私の家にはある。ほかにも読みたいので、おすすめがあればご教示くださいませ。
    彼らの文や思考が大好きで尊敬しているというのももちろんあるけれど、「このひとは生きていたんだな」と思わされるのが好きで、読んでいる。そう思うとき、胸がきゅっとなるのが好きなのだ。愛しいな、という感情。
    その公開・非公開を問わず、随筆や作品などよりも日記の方が、そのひとの生が克明である気がする。それらと較べて飾りのない、日常や感情の発露だからであろうか。日付が記載されているせいであろうか。一日一日と、生が刻まれていく様子。時々思いを馳せてみる。「何を食べたとか 街の匂いとか 全部教えて(大森靖子「ミッドナイト清純異性交遊」)」という気分になる。ひとが生きていることは愛しい。
 ひとは自分以外の物語がほしいのかな、見たいのかな、と思った。だから映画を見たり、ひとと仲よくしたり、音楽を聞いたりするのかな。
 大森靖子さんがタワーレコードのポスターに、「だれかを 好きになりたくてしかたないんでしょ」と書いていた。私はこの言葉がとても好きで、共感する。私はひとが生きていることが愛しくてしかたないし、だれかを好きになりたくてしかたないし、愛したくてしかたない。それは恋愛の範囲に限定されるものではない。
    だれかを好きになるのは、だれかの物語を読みたいからなのだろうか。それまで生きてきた人生や現在の思考を、その物語を、読み解きたいからなのだろうか、知りたいからなのだろうか。だれかを愛するというのは、それを愛しく思う感情の動きなのか。
    日記を読むのも、そういうことなのかもしれない。自分は一生行くことのない、他の生を覗き見ること。自分は見ることのなかった世界を、そのひとの目を通して、見ること。その物語を読むこと。
    わたしは、いまここに生きています。ここに何かを書き残しています。
    わたしが、いつか読まれる物語となりますように。
    そしていまこれを読んでいるあなたも物語だ。
    わたしは一生行けない、あなたの生をわたしに見せて。
 
 
 
 
 

抱きしめたい

 
    いくつもの書いたことばを、文を、だれの目にもふれないまま、保存する。それらはノートの中に、このアプリの中に、私の中に、いつまでもある。夏に置きさりもできないで、いつかやどこかに置きさりもできないで、いつまでもある。
    どうしたら、それらは星座となって夜空を照らすことができるだろうかと、かんがえながら、三角形のこの部屋の中に散らしたままになっている。この部屋ひとつすら、私ひとりすら照らせないようなこのことばたちをどうしようかと、時々かき集めては磨いたりする。星って、磨けば光るのか? そういうものなのか?
    こんなんじゃ伝えられない。何も伝えられない。
 それでもほかの手段もわからなくて、私はいくつものことばを置いてゆけない。私はひとにふれることができないのだった。
    伝えたいことばを思いつくのはいつも、「それじゃあね」と別れたあとである。自転車をこぎながら、あるいは電車に乗りながら、こんなこと言いたかったな、と、頭の中で組み立てる。家に帰ってなにかに書く。書いては、また自らのうちに保存する。いつになったら言えるのか。言えなければ、なかったことと同じなのではないか。
    ことばがどれほど大事なものかと知ったのは17歳のときだった。伝えても伝えても足りない場合のあること、届かない場合のあることを思い知った。日本語だとあまりにもそのニュアンスなどが正確に伝わってしまうから、あえて、ネイティブではないゆえに広く訳せる、ただひとつであるはずの一文にあらゆる日本語をあてることができる英語を用いたこともあった。
 ことばがどれほど役立たないものかと知ったのも、17歳のときだった。ことばでは辿り着けない場所があるらしかった。はじめて読んだ「ひとりの人間」という物語は、ことばで成り立ってはいなかった。どんなことばも届かない場所がそこにはあった。
 それでも私は書いた。私はひとにふれることができないのだった。
    けれども、36度の体温の前に、ことばは勝てないとわかっていた。
    ふれる手の前に、ことばは勝てない。
 どれほど尽くしてもかさねても伝えきれない感情を、たった一度ふれる感覚が、伝えた体温が、飛び越えていくことがある。どれほどのことばより欲しいものは、照らしてくれるのは、それだったりする。
 あなたといるとき、私はいつも何か言おうとしていて、けれど、どんなことばでも届かない場所があるとわかっているから、「何も言えない」というところに立ち尽くしてしまう。それならほかのどんな手段で伝えるべきかなんて、わかっていても、私はひとにふれることができないのだった。
 ことばを置いてあなたを抱きしめるとき、ことばの向こう側へゆけるのか。保存し続けたことばも放たれるのか。あなたには届くのか。