始まりとは

 

 きょうから私の後期が始まりました。

 以下、二十年後の私のためだけの日記。


 後期の授業は、必修の授業と、足りてない2単位分の一般教養と、自分の興味のある哲学史

 きょうは、必修の授業である専門演習(ゼミ)だった。

 教室は、いつだってこわい。みんな、いいひとなんだ。いいひとなんだけど、ただ、こわい。私はひとを前にすると常に自分が批判されている気がしてきてしまって、たまらなくなって、逃げたくなる。でもそれって、自分が人前に出られるほどの自信を持っていないからで、ただ自分が悪いだけなんだ。だから、人前に出られるような人間になるべきなんだ。うん、わかるよ。

 教室に入るのも、出るのも、びくびくしている。

 当然なにごともなく、第一回の授業は終わる。いい年なんだから自分で自分の首を絞めるなんてやめたほうがいいよ、と、内なる自分も自分を批判してくる。うん、わかるよ。何をどう考えても自分しか悪くないことばかりで、だから人を前にするのがこわくて、だから何もできなくて、その結果また自分しか悪くないからこうなるんだとかんがえたところで、何も変わっていかない。

 じゃあ、どうしようか?

 自分を変えるならいまだなと思う。きょうが始まりなんだ。

 いまやることをひとつひとつこなすこと。

    とりあえず、外へ出て行きましょう。

 もうすぐで、ほら、もうすぐで、川に出るはず。



    忘れたくないな。

    きょうは19時過ぎに図書館を出た。外では、雷が鳴っていて。雨が降っていた。傘をさして、中のレジュメや本が濡れないようにリュックを前に背負って、iPodで中村くんの『金字塔』を聞いて、いつもの通学路は金木犀の匂いがたちこめていて、歩いて、家に帰ったよ。

    まだ、大きな無限大が、みんなを待ってる。

    トンネルを抜けると、今日は、解放記念日だ。

    家に着いて、ポストを開けたら、てがみが届いていた。ちょうどイヤホンからは、「謎」が聞こえていた。

    僕等の答えはゴールを旋回し、大手振り、出発地点へ戻る。

    誰にもわかって欲しくないから日記に書かない幸せ。

 

     始まりとは、ここだ。

 

 



真夏のピークが去った


    台風が接近しているそうで、ここ数日は雨降りですね。私は雨音を聞くことは好きなのですが、部屋の中が外の世界の憂うつに、しずかに満たされていくようで、雨の日は気が塞ぎます。いままで本を読んでいたのですが(村上春樹さんです)、外の世界の雨のせいで、25mプールいっぱいに陰鬱さが満ちているような、とにかく私をじわじわと囲い込んで、追い込まれるような、呼吸が圧迫されるような気持ちになって、片付けを始めてしまいました。大体の憂うつは、部屋に物が多いことが原因の気がします。雨の日は、本を読むのがお好きですか。それとも、何かに取り憑かれたように片付けをなさいますか。
    きょうの明け方は、寒さに目が覚めました。半袖ひざ丈ワンピースの部屋着と、タオルケット一枚にブランケット一枚とでは、とっくに冷えるということに、今さら気がつきました。もう9月も下旬になるらしいのです。起きて、毛布を一枚足しました。
    そういえば、パッケージに「夏」と大きく書かれたスナック菓子が、ドンキホーテで叩き売りされていました。おいものおやつや菓子パンが店頭に並ぶ季節ですね。けれど私はまだガリガリ君ソーダ味を、ぽたぽたとたらしながら食べていたい。
    私にとっては奇跡のような夏の終わりでした。
    今年一年は特に、世界が私のために回っていたような気がしています。みなさんありがとう。光とはひとを生きさせるためにあるのだと、思いました。生きなくちゃ。
    いまはとりあえず、フジファブリック若者のすべて」を聞いています。きょうの題もその歌詞です。真夏のピークが去ったどころか、もう秋なのですが(特に、私の生まれ育った北海道なんて冬の序章でしょう)。
  「若者のすべて」。この曲を聞くと、いつも思います。何が若者のすべてなのか。若者のすべてが何なのか。若者であるところの私のすべてとは何であるのか。若者であるところの私のすべてが何なのか。そんなことを、いまもかんがえています。
   この曲の、『「運命」なんて便利なものでぼんやりさせて』という詞が好きです。運命ということばは便利です。けれど私はこのことばもしくは概念を、「運命なのだから」という諦めや若者のうっすらとした希望のために利用するのではなく「運命ならば」という、自らの推進力としていきたいと思います。
    僕らは変わるかな。
    さて、部屋の片付けの続きをしなくっちゃ。終わったら、本の続きを読もう。ああ、でも、なんか、ねむい。さっき足した毛布、あったかい。あーおひるねしたい。僕らは、変わるかな?ああ、ねよう。ねよう。明け方見た夢では、知らないひとがしんでいた。ひとがしぬ夢は吉夢らしいな。でも明るい夢を見たいな。さっきから頭が痛いのは眠りすぎのせいなんだろう。低気圧の影響かしら、そんな繊細なのかな、私は。おやすみなさい。





最終電車


    
「最終電車

    深夜2時のことを26時とよぶ彼はそのとき8月32日のなかにいた。
   どうしたってはくちょうやわしには見えない星座と、歩いて揺らされるたびぶつかるふたつの手と。結べない星たちは、つなげないわたしと彼のようで、寄る辺ないわたしたちはいつまでも歩いた。
    夏の男の子の白いシャツほど眩しいものは、この世にないと思う。彼のそれは昼の陽をすっかり吸収しきっていて、そこからあふれ出た光が彼の姿として、暗い夜に浮かんでいるように見えた。ほんとうは、海岸通りにぽつぽつと置かれた街灯によって照らされているだけなのだけれど。それでもわたしには、彼自身による発光のように思われた。その背中からは柔軟剤の香りがして、私の胸を刺した。ああ男の子だな、と思った。
 
「この時間になると、人も車も通らないね」
 
    短針も長針も2を指している左手首の腕時計を見ながら、あかるく彼が言った。
    8月31日23時54分発、8月32日ゆきの最終電車を探して歩き続ける私たちの横を、北斗七星が通り抜けた。
 
銀河鉄道なら来るかもしれないけど」
「来たら、乗りますか?」
「そうだな、乗ってみたいけれどそしたら途中で君は、いなくなっちゃうんですね」
「私からしたら私が私だからいなくなるのはあなたなんですよ」
 
    そんなとりとめもない会話は、夏の夜の空気に浮かばされる。恋も憧れもせつなさも愛のことばも、昼間の最高気温36度を未練たらしく引きずった熱気のうちに、閉じこめられてしまう。
    夏がこんなに暑いのは、熱病に侵されるように人々が恋をするからだと彼は言った。わたしたちは閉じこめられて浮かばされたまま、そこから抜け出すことができない。
 
「蛍を、見たことありますか」
「ああ、一度だけ」
「そうですか。わたし、なくて」
「それじゃあこんど探しに行きましょうか」
 
    こんどって、一年後の夏ですか、と、頭のなかで聞いてみた。一年後もわたしと一緒にこんなふうに、歩いてくれるのですか。
 
「天の川は、ありますか」
「天の川は、すごいですね。星が敷き詰められていて。昔は街灯も、家の明かりもないから、夜にはほんとうに星しか見えなかったのでしょう。それならたしかに夜には、星をつないで物語をつくるしか、することがなさそうです。そうかんがえるとわたしには、星は観察するものではなくて、読むものであるように思われます」
「オリオン座は物語だよね、ケンタウロスは手に矢を持っていて、オリオン座のしたにあるうさぎ座は、それから逃げようとしている」
 
    はじまりと終わりを季節は繰り返す。私はいつもそれに遅れてしまう。たとえば桜だってそうで、そろそろ咲くんだろうなとどきどきしていると、気がつけば真っ最中で、真っ最中だな、と感じるころには、すでに散り始めている。スノードームのような世界のなかで季節がまわるのを、その外側からただ眺めているだけだ。当事者のつもりなのに、なりきれないでいる。きっと彼もそうだった。だからわたしたちはいま夏が終わる瞬間を見届けようとしている。いまだけは、追いつきたくて。
 
  「いつか終わるとしてもいまを一緒に生きるってことは、そんなに美しいことなのかな」
 
    季節もひとの心も、うつりゆくものだとしても、季節は終わり続けることで季節を保ち続けるのに対して、ひとの心は、終わらないことで保ち続けてゆくしかない。終わっては始まる季節に対して、ひとの心は、そういうものではない。
    1年後にまたふたりで会い、蛍を探しにゆくこと。1年後。24時間365日という途方もない時間のなかにわたしはいられるだろうか。そんなわたしに彼は言った。
 
 「終わらないよ。」
 
    遠くから波の音が聞こえていた。いつかだれかに言えなかったこと、伝えられなかったことを、夏に置きさりもできないで、わたしたちは立ち尽くす。立ち尽くすように歩き続ける。立ち尽くすことも歩き続けることも、結局は同じなのだ。どこへもゆけないから、どこかへゆくしかない。
    いつも、季節だけがゆく。ゆく季節に押し出されて、わたしたちはどこへ駆け出せるのか。
 
「終わりを定義しよう。話はそれからです」
 
    彼のかたることばのひとつひとつが天の川のようにきらめいては美しく流れてゆく。そのことばたちを銀色の刺繍糸で縫いつけてこの指先で弾いたならどんな音楽が鳴りだすだろうかと思った。
    オリオン座はまだ見えなかった。天の川は記憶の中だった。ふたり、いつまでも8月32日の真ん中に立っていた。わたしは胸が痛くてたまらなかった。胸が痛いという沈黙の瞬きが、海の向こうの客船の中へ溶け出していく。
    二時間後に空が白んだらきっと夏が終わると彼は言って、偶然のような奇跡の光が煙に霞んで消えていった。
 
 
 
 
 
 
 
 

生きている


    1年ぶりにお会いした方がここを読んでくださっていて、とてもうれしかった。ありがたかった。
    自分のためにしかならないし書いていて何になるのか、と思いながらも、書かなきゃ、と思うから、私は書いていました。公開することに意味があるから公開しているとはいっても、誰も見ていなくても書くのですが、みてるよと言ってくださる方がいらしたら、ああやろう、と思います。書くたび絶望しますが、それをしなくなるために、やろう。
    くださった感想のひとつに、「内容がいつも意味深ですよね」というのがありました。そうですかね。なるほど。もうひとり、そう言った方がいました。なるほど。
    できるだけ「私」から遠ざけたいとか、できるだけ雰囲気のみを残したいとか、かんがえていたら、今のところこうなってしまった。たとえば目の前のあるものについて書くとき、具体的なこたばでかさねることで現れる景色より、何も描けていないようなことばから立ち上がる景色が私は見たいのだ。それを見ることができるようになるということが、私の今後の目標のひとつにある。けれど、私の場合は具体からの抽象ではなくてただの抽象だから、よくない気もする。まずはものごとを考えるために書かなければ、と思う。私は論理的に、ものをかんがえることができないのだ。感性だけに寄ってはいけない。その感性があるかどうかもわからないけれど。
 きれいで上手で論理的でしっかりとした思考に基づいた文を読むたび、あああ私はこんなに書けないのにここで書いてて何になるんだろう、と、いつも思う。見てくれているひともいるから、きちんとした文できちんとした始まりと終わりで書かなければならないな、でもあああ書けない、とも、思う。
 できないくせに完璧主義で「かくあるべき」に縛られがちでひとの目を気にするゆえ何もできなくなる私はもうすこし、自分のためなのだということを意識した方が、きっといい。まずは。そもそも書けないし誰かのためにここを書いているわけではないけれど、自分のためでもなかったと、気がついた。
    もっと、毎日のことを書こうかしら。
    手段としてここに文を書くことにしているけれど、目的でもいいのかもしれない。私は私のたべたものもみたものもここに書こう。そうしてそこからいつも何かをかんがえて、書けばよい。文を書くために書くことと、記録を残すこと。かんがえることも、「日記」のように記録を残すことも、いまの自分のためにもいつかの自分のためにもなる。そうしていつか読んだ誰かのためになることがあればいいな。
    私はいま、私が生きてあることを書けばよい。記録すればよいのだ。
 おととい、ひとがウェブ上に書いた日記を4年分読んだ。人に公開していないものらしかった。美しくて涙が出た。
 いくつかの文はノートにメモをした。「あっあれってこういう言い回しで表されるものだったのか」とおどろいたことがあって、私の脳内辞書に登録した。すっきりした。
 このような内容はもちろんであるけれど、私は、そのひとが生きているということが美しいと思った。そのことに涙が出た。
 私は書くばかりでなく、ひとの日記を読むことが好きである。たとえば高野悦子さん、二階堂奥歯さん、広津正二さんなどの本が、私の家にはある。読みたいので、ほかにおすすめがあればご教示くださいませ。
    彼らの文や思考が大好きで尊敬しているというのももちろんあるけれど、「ああ、このひとは生きていたんだな」と思わされるのが好きで、読んでいる。そう思うとき、胸がきゅっとなるのが好きなのだ。愛しいな、という感情。
    その公開非公開を問わず随筆や作品などよりも日記の方が、そのひとの生が、克明である気がする。それらと較べて飾りのない、日常や感情の発露の記述だからであろうか。日付が記載されているせいであろうか。一日一日と、生が刻まれていく様子。時々思いを馳せてみる。「何を食べたとか 街の匂いとか 全部教えて(大森靖子「ミッドナイト清純異性交遊」)」という気分になる。ひとが生きていることは愛しい。
 ひとは自分以外の物語がほしいのかな、見たいのかな、と思った。だから映画を見たり、ひとと仲よくしたり、音楽を聞いたりするのかな。
 大森靖子さんがタワーレコードのポスターに、「だれかを 好きになりたくてしかたないんでしょ」と書いていた。私はこのことばがとても好きで、共感する。私はひとが生きていることが愛しくてしかたないし、だれかを好きになりたくてしかたないし、愛したくてしかたない。それは恋愛の範囲に限定されるものではない。
    だれかを好きになるのは、だれかの物語を読みたいからなのだろうか。それまで生きてきた人生や現在の思考を、その物語を、読み解きたいからなのだろうか、知りたいからなのだろうか。だれかを愛するというのは、それを愛しく思う感情の動きなのか。
    日記を読むのも、そういうことなのかもしれない。自分は一生行くことのない、他の生を覗き見ること。自分は見ることのなかった世界を、そのひとの目を通して、見ること。その物語を読むこと。
    わたしは、いまここに生きています。ここに何かを書き残しています。
    わたしが、いつか読まれる物語となりますように。
    そしていまこれを読んでいるあなたも物語だ。
    わたしは一生行けない、あなたの生をわたしに見せて。
 
 
 
 

抱きしめたい

 
    いくつもの書いたことばを、文を、だれの目にもふれないまま、保存する。それらはノートの中に、このアプリの中に、私の中に、いつまでもある。夏に置きさりもできないで、いつかやどこかに置きさりもできないで、いつまでもある。
    どうしたら、それらは星座となって夜空を照らすことができるだろうかと、かんがえながら、三角形のこの部屋の中に散らしたままになっている。この部屋ひとつすら、わたしひとりすら照らせないようなこのことばたちをどうしようかと、時々かき集めては磨いたりする。星って、磨けば光るのか?そういうものなのか?
    こんなんじゃ伝えられない。何も伝えられない。
 それでもほかの手段もわからなくて、私はいくつものことばを置いてゆけない。私はひとにふれることができないのだった。
    伝えたいことばを思いつくのはいつも、「それじゃあね」と別れたあとである。自転車をこぎながら、あるいは電車に乗りながら、こんなこと言いたかったな、と、頭の中で組み立てる。家に帰ってなにかに書く。書いては、また自らのうちに保存する。いつになったら言えるのか。言えなければ、なかったことと同じなのではないか。
    ことばがどれほど大事なものかと知ったのは17歳のときだった。伝えても伝えても足りない場合のあること、届かない場合のあることを思い知った。日本語だとあまりにもそのニュアンスなどが正確に伝わってしまうから、あえて、ネイティブではないゆえに広く訳せる、ただひとつであるはずの一文にあらゆる日本語をあてることができる英語を用いたこともあった。
 ことばがどれほど役立たないものかと知ったのも、17歳のときだった。ことばではたどり着けない場所があるらしかった。はじめて読んだ「ひとりの人間」という物語は、ことばで成り立ってはいなかった。どんなことばも届かない場所がそこにはあった。
 それでも私は書いた。私はひとにふれることができないのだった。
    けれども、36度の体温の前に、ことばはかてないとわかっていた。
    ふれる手の前に、ことばはかてない。
 どれほど尽くしてもかさねても伝えきれない感情を、たった一度ふれる感覚が、伝えた体温が、飛び越えていくことがある。どれほどのことばより欲しいものは、照らしてくれるのは、それだったりする。
 あなたといるとき、私はいつも何か言おうとしていて、けれど、どんなことばでも届かない場所があるとわかっているから、「何も言えない」というところに立ち尽くしてしまう。それならほかのどんな手段で伝えるべきかなんて、わかっていても、私はひとにふれることができないのだった。
 ことばを置いてあなたを抱きしめるとき、ことばの向こう側へゆけるのか。保存し続けたことばも放たれるのか。あなたには届くのか。
    
    
 
 
 
 
 
 

脱・はぐれメタル

 

 大学でやりたいと思ってるままのこと3つ

 
・ひるねサークル
べつに団体登録とかじゃなくて、勝手に。
ある5月の心地よい日、わたしは、大学のベンチにすわって木漏れ日を受けながら、やわらかい風に髪がなびいて、心の中にはゆううつがあって、ああこのままここで横になりたい、と思いました。けれどもここに横になったらただの不審者かも。体調不良と思われるかも。と、できませんでした。男子学生がそのあたりのベンチで横になっているのは時々見かけますが、女学生は見かけないですね。まあそりゃそうか。
じゃあもう「ひるねサークル」と書いた画用紙をからだの上に乗せて寝たらいいんじゃないかと思いました。行き倒れと思われたらこまるので、「ひるねサークル」に付け足して、「生きてます」と書こうと思いました。しばらくはそれをツイッターのプロフィールに書いておりました。「ひるねサークル 生きてます」。うーん、いい響きだ。ひるねサークルやりたいなあ。でもこれからは冬だぞお。あれは5月だからよかった。あっでも冬の寒い日には、外で寝ながら「ひるねサークル 合宿中」という画用紙を貼ればよいのか。なんだかたのしくなってきたぞ。
 
・ラジオ体操
うちの大学には「100円朝食」というものがあります。朝8時から8時40分まで、朝ごはんが100円で食べられます。その朝8時に、食堂前でラジオ体操をやりたい。iPhoneさえあればYoutubeでできるし。たのしそう。
ちなみにどうでもよいですが、元バリバリ体育会系のわたしは一時期家で、負荷をかけた状態でのラジオ体操3回と、見よう見まねの自衛隊体操を毎日していました。自衛隊体操はすごく大変でした。
 
・ぼっちサークル
わたしは週5で大学に行っているのに、ゼミ以外では誰とも会わないし誰とも話しません。ガチぼっち!はぐれメタル
なので、ガチぼっちが週に1日数時間どこかに集えばよいのでは、とかんがえました。ただ、たとえばそれに人が集まったとして、そのうち打ち解けたとして、それってもう外から見るとぼっちじゃないわけで、もはやふつうのサークルなのでは(しかも共通項がぼっちというだけだからただの飲み会サークルとかみたいなものになるのでは?)、と思いました。「ひとりぼっちのきみ!おいでよ!」みたいなノリは一番嫌いだし、ほんとうにひっそりひっそりとやりたい。勝手にちらし書いて廊下に貼ったりしたら誰か来てくれるかな。
世の中では「一人」だとできないことがあります。大学生協に置かれている、旅行会社のあざやかなたのしそうなパンフレットを手に取って、旅行に行きたいと考えても、ああいうのは大体「2名様以上」です。私はどこでも一人で行けるけれど、それでもおしゃれなカフェやきれいなケーキなどは誰かと行きたいです(一人の時間におかねを払いたくない)。そういう意味でも、だれか仲間がみつかるといいよねーと思います。
 
 全くの無計画(そもそも計画するような内容のものが一切ない)だけど、かんがえてたらたのしくなってきたな。
 はぐれメタルとか言っちゃったけどはぐれメタルって具体的にどんなんだったかな、と思って、ちょっとだけググってみました。「群れからはぐれた」「素早く逃げ出してしまう」「攻撃力が高ければ一撃で倒せるダメージを与えることが可能」…。なるほど。いまのわたしってやっぱりはぐれメタルなのかな。怖くなってすぐひとから逃げ出す癖、直したい。大学生活残り半期。はぐれメタルがんばれ。
 
 以上、いつに増してどうでもいいにっきでした。
 
 
 
 
 
 
 

思い出し泣きする話

   

 私は大学1回生の後期から精神的にやばくなりはじめました。小学生のころから不安定だと親戚には言われているし、中学の卒業式の日には担任の先生からお前はふらっと死にそうだ、死ぬなよと言われたりしてはいたけれど。原因はいろいろあったのだろうし、いまだによくわかりませんが、まあいろいろあったのでしょう。PMDDが始まったのもこのあたりの気がします。

    私は攻撃性0・外向性0・内向性100のタイプなので、どんなにつらくてもひとに電話をかけたり連絡しまくることはしません。けれど、高3のときの担任の先生にだけは大学1回生12月の夜に、突然電話をかけたことがありました。
    過食症に片足突っ込んで毎日つらくて死にたかったころでした。なんで先生にかけたんだろうか。電話番号を知ってたからかなあ。先生は担任だったしまあまあ仲はよかったものの(みんなと仲のよい、みんなに好かれる先生でした)、私の進学先決定のお知らせ以降、一度も連絡をとっていませんでした。
 そのとき電話でなにを話したかは、もう覚えていないです。私のことだから、つらいとわめいたりたくさん話したわけではなかったでしょう。たぶんぐずぐずと喋っていました。でも先生は優しかった。過食して具合が悪くなっているときなので、私は電話の途中で「ごめんなさい、ちょっと」と言って切って、お手洗いでいろいろしたりしていました。そしてまた電話をかける、みたいなことを2回くらい繰り返しました。そのたび、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。優しい。先生は説教なんてしなかったし無理に話を聞き出すこともしなかったし、結論を導こうともしませんでした。だいたい、つらいとか言って突然電話をかけてくる奴は、思いつくほかのひとたちを置いてそのひとだけに助けを求めているのであって、でも具体的に助けて欲しいとか思っているわけではなくて、おそらく安心したいのであるから、説教なんてしたら逆効果なのです。先生は正しかった。
    そのときはまだ父も私に厳しくて、帰りたいと電話口で泣いたら怒られました。まあそりゃそうだわな。それでもずっとつらかった。そして先生に、泣いたか泣いてないかは覚えていないけれど「帰りたい」と話したら、「あなたがどんな姿になってても僕は空港まであなたを迎えにいって、おかえりって言ってあげますよ」と言ってくれました。優しい。ああ、思い出し泣きしてしまう。結局私は、帰りませんでした。9ヶ月後にはいよいよダメになって休学したけど。
     いつでも優しいことばをかけてあげればいいわけではないし、でもいつでも正しい論だけが正しいわけではないし、説教が人を殺すこともある。それを正確に判断した先生はすごいなあと思う。常に大事なことは、相手を否定しないことだ。
     復学した年の夏休みに、出身高校に遊びに行きました。高1のときの担任の先生と会って話したときに、「そういえばH先生(高3のときの担任の先生)が、君から電話が来たって言ってたことあったけど」と言われました。そう、前述の話です。H先生も私から電話が来てびっくりしたのだろうし、それも緊急事態的な電話だったから、高1のときの担任の先生に話したんだろうなあ。そして高1のときの担任の先生は、「なんでぼくには電話くれなかったの」と言いました。嫉妬!!可愛い!!!!!
     その先生も、私が高校生活に挫けてたころを助けてくれた恩師です。先生の電話番号知らなかったからですよ、と言ってごまかしました(ほんとに知らなかったもん)。
    帰る場所があるって素晴らしい。いい学校だったなあ。みんな転勤しちゃったからあの校舎にはもういないけれど、先生たちに会いたいなあ。こんど帰省したら、会いに行こうかなあ。
     と、いい話風にまとめましたが、その高3のときの担任の先生はとても変なひとで、「あなたをみてると蹴りたくなるんですよねえ」と言われたことがあります。先生大好き。