抱きしめたい

 
    いくつもの書いたことばを、文を、だれの目にもふれないまま、保存する。それらはノートの中に、このアプリの中に、私の中に、いつまでもある。夏に置きさりもできないで、いつかやどこかに置きさりもできないで、いつまでもある。
    どうしたら、それらは星座となって夜空を照らすことができるだろうかと、かんがえながら、三角形のこの部屋の中に散らしたままになっている。この部屋ひとつすら、私ひとりすら照らせないようなこのことばたちをどうしようかと、時々かき集めては磨いたりする。星って、磨けば光るのか? そういうものなのか?
    こんなんじゃ伝えられない。何も伝えられない。
 それでもほかの手段もわからなくて、私はいくつものことばを置いてゆけない。私はひとにふれることができないのだった。
    伝えたいことばを思いつくのはいつも、「それじゃあね」と別れたあとである。自転車をこぎながら、あるいは電車に乗りながら、こんなこと言いたかったな、と、頭の中で組み立てる。家に帰ってなにかに書く。書いては、また自らのうちに保存する。いつになったら言えるのか。言えなければ、なかったことと同じなのではないか。
    ことばがどれほど大事なものかと知ったのは17歳のときだった。伝えても伝えても足りない場合のあること、届かない場合のあることを思い知った。日本語だとあまりにもそのニュアンスなどが正確に伝わってしまうから、あえて、ネイティブではないゆえに広く訳せる、ただひとつであるはずの一文にあらゆる日本語をあてることができる英語を用いたこともあった。
 ことばがどれほど役立たないものかと知ったのも、17歳のときだった。ことばでは辿り着けない場所があるらしかった。はじめて読んだ「ひとりの人間」という物語は、ことばで成り立ってはいなかった。どんなことばも届かない場所がそこにはあった。
 それでも私は書いた。私はひとにふれることができないのだった。
    けれども、36度の体温の前に、ことばは勝てないとわかっていた。
    ふれる手の前に、ことばは勝てない。
 どれほど尽くしてもかさねても伝えきれない感情を、たった一度ふれる感覚が、伝えた体温が、飛び越えていくことがある。どれほどのことばより欲しいものは、照らしてくれるのは、それだったりする。
 あなたといるとき、私はいつも何か言おうとしていて、けれど、どんなことばでも届かない場所があるとわかっているから、「何も言えない」というところに立ち尽くしてしまう。それならほかのどんな手段で伝えるべきかなんて、わかっていても、私はひとにふれることができないのだった。
 ことばを置いてあなたを抱きしめるとき、ことばの向こう側へゆけるのか。保存し続けたことばも放たれるのか。あなたには届くのか。
    
    
 
 
 
 
 
 

脱・はぐれメタル

 

 大学でやりたいと思ってるままのこと3つ

 
・ひるねサークル
べつに団体登録とかじゃなくて、勝手に。
ある5月の心地よい日、わたしは、大学のベンチにすわって木漏れ日を受けながら、やわらかい風に髪がなびいて、心の中にはゆううつがあって、ああこのままここで横になりたい、と思いました。けれどもここに横になったらただの不審者かも。体調不良と思われるかも。と、できませんでした。男子学生がそのあたりのベンチで横になっているのは時々見かけますが、女学生は見かけないですね。まあそりゃそうか。
じゃあもう「ひるねサークル」と書いた画用紙をからだの上に乗せて寝たらいいんじゃないかと思いました。行き倒れと思われたらこまるので、「ひるねサークル」に付け足して、「生きてます」と書こうと思いました。しばらくはそれをツイッターのプロフィールに書いておりました。「ひるねサークル 生きてます」。うーん、いい響きだ。ひるねサークルやりたいなあ。でもこれからは冬だぞお。あれは5月だからよかった。あっでも冬の寒い日には、外で寝ながら「ひるねサークル 合宿中」という画用紙を貼ればよいのか。なんだかたのしくなってきたぞ。
 
・ラジオ体操
うちの大学には「100円朝食」というものがあります。朝8時から8時40分まで、朝ごはんが100円で食べられます。その朝8時に、食堂前でラジオ体操をやりたい。iPhoneさえあればYoutubeでできるし。たのしそう。
ちなみにどうでもよいですが、元バリバリ体育会系のわたしは一時期家で、負荷をかけた状態でのラジオ体操3回をしていました。たのしかったです。
 
・ぼっちサークル
わたしは週5で大学に行っているのに、ゼミ以外では誰とも会わないし誰とも話しません。ガチぼっち!はぐれメタル
なので、ガチぼっちが週に1日数時間どこかに集えばよいのでは、とかんがえました。ただ、たとえばそれに人が集まったとして、そのうち打ち解けたとして、それってもう外から見るとぼっちじゃないわけで、もはやふつうのサークルなのでは(しかも共通項がぼっちというだけだからただの飲み会サークルとかみたいなものになるのでは?)、と思いました。「ひとりぼっちのきみ!おいでよ!」みたいなノリは一番嫌いだし、ほんとうにひっそりひっそりとやりたい。勝手にちらし書いて廊下に貼ったりしたら誰か来てくれるかな。
世の中では「一人」だとできないことがあります。大学生協に置かれている、旅行会社のあざやかなたのしそうなパンフレットを手に取って、旅行に行きたいと考えても、ああいうのは大体「2名様以上」です。私はどこでも一人で行けるけれど、それでもおしゃれなカフェやきれいなケーキなどは誰かと行きたいです(一人の時間におかねを払いたくない)。そういう意味でも、だれか仲間がみつかるといいよねーと思います。
 
 全くの無計画(そもそも計画するような内容のものが一切ない)だけど、かんがえてたらたのしくなってきたな。
 はぐれメタルとか言っちゃったけどはぐれメタルって具体的にどんなんだったかな、と思って、ちょっとだけググってみました。「群れからはぐれた」「素早く逃げ出してしまう」「攻撃力が高ければ一撃で倒せるダメージを与えることが可能」…。なるほど。いまのわたしってやっぱりはぐれメタルなのかな。怖くなってすぐひとから逃げ出す癖、直したい。大学生活残り半期。はぐれメタルがんばれ。
 
 以上、いつに増してどうでもいいにっきでした。
 
 
 
 
 
 
 

思い出し泣きする話

   

 私は大学1回生の後期から精神的にやばくなりはじめました。小学生のころから不安定だと親戚には言われているし、中学の卒業式の日には担任の先生からお前はふらっと死にそうだ、死ぬなよと言われたりしてはいたけれど

    大学に入ってからのその不調の原因はいろいろあったのだろうし、いまだによくわかりませんが、まあいろいろあったのでしょう。PMDDが始まったのもこのあたりの気がします。

    私は攻撃性0・外向性0・内向性100のタイプなので、どんなにつらくてもひとに電話をかけたり連絡しまくることはしません。けれど、高3のときの担任の先生にだけは大学1回生12月の夜に、突然電話をかけたことがありました。
    過食症に片足突っ込んで毎日つらくて死にたかったころでした。なんで先生にかけたんだろうか。電話番号を知ってたからかなあ。先生は担任だったしまあまあ仲はよかったものの(みんなと仲のよい、みんなに好かれる先生でした)、私の進学先決定のお知らせ以降、一度も連絡をとっていませんでした。
 そのとき電話でなにを話したかは、もう覚えていないです。私のことだから、つらいとわめいたりたくさん話したわけではなかったでしょう。たぶんぐずぐずと喋っていました。でも先生は優しかった。過食して具合が悪くなっているときなので、私は電話の途中で「ごめんなさい、ちょっと」と言って切って、お手洗いでいろいろしたりしていました。そしてまた電話をかける、みたいなことを2回くらい繰り返しました。そのたび、「大丈夫ですか?」と声をかけてくれました。優しい。先生は説教なんてしなかったし無理に話を聞き出すこともしなかったし、結論を導こうともしませんでした。だいたい、つらいとか言って突然電話をかけてくる奴は、思いつくほかのひとたちを置いてそのひとだけに助けを求めているのであって、でも具体的に助けて欲しいとか思っているわけではなくて、おそらく安心したいのであるから、説教なんてしたら逆効果なのです。先生は正しかった。
    そのときはまだ父も私に厳しくて、帰りたいと電話口で泣いたら怒られました。まあそりゃそうだわな。それでもずっとつらかった。そして先生に、泣いたか泣いてないかは覚えていないけれど「帰りたい」と話したら、「あなたがどんな姿になってても僕は空港まであなたを迎えにいって、おかえりって言ってあげますよ」と言ってくれました。優しい。ああ、思い出し泣きしてしまう。結局私は、帰りませんでした。9ヶ月後にはいよいよダメになって休学したけど。
     いつでも優しいことばをかけてあげればいいわけではないし、でもいつでも正しい論だけが正しいわけではないし、説教が人を殺すこともある。それを正確に判断した先生はすごいなあと思う。常に大事なことは、相手を否定しないことだ。
     復学した年の夏休みに、出身高校に遊びに行きました。高1のときの担任の先生と会って話したときに、「そういえばH先生(高3のときの担任の先生)が、君から電話が来たって言ってたことあったけど」と言われました。そう、前述の話です。H先生も私から電話が来てびっくりしたのだろうし、それも緊急事態的な電話だったから、高1のときの担任の先生に話したんだろうなあ。そして高1のときの担任の先生は、「なんでぼくには電話くれなかったの」と言いました。嫉妬!!可愛い!!!!!
     その先生も、私が高校生活に挫けてたころを助けてくれた先生です。先生の電話番号知らなかったからですよ、と言ってごまかしました(ほんとに知らなかったもん)。
    帰る場所があるって素晴らしい。いい学校だったなあ。みんな転勤しちゃったからあの校舎にはもういないけれど、先生たちに会いたいなあ。こんど帰省したら、会いに行こうかなあ。
     と、いい話風にまとめましたが、その高3のときの担任の先生はとても変なひとで、「あなたをみてると蹴りたくなるんですよねえ」と言われたことがあります。先生大好き。
 
 
 
 
 
 

夕立ちのひと


    夏とは気分のことだとあなたは言いました。
    氷でいっぱいのオレンジスカッシュを、ストローで、からからと、回しながら汗をかいたグラスの水滴の数だけやってくるその訪れは、急、いつも。
    甲州街道を走る蝉の声から逃げ込むように地下一階。そうしてエアコンで汗を冷やしながらの三次会。おしゃべり大会。夏とは、そんな気分に最高気温36度が乗るだけであると。ちなみにこのオレンジスカッシュは半分が水で薄められていることが、ここの醍醐味なのであると。
    そう聞いてわたしは、夏が終わることはあなたがいなくなることだと思いました。
    その手に夏がひらくのを見たいな。
    この手にはひまわりを咲かせたい。
    金木犀のセンチメントには耐えられないひと。
    とじられた指の隙間から砕かれた花びらから秋色になるなら、去るひびを惜しむようにあなたからわたしからストローの音からからと、それは九月のさよなら。





恋人の部屋

 
ははとのLINEより
はは「いまかれしんち?
わたし「うん、そうだよ」
 
はは「かれし、寝た?」
わたし「茶の間でふだん寝ているらしいので八時に寝た」
 
    おつきあいしている相手のことは恋人と呼びたいよね、とは、高校のときから流星の友人と妄想していた。三人称としての「彼」「彼女」はおとなで素敵だけれど、恋人の呼称としての彼氏とか彼女ということばはあまり使いたくない。
    そう。でも、かれし。
    ここで本人の知らぬ間にかれしと呼ばれているひとはわたしの二親等にあたり、わたしの54歳年上である。わたしが札幌に帰省しているあいだだけ、かれしとされている。
    じーちゃんはとても時間にきっかりしたひとだ。たとえば10時に家を出るならば、9時50分には準備完了をして、帽子までかぶって座って待っているひとである。
    特に用事のないときには、わたしはほぼじーちゃんちへ行く。
    
 
朝9時過ぎ
じーちゃんからの電話「きょうはうちくるか、なんじにくるんだ」
わたし「んー12時くらいかな」
じーちゃん「きをつけてこいよ」
お昼12時過ぎ
(時間にルーズな私は12時過ぎに家を出る)
じーちゃんからの電話「いまどこにいる」
わたし「あ、ごめん今家でた」
じーちゃん「きをつけてこいよ」
13時ころ
(じーちゃんち到着後まもなく)
じーちゃん「きょうは泊まるのか」
わたし「んーきょうは帰ろうかな」
じーちゃん「そうか次はいつ来るんだ、あしたはくるのか、俺はなああした午前中はいないぞ、」
わたし「おおお、そしたら午後からこようかなあ」
18時ころ
じーちゃん「帰るのか。次はいつ来るんだ」
わたし「うーん午後かな」
この段落一番上に戻る。
3日ほどじーちゃんちに行かないときも、この段落一番上にもどる。
そして、はは「じーちゃん、かれしだ」
 
    じーちゃんをあと50歳若くして他人にしたなら、上の会話はかれしさながらである(たぶん)。日中どうしてもひとりになる時間がさみしいのか、このように連絡がくることがある。わたしもじーちゃんが好きなので、頻繁に遊びに行く。時々はお昼ごはんを食べに近所までおでかけする(はは「いいな、ランチデート」)。
    時間に厳しいじーちゃんと、どうしても遅刻するわたしのちぐはぐな生活。それでもじーちゃんちでの時間は、まったりと進む。じーちゃんは、大体新聞を読むかテレビを見るか家事をしているか寝ている。飼い猫のまるさんは、大体いたずらしているか窓の外の鳥を見つめているかわたしに撫でられて猫パンチを繰り出すか寝ている。あとは常に可愛い。可愛い。歩いているだけで可愛い。北海道弁で言えばめんこい。わたしはといえば、大体iPhoneでなにかしているか書きものをしているか本を読むか掃除をするか猫のまるさんと遊んでいる(じゃらすと遊んでくれるけど、撫でるとパンチされる)。
    そしてすこしだけ窓を開けると、夏の北海道のさわやかな風が流れこむ。近所の公園からは野球少年たちの掛け声が聞こえる。私はここで、穏やかな時間を過ごす。
彼女の部屋から見えるのは 街に溶けゆく太陽か
猫がいるような部屋でとりあえず僕は詩を書こう
       サニーデイ・サービス「恋人の部屋」 
    まさにこんな風である。
    じーちゃんちの部屋は一階にあるから「街を行く人たちを見降ろして」はできないけれど、ここからは街に溶けゆく太陽が見える。猫がいるような部屋でわたしは詩を書く。美しい時間を過ごす。
    ただ、「恋人の部屋」がノンフィクションであるかどうかはわからないしどちらでもよいけれども、猫がいるような部屋で詩を書くのは至難のわざであるということは、サニーデイの曽我部さんにお伝えしておきたい。たとえば、先ほどご紹介したじーちゃんちの猫・まるさんは、わたしが右手に握るペンの、文字を書く動きに反応してそれにじゃれつき噛みついてくるし、ノートや手帳から栞のひもが下がっていようものなら猫パンチを止めない。噛みつかれた栞のひもはほつれ、うわーっとなる。この状況下で、まともに文字など書けやしないのだ。猫は大体のことにじゃましてくる生きものである(可愛いから許す)。
    それでも詩を書かずにいられないような気持ちにさせるのが、恋人の部屋なのだ。これからもまるさんの攻撃にめげずに、かれしの部屋では詩を書こう。
 
 
    ↓写真はびじんのまるさんです♡
 
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    ↓犯行現場です♡
 
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宛先はなくても

 
「ゆめをみていた、つきはみていた」
 
    驚いた。ほんとにびっくりした。
    視線をあげた先の、半径一メートル以内にあのひとがいる。あのひとが、だいすきなあのひとがいる!
    驚きすぎたあたしは登り途中の階段につまずき、腕、ひざから盛大にこけた。てをのばせばすぐ届く距離にあのひとがいること、そしてその目の前で、子どもみたいに、アスファルトにずりむいたこと、混乱した思考回路はそれらを理解しきれず、ただ左腕と右ひざから赤い血が流れるだけだった。
    地面からみる景色は、それまでと全く違う。そらがどこまでも高くて突き抜けるほど青くて、深く緑が続く光景。陽が熱い。
    暗い影が突然、あたしをおおって、頭上から声が降ってきた。
   「だいじょーぶ」
    粉れもなくあのひとだ。やわらかくてやさしくて、どこか抜けた声。あのひとの云っただいじょーぶ、は心配や疑問というよりも、むしろ投げやりに響いた。
    顔をあげた。半径五十センチにあのひとがいた。あたしに向かいあってしゃがみこんでのぞきこむようにしている。あたしは、この蛙みたいにつぶれた情けない体勢のことなんかより、いままで雑誌や映像でみた姿となにひとつ変わらない、目の前のその姿を想った。細くて白くてひょろ長くて、インドアなのにこんなアウトドアな森にいる、憧れだったその姿。瞳が合っても離せなかった。もしかしたら、なんて訊けなかった。
    黙ってさしだされているその華奢な左手ーあんなにも綺麗にギターを弾くあの手!ーを恐る恐る、血だらけの手で摑む。
    あのひとはこの腕をみて、ぎょっとしていたようだけれど立ちあがり向こうを指さして
   「あっちに、手当てするとこ」
   日本語としては変だったけれど、意味は理解した。連行されるのだと直感した。
    あたしもすぐに立ちあがり、砂まみれた足や服を右手でほろう。あのひとがすぐに歩きだし、引っ張られるようにしてあたしはその後ろをついていく。憧れだったこの背中。なんだか直視できなくて、うつむき加減に血まみれた左手をただみつめた。
    ゆるい傾斜、でこぼこな砂利道が足を刺激する。あのひとが眩しかった。それは強く差す陽の所為なのか、あのひとの白いTシャツの所為なのか、あたしには見当もつかないことだった。
    一度も振り向かないあのひとから、ふわ、とゆるい、いい匂いがする。服かもしれない髪かもしれない。つないだ手はあたたかかった。その指であのギターを弾いている。
    ああどうして、あのひとの存在は素敵で嬉しいことなのに、こんなにもあたしを哀しくさせるのだろう。
    ずりむけた傷からの赤は止め処なく、思わず強く目をつむった。そして開けた瞬間、映ったのは、赤ではなかった。白だった。
    白い天井を仰ぐ。そうだ、修学旅行から家に帰ったあたしは、部屋に入るなりベッドに倒れ込んだのだった。上体を起こして、すっかり暗くなった部屋を見まわす。
    あのひとがいない。
    急いで左腕を確かめる。無傷だ。血なんてどこにもついていない。
    だらしなくカーテンの開いた窓の外をのぞく。なにひとつ欠けていない、満ちた月がそこにあった。てをのばしたって、きっと届かない。届かないものの存在は、いつだってあたしをもどかしくする。
    こんな完璧な月なのに、あのひとはもうどこにもいない。もう一度、ベッドに倒れて強く目を閉じる。夢の続きを、みられたら。
    届くはずのない、オレンジ色のまるいつきが、ただそこに、碧い夜空に浮かんでいた。
                                                  おわり
 
   三年一組四十七番 おりえ
 
 
    
   中3のときに国語の授業で提出した作文が、実家から出土してしまった。なんてことだ。上記はその作文です。これをみつけてしまったときは、こわくてこわくて読み返せませんでした。私は黒歴史製造機です。出土から二週間経ったいま、ようやく調査できました。ううう。そしてあえて、改行や漢字の使い方などすべて原文ママで、ここにアップしてみました。勉強しろよと言いたくなるくらい漢字を間違いまくりで、先生からの添削がかなり入っていました。でも評価はA⚪︎でした。わ、わーい。
 
    
↓はずかしいほど漢字が違う&字がきたない原稿です。
 
f:id:kgwmsk:20160827174555j:image
 
 
 
 

ICカードの使えない場所

 
    海岸沿いの高速道路をふちどるように走るバスに乗った。降車場から目的地までは80分だった。
    窓から海が見えた。右から左へと流れてゆく景色の中の、同じように右から左へと流れてゆく大きな建物たちに、水平線はぶつ切りにされていく。あの建物たちは、建っているというよりも置かれているみたいだ。どっしりとして揺るがない。これらは何だろうか。工場か、倉庫か。どれだけの人がここにいるのかしらと想像して、おそらくのその膨大さを心強く感じた。生きていける気がした。
    左へカーブを曲がると、光る海によく映えた真っ赤な観覧車が見えた。ほかの遊具が見えてくるなどといった前兆もなく、唐突に観覧車が出現するこの現象は、海岸線あるあるなのだろうか。
    私は、むかし誰かと行ったどこかの大きな公園を思い出していた。きっと再び行くことのない町。
    公園の隅にあった観覧車に乗りたいと言えなかったこと、そのときおもっていたこと。その日のことを、糸を手繰り寄せるように一から回想してみる。けれどいまも残るのは私の糸だけで、もう布を織ることはできない。
    その日は終日よく晴れていた。帰り道の空が綺麗だった。やたらと近代的な駅からは町が一望できた。私の生まれ育った札幌にあるテレビ塔とよく似た塔が、遠くに見えた。公園のためにあるこの駅には、閉園時間をとうに過ぎていたせいか、人も疎らだった。
    はじめて乗ったモノレールはとてもよかった。宙に浮かんでいるみたいで、わくわくした。町明かりが自分の足元に広がることに、ちいさく感嘆した。一番星の出ていた夕焼けの中に、ふたり、進んでゆくようだった。吸い込まれてゆくようだった。あの電車は銀河鉄道だった。空の中まで、きっとレールが伸びて、一緒にどこかへゆけるんだと思った。
    終点の駅に着いた。降りるころには夜が始まっていた。
    こうして思い出さなければ、思い出せないこと。すでに記憶からこぼれ落ちてしまって復旧不能なこと。もう忘れてしまった。会話のひとつひとつも全部覚えておく、と意気込んでいたそのそばから、ひとつひとつと忘れていった。きっと、どこへもゆけなかった私の代わりにあの日のことばは空を駆けて、星になった。
    書かなきゃ、と思う。書かなきゃ。書かなきゃ。
    すべて通り過ぎて風に消える前に。
    書かれる文字からすりぬけるできごとも感情も、それでもあるとしても、少しでも足掻きたい。覚えておきたいことも、すぐに風と消えてしまうような会話も、なんてことのないことも、ちゃんと書いて、残しておきたい。忘れたくない。
    モノレールに乗るのにICカードが使えなくて、おどろいて買ったきっぷの、往復じゃなくて片道がいいとひそかに思った、そのことだとかも。