夕立ちのひと


    夏とは気分のことだとあなたは言いました。
    氷でいっぱいのオレンジスカッシュを、ストローで、からからと、回しながら汗をかいたグラスの水滴の数だけやってくるその訪れは、急、いつも。
    甲州街道を走る蝉の声から逃げ込むように地下一階。そうしてエアコンで汗を冷やしながらの三次会。おしゃべり大会。夏とは、そんな気分に最高気温36度が乗るだけであると。ちなみにこのオレンジスカッシュは半分が水で薄められていることが、ここの醍醐味なのであると。
    そう聞いてわたしは、夏が終わることはあなたがいなくなることだと思いました。
    その手に夏がひらくのを見たいな。
    この手にはひまわりを咲かせたい。
    金木犀のセンチメントには耐えられないひと。
    とじられた指の隙間から砕かれた花びらから秋色になるなら、去るひびを惜しむようにあなたからわたしからストローの音からからと、それは九月のさよなら。





恋人の部屋

 
ははとのLINEより
はは「いまかれしんち?
わたし「うん、そうだよ」
 
はは「かれし、寝た?」
わたし「茶の間でふだん寝ているらしいので八時に寝た」
 
    おつきあいしている相手のことは恋人と呼びたいよね、とは、高校のときから流星の友人と妄想していた。三人称としての「彼」「彼女」はおとなで素敵だけれど、恋人の呼称としての彼氏とか彼女ということばはあまり使いたくない。
    そう。でも、かれし。
    ここで本人の知らぬ間にかれしと呼ばれているひとはわたしの二親等にあたり、わたしの54歳年上である。わたしが札幌に帰省しているあいだだけ、かれしとされている。
    じーちゃんはとても時間にきっかりしたひとだ。たとえば10時に家を出るならば、9時50分には準備完了をして、帽子までかぶって座って待っているひとである。
    特に用事のないときには、わたしはほぼじーちゃんちへ行く。
    
 
朝9時過ぎ
じーちゃんからの電話「きょうはうちくるか、なんじにくるんだ」
わたし「んー12時くらいかな」
じーちゃん「きをつけてこいよ」
お昼12時過ぎ
(時間にルーズな私は12時過ぎに家を出る)
じーちゃんからの電話「いまどこにいる」
わたし「あ、ごめん今家でた」
じーちゃん「きをつけてこいよ」
13時ころ
(じーちゃんち到着後まもなく)
じーちゃん「きょうは泊まるのか」
わたし「んーきょうは帰ろうかな」
じーちゃん「そうか次はいつ来るんだ、あしたはくるのか、俺はなああした午前中はいないぞ、」
わたし「おおお、そしたら午後からこようかなあ」
18時ころ
じーちゃん「帰るのか。次はいつ来るんだ」
わたし「うーん午後かな」
この段落一番上に戻る。
3日ほどじーちゃんちに行かないときも、この段落一番上にもどる。
そして、はは「じーちゃん、かれしだ」
 
    じーちゃんをあと50歳若くして他人にしたなら、上の会話はかれしさながらである(たぶん)。日中どうしてもひとりになる時間がさみしいのか、このように連絡がくることがある。わたしもじーちゃんが好きなので、頻繁に遊びに行く。時々はお昼ごはんを食べに近所までおでかけする(はは「いいな、ランチデート」)。
    時間に厳しいじーちゃんと、どうしても遅刻するわたしのちぐはぐな生活。それでもじーちゃんちでの時間は、まったりと進む。じーちゃんは、大体新聞を読むかテレビを見るか家事をしているか寝ている。飼い猫のまるさんは、大体いたずらしているか窓の外の鳥を見つめているかわたしに撫でられて猫パンチを繰り出すか寝ている。あとは常に可愛い。可愛い。歩いているだけで可愛い。北海道弁で言えばめんこい。わたしはといえば、大体iPhoneでなにかしているか書きものをしているか本を読むか掃除をするか猫のまるさんと遊んでいる(じゃらすと遊んでくれるけど、撫でるとパンチされる)。
    そしてすこしだけ窓を開けると、夏の北海道のさわやかな風が流れこむ。近所の公園からは野球少年たちの掛け声が聞こえる。私はここで、穏やかな時間を過ごす。
彼女の部屋から見えるのは 街に溶けゆく太陽か
猫がいるような部屋でとりあえず僕は詩を書こう
       サニーデイ・サービス「恋人の部屋」 
    まさにこんな風である。
    じーちゃんちの部屋は一階にあるから「街を行く人たちを見降ろして」はできないけれど、ここからは街に溶けゆく太陽が見える。猫がいるような部屋でわたしは詩を書く。美しい時間を過ごす。
    ただ、「恋人の部屋」がノンフィクションであるかどうかはわからないしどちらでもよいけれども、猫がいるような部屋で詩を書くのは至難のわざであるということは、サニーデイの曽我部さんにお伝えしておきたい。たとえば、先ほどご紹介したじーちゃんちの猫・まるさんは、わたしが右手に握るペンの、文字を書く動きに反応してそれにじゃれつき噛みついてくるし、ノートや手帳から栞のひもが下がっていようものなら猫パンチを止めない。噛みつかれた栞のひもはほつれ、うわーっとなる。この状況下で、まともに文字など書けやしないのだ。猫は大体のことにじゃましてくる生きものである(可愛いから許す)。
    それでも詩を書かずにいられないような気持ちにさせるのが、恋人の部屋なのだ。これからもまるさんの攻撃にめげずに、かれしの部屋では詩を書こう。
 
 
    ↓写真はびじんのまるさんです♡
 
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    ↓犯行現場です♡
 
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宛先はなくても

 
「ゆめをみていた、つきはみていた」
 
    驚いた。ほんとにびっくりした。
    視線をあげた先の、半径一メートル以内にあのひとがいる。あのひとが、だいすきなあのひとがいる!
    驚きすぎたあたしは登り途中の階段につまずき、腕、ひざから盛大にこけた。てをのばせばすぐ届く距離にあのひとがいること、そしてその目の前で、子どもみたいに、アスファルトにずりむいたこと、混乱した思考回路はそれらを理解しきれず、ただ左腕と右ひざから赤い血が流れるだけだった。
    地面からみる景色は、それまでと全く違う。そらがどこまでも高くて突き抜けるほど青くて、深く緑が続く光景。陽が熱い。
    暗い影が突然、あたしをおおって、頭上から声が降ってきた。
   「だいじょーぶ」
    粉れもなくあのひとだ。やわらかくてやさしくて、どこか抜けた声。あのひとの云っただいじょーぶ、は心配や疑問というよりも、むしろ投げやりに響いた。
    顔をあげた。半径五十センチにあのひとがいた。あたしに向かいあってしゃがみこんでのぞきこむようにしている。あたしは、この蛙みたいにつぶれた情けない体勢のことなんかより、いままで雑誌や映像でみた姿となにひとつ変わらない、目の前のその姿を想った。細くて白くてひょろ長くて、インドアなのにこんなアウトドアな森にいる、憧れだったその姿。瞳が合っても離せなかった。もしかしたら、なんて訊けなかった。
    黙ってさしだされているその華奢な左手ーあんなにも綺麗にギターを弾くあの手!ーを恐る恐る、血だらけの手で摑む。
    あのひとはこの腕をみて、ぎょっとしていたようだけれど立ちあがり向こうを指さして
   「あっちに、手当てするとこ」
   日本語としては変だったけれど、意味は理解した。連行されるのだと直感した。
    あたしもすぐに立ちあがり、砂まみれた足や服を右手でほろう。あのひとがすぐに歩きだし、引っ張られるようにしてあたしはその後ろをついていく。憧れだったこの背中。なんだか直視できなくて、うつむき加減に血まみれた左手をただみつめた。
    ゆるい傾斜、でこぼこな砂利道が足を刺激する。あのひとが眩しかった。それは強く差す陽の所為なのか、あのひとの白いTシャツの所為なのか、あたしには見当もつかないことだった。
    一度も振り向かないあのひとから、ふわ、とゆるい、いい匂いがする。服かもしれない髪かもしれない。つないだ手はあたたかかった。その指であのギターを弾いている。
    ああどうして、あのひとの存在は素敵で嬉しいことなのに、こんなにもあたしを哀しくさせるのだろう。
    ずりむけた傷からの赤は止め処なく、思わず強く目をつむった。そして開けた瞬間、映ったのは、赤ではなかった。白だった。
    白い天井を仰ぐ。そうだ、修学旅行から家に帰ったあたしは、部屋に入るなりベッドに倒れ込んだのだった。上体を起こして、すっかり暗くなった部屋を見まわす。
    あのひとがいない。
    急いで左腕を確かめる。無傷だ。血なんてどこにもついていない。
    だらしなくカーテンの開いた窓の外をのぞく。なにひとつ欠けていない、満ちた月がそこにあった。てをのばしたって、きっと届かない。届かないものの存在は、いつだってあたしをもどかしくする。
    こんな完璧な月なのに、あのひとはもうどこにもいない。もう一度、ベッドに倒れて強く目を閉じる。夢の続きを、みられたら。
    届くはずのない、オレンジ色のまるいつきが、ただそこに、碧い夜空に浮かんでいた。
                                                  おわり
 
   三年一組四十七番 おりえ
 
 
    
   中3のときに国語の授業で提出した作文が、実家から出土してしまった。なんてことだ。上記はその作文です。これをみつけてしまったときは、こわくてこわくて読み返せませんでした。私は黒歴史製造機です。出土から二週間経ったいま、ようやく調査できました。ううう。そしてあえて、改行や漢字の使い方などすべて原文ママで、ここにアップしてみました。勉強しろよと言いたくなるくらい漢字を間違いまくりで、先生からの添削がかなり入っていました。でも評価はA⚪︎でした。わ、わーい。
 
    
↓はずかしいほど漢字が違う&字がきたない原稿です。
 
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ICカードの使えない場所

 
    海岸沿いの高速道路をふちどるように走るバスに乗った。降車場から目的地までは80分だった。
    窓から海が見えた。右から左へと流れてゆく景色の中の、同じように右から左へと流れてゆく大きな建物たちに、水平線はぶつ切りにされていく。あの建物たちは、建っているというよりも置かれているみたいだ。どっしりとして揺るがない。これらは何だろうか。工場か、倉庫か。どれだけの人がここにいるのかしらと想像して、おそらくのその膨大さを心強く感じた。生きていける気がした。
    左へカーブを曲がると、光る海によく映えた真っ赤な観覧車が見えた。ほかの遊具が見えてくるなどといった前兆もなく、唐突に観覧車が出現するこの現象は、海岸線あるあるなのだろうか。
    私は、むかし誰かと行ったどこかの大きな公園を思い出していた。きっと再び行くことのない町。
    公園の隅にあった観覧車に乗りたいと言えなかったこと、そのときおもっていたこと。その日のことを、糸を手繰り寄せるように一から回想してみる。けれどいまも残るのは私の糸だけで、もう布を織ることはできない。
    その日は終日よく晴れていた。帰り道の空が綺麗だった。やたらと近代的な駅からは町が一望できた。私の生まれ育った札幌にあるテレビ塔とよく似た塔が、遠くに見えた。公園のためにあるこの駅には、閉園時間をとうに過ぎていたせいか、人も疎らだった。
    はじめて乗ったモノレールはとてもよかった。宙に浮かんでいるみたいで、わくわくした。町明かりが自分の足元に広がることに、ちいさく感嘆した。一番星の出ていた夕焼けの中に、ふたり、進んでゆくようだった。吸い込まれてゆくようだった。あの電車は銀河鉄道だった。空の中まで、きっとレールが伸びて、一緒にどこかへゆけるんだと思った。
    終点の駅に着いた。降りるころには夜が始まっていた。
    こうして思い出さなければ、思い出せないこと。すでに記憶からこぼれ落ちてしまって復旧不能なこと。もう忘れてしまった。会話のひとつひとつも全部覚えておく、と意気込んでいたそのそばから、ひとつひとつと忘れていった。きっと、どこへもゆけなかった私の代わりにあの日のことばは空を駆けて、星になった。
    書かなきゃ、と思う。書かなきゃ。書かなきゃ。
    すべて通り過ぎて風に消える前に。
    書かれる文字からすりぬけるできごとも感情も、それでもあるとしても、少しでも足掻きたい。覚えておきたいことも、すぐに風と消えてしまうような会話も、なんてことのないことも、ちゃんと書いて、残しておきたい。忘れたくない。
    モノレールに乗るのにICカードが使えなくて、おどろいて買ったきっぷの、往復じゃなくて片道がいいとひそかに思った、そのことだとかも。
    
 
 
 
 
 
 
 
 

おとなってやつ part2

 
    おとなになるといえば、17歳ころの私は「おとな」になりたくて、ヒールを履くことがたびたびあった。今もだけれどそのときの私はいつも遅刻しかけていたせいで、また陸上部であったゆえの癖(そんなのあるのか)で、よく走っていた。いま思えば慣れないヒールを履いて走るなんてできるはずがなかった。いつまでも背伸びなんて、できるはずがなかった。それでもすこしでも、「おとな」になりたかったのだ。よろけながら、かこんかこん、と鳴らして走った。そうしたら、階段では時々脱げるし、つま先はいつも痛かった。私はヒールをやめた。
    「おとなの象徴」だと思っていたヒールを履いていたあのころよりもいま、少しはおとなになれたけれど、きっともうヒールは履かない。スニーカーでいい。むしろ裸足でもいい。もちろんヒールは美しくて好きだ。けれども私はおそらくヒールが似合う星のもとに生まれてきたひとではないし、その瞬間の見ための美しさよりも、いつでもどこへでもすぐに走り出せる方を、私は選びたい。
 私はスニーカーで走る。それが私にとっての「24歳」ということの気がする。17歳のころはかたちとしての「おとな」を追いかけていたのだろうな。けれど、自分に合わないことをしても続かないし、いつか転んでしまう。私がなりたいのはヒールの似合うおねえさんではないし(似あわないし)、欲しいのはかたちとしてのばらの花束ではない(もらえないし)。それらを置いていくことは、怠惰や諦めでは決してない。
    なんて、サブカル路線を突っ走りつつもきらびやかなもの・ロマンチックなものに憧れていた高校生の私がそんなことを言うおとなになっているとは、予想外だったな。
    でも、またヒールを履くとき私は、もっとおとなになれるような気がする。一体いつになるのかね。
 
 
 
 
 
 

おとなってやつ

 

 「24さいでこんなことになってるなんて予想外だったよね、恋にあたふたして友情に毎日感謝してる大人になる予定じゃなかった、でも毎日最高」

 私の流星の友人のことばである。ほんとうに最高な女の子だ。

 

 先週彼女と電話をした。近況報告などをしつつ、この年齢ってもっと大人だとおもってたよね、高いヒール履いてたり、ばらの花束とかもらってる予定だった、だとか、笑って話した。現実ではスニーカーで走り続けていたり、終電を乗り過ごして歩いて帰ったり、あたふたと、そんな感じ。でもね、それもさいこーだよね。

 いつから私たちこんなに仲良くなったっけ、という話にもなった。ふたりともはっきりと思い出せなかった。なにか出来事を思い出しても、でもあの前から仲よかったよね、となる。きっと、ひととひととの関係というのは名前や時間で区切れるものではなくて、グラデーションでしかないのだろう。

 私たち、いつまでもこんなふうに話をしているのだろうか。しているのだろうな。
 それぞれがそれぞれにきちんと生きながら、それぞれに成長したり何かを知ったり、伸びてゆけたら、いつまでも話ができるのだと思う。
 彼女とは毎日、一通ずつメッセージを送りあう電子文通をしている。そうして、いつも「ラブ」と言い合う。「好き好き言い過ぎると冷めるのが早い」とよく聞くけれど、そんなものだろうか。そうではないと思う。私が「ラブ」に込めるのは「あなたがいてうれしい」「あなたに救われている」「あなたがいてほしい」という思いである。そんな素敵な思いは、きっとどれだけ伝えたっていいはずなのだ。私と彼女は同性間であるから、異性間とは違うのかもしれないけれども、そんな思いを伝えて、伝えられて、そんなことをいつまでも、もう七年繰り返している。
    そんなことをかんがえていたら、ある一節を思い出した。大好きな文なので、やや長いが引用したい。
 以下、「自己責任・自己決定という自立主義的生活規範を私は少しもよいものだと思っていない」という前提のもと、人性の自然として「交換」があると述べ、その根基的な形として例に「キャッチボール」を挙げたのちに続く。
 
 キャッチボールはひとりではできない。私が投げる球を受け取った相手のグローブの発する「ぱしっ」という小気味良い音と、相手が投げる球を捕球したときの手のひらの満足げな痺れのうちに、私たちは自分がそのつど相手の存在を要請し、同時に相手によって存在することを知る。
 あなたなしでは私はこのゲームを続けることができない。キャッチボールをしている二人は際限なくそのようなメッセージをやりとりしているのである。このとき、ボールとともに行き来しているのは、「I cannot live without you」という言葉なのである。
 これが根源的な意味での「贈与」である。
 私たちはこのようにして他者の存在を祝福し、同時に自分の存在の保証者に出会う。「私はここにいてもよいのだ。なぜなら、私の存在を必要としている人が現に目の前にいるからである」という論理形式で交換は人間の人間的尊厳を基礎づける。(中略)
 たぶん、ほとんどの人は逆に考えていると思うけれど、「その人がいなくては生きてゆけない人間」の数の多さこそが「成熟」の指標なのである。
 どうして「その人なしでは生きてゆけない人」が増えることが生存確率を向上させるのか、むしろ話は逆ではないのかと疑問に思われる向きもおられるであろう。「誰にも頼らなくても、ひとりで生きてゆける」能力の開発のほうが生き延びる確率を高めるのではないか。経済合理性を信じる人ならそのように考えるだろう。
 だが、それは短見である。
 「あなたがいなければ生きてゆけない」という言葉は「私」の無能や欠乏についての事実認知的言明ではない。そうではなくて、「だからこそ、あなたにはこれからもずっと元気で生きていて欲しい」という、「あなた」の健康と幸福を願う予祝の言葉なのである。
 自分のまわりにその健康と幸福を願わずにはいられない多くの人々を有している人は、そうでない人よりも健康と幸福に恵まれる可能性が高い。それは、(キャッチボールの例から知れるように)祝福とは本質的に相互的なものだからである。
 内田樹あなたなしでは生きてゆけない」(『ひとりでは生きられないのも芸のうち』文春文庫 p-272)
 
 彼女と私はそんな高度なことをしていたらしい。
 たしかにそうかもしれないな、と思う。私たちは、というか彼女は、自分のことはきちんと自分でわかっていて、きちんと生きている素晴らしいひとである。それぞれにひとりひとりとして生きたうえで彼女と私は、ここでいう「キャッチボール」であるところの毎日の電子文通をしている。内容の如何はもちろんであるけれど、それと同じくらい、互いにことばを送りあうというそのこと自体が重要であるようなきがする。
 私が送る。彼女が返す。私が返す。彼女が返す。このようにしていつまでも、ことばのキャッチボールは続いていく。それを言い換えると「自分がそのつど相手の存在を要請し、同時に相手によって存在することを知る。」ことであるのかもしれない。    
 私たちは毎日それぞれに、それぞれの生活のなかでなにか出来事があったり、感じたり、考えながら、生きている。それらを毎日文面で、あるいは時々の電話で声によって、伝え合う。出会った16歳のころから、23歳のこんにちまで、そんなふうに。そうしてそれぞれに、おとなになりつつある。
 そっか。ボールを投げる力や受け取る力、それ自体がなければ、「キャッチボール」はできないんだな。私たちが日々生きてなしていることは、その力をつけるということなのかもしれない。
 私は、「あなた」と出会い続ける人生でありますように、と、このにっきで何度か書いてきた。内田せんせいも、『たぶん、ほとんどの人は逆に考えていると思うけれど、「その人がいなくては生きてゆけない人間」の数の多さこそが「成熟」の指標なのである。』と、先ほど引用した文の中で述べておられる。やはり「その人がいなくては生きてゆけない人間」と出会い続けることが生きるってことで、おとなになるってことなのかもしれないな。
 「予想外」な日々・おとなであっても、「毎日最高」。それってやっぱりよいことだ。予想外でさえも「最高な予想外」にしてきたのはきっと、自分たちなんだ。
 これからの人生も予想外なことばかりだろうけれども、それらだって、「すばらしいこと」にしていきたい。誰かと出会いことばを交わすこと、自分をしっかり持つこと、保つこと。それがおとなになるということなら、私たちは最高なおとなになれる気がする。なりたい。
 
 
    
 
 
 

夏のコントラスト

 
    先週友人に誘われて、奈良の花火大会に行ってきた。
    そんなに大規模ではないらしく、ほぼ地元のひとばかりのような雰囲気であった。地元人ぶりながら、クレープの屋台に並んだ。いちごクレープを注文したので、そのつもりで食べたら、なぜかパインだった。甘いモードになってしまっていた舌が、酸っぱいを感知した。何事かと思った。おいしかった。
    京都に来てからははじめての花火大会だった。札幌にいたころは高1からの4年間毎年、豊平川での花火大会へ行っていた。そしてあらためて、花火はよいものだなあ、と思った。
    星が幾つかしかない空を、ひとの顔もよくみえない暗闇を、ぱっと照らしては、すぐに消えてゆく。なんの未練もないように。
    単色で単発に打ち上げられるものを見ると特にそうなのだけれど、どうしても、花火を見ると、戦争のことを思う。むかし人びとはこの音の中で、この火に焼かれたのだ。ほかにも私は、金一色の、短冊みたいにきらきらと降るあのしずかな星空のような花火が好きなのだけれど、あれを見るときには、空襲で焼かれる町はこんなかんじだったのかな、などと想像してしまう。焼夷弾のように見えるのだ。
    小学生のころ、テレビで見た戦争のドラマがあまりにも怖くて、ひとりで外出できなくなったことがあった。ゆらめきながら降ってくる金色の火の粉を、うつくしいと、ロマンチックに浸れる私たちは幸福である。
    夏には生と死の匂いが付き纏う。
    8月6日、8月9日、8月15日。たとえば戦争のことを振り返るのはいつも夏だ。ひとが生きるとうとさを思う。お盆もそう。会ったこともないご先祖さまのお墓参りへ行って、先人たちが生きてきたことや自分がいま生きていることを思う。帰省をしてひさしぶりに親戚と会うときにも、いつまでこうして会えるか、などとかんがえる。死を思いながら生を思う。その逆も然り。
    また、夏は、ぶっちぎりで明るい季節でもある。
    太陽。あざやかな花。日の長さ。丈の短いワンピース。気持ちがはしゃいで、早まって、人びとはどこか解放感に浮き足立っていて。街はずっと落ちつかない。けれどやがて盛りを過ぎてゆく。花は枯れる。
    生と死、明と暗。そのコントラストが、夏はほかの季節よりも強いのではないか。だからきっと夏はこんなにも特別だ。
    平均寿命まで生きると仮定すると、私にはあと60回ほどの夏がくる。あと60回しかこない。蝉の声を聞いて、強い陽射しのもとを歩いて、きゅうりの一本漬をたべて、麦わら帽子をかぶって。そんな夏はあと60回しかこない。
    いつまでも大げさに青空を仰ぎたいな。太陽に眩みながら。いまが始まりみたいな気持ちで。
    あと60回しかない夏をいつもきちんとみつめよう。いつも好きなひとたちと駆け抜けよう。
    あの花火大会のことを私はおそらく、60年後も覚えている。覚えていて、60年後の60年前のその日のことを、強い生の記憶としてきっと思い出している。
    生きていたい。