さよならの代わり

 
    この町はやたらと晴れている。
    遠くまで見渡す限りに空であるこの町。わたしが24年間の人生で生活してきたいくつかの場所には、こんな広さの空はなかった。この世界の半分は空なのではないか、とさえ、思わされてしまうほどの広さ。そしてわたしはいま地球のうえに立っているのではなくて、地球のなかから地球を眺めているような、そんな感覚を覚える。まあ、いまのわたしはただバスの窓から外を眺めているだけなのであるけれど。
    新しい町である札幌で生まれ育ったせいか、本州で一般的な瓦屋根や昔ながらの町家を見ても、わたしはなつかしくもなんとも感じない。むしろこの町のような新興住宅地を見る方がなつかしい。結局ノスタルジーなんて、自分が経験してきた範囲の問題なのではないか。
    バスの窓側に座って足もとを冷やされながら40分間運搬されて、駅に着く。土地勘のなさで、このバスがどんな道順を辿っているのかさっぱりわからないから、このままイギリスに向かっていたってわたしは気がつかないかもしれない。
    通勤の1時間半は、毎日ビートルズを聞いている。ここのところは『Magical Mystery Tour』ばかり。特に「Hello, Goodbye」から「All You Need Is Love」までのB面5曲の流れが好きで、そこばかりをリピート再生してしまう。
I don't know why you say goodbye, I say hello
The Beatles「Hello, Goodbye」
    どうしてみんなさようならと言うのだろう。どうしてわたしはさようならの代わりを探しているのだろう。
    札幌から京都、そして神奈川へ。本能が疼くせいで(算命学でいうとわたしの胸は龍高星である)ここではないどこかへといつも移動してしまうわたしは、ここを遠くだと、いつも思わない。ここは遠くの町なのだろうか?
    先週から、そして4月までは、朝は7時半に家を出て、夜は21時半ころに家に帰る生活である。毎日とてもねむたい。それでも朝になって目が覚めれば、きっとやたらと晴れている。ここは、札幌ほど、京都ほど、寒くない。雨の降ることを忘れたように雲さえ一つもない空には、夜になって見上げれば、きょうも月が見える。そしてわたしはまだ卒業前の大学4回生であることを思い出す。たった2週間前に卒業論文の口頭試問があり、日本国憲法のテストがあり、鴨川をさんぽし歩き、ゼミ飲み会で27時まで遊んだことを思い出す。最後の最後に青春という夢を見たような、そんな1月を思い出す。
    「たぶんゆっくり忘れて行くよ俺のこと それでいいんだよ」と言われたことがあった。わたしは素直な気持ちで、確信を持って、忘れないのにな、と思った。そうして、「思い出す時間が減っていくことも忘れるというならそうかもしれないですね。」と、素直に答えた。
    みんなみんな優しい。この世界は優しい。さようならに代わる言葉はさようならだったこと、思い出す時間が減っていくこと、それなのに忘れはしないこと、そうして生きていけてしまうこと。みんなみんな優しい。あんなに大好きだったのに、あの場所じゃなくてもやっていけてしまうこと。結局どこでだって人は愛されるし、愛せてしまうこと。それはあまりに残酷でそれゆえに優しい。優しくって涙が出るね。
    空がことばを持たないのは人間が自由にことばを描くためですか。この世界の半分が空なのだとしたら、この世界の半分は空白であって、何だって自由に描けるということなのではないですか。
    さようならなんて言わないでほしいよ。
    また会えるよ。わたしは何度でも「hello」を描きたいよ。
 さようならに代わることばはこの町で探しましょう。
 
どんなに
いろんなことを
忘れてしまっても
 
いくら すべて
消えてしまっても
 
せつないと思う
気持ちだけは
 
忘れないのだと思うと
涙が出た
 
華倫変「忘れる」(『高速回線は光うさぎの夢を見るか?』太田出版 2002年10月20日)

 

 
 
 2017年2月8日
 
 
 

愛について

 どうか私の愛があなたをあたたかくやわらかく呪っていくことがありませんように。
 二階堂奥歯『八本脚の蝶』(ポプラ社 2006年1月23日 P-198)
 二〇〇二年九月三日(火)の日記

 愛してくれてありがとう、でもどうしてそれがこんなにもつらいのかわからない。愛されるというのはなぜかとても苦しいものであるし、愛されないことはおそらく、もっともっと苦しくてつらい。どうしたって苦しいのか。愛することだって苦しい。それなのに、それらから離れることはできない。
 わたしの2014年2月21日(金)の日記

 愛されているなあと思う。なんだか泣きたくなる。幸せだなあ。愛されることは責任を伴う。愛することが生きさせることであればいいなあ。愛したい、と思う。愛している。
 わたしの2014年3月3日(月)の日記

 


 愛が、ただ愛であるように。という祈りについて。

 承前:わたしが上記で述べた「愛されている」「愛している」のその「愛」とは、異性間のものも含んでよいが恋愛とはやや異なり、主に親類とのあいだで交わされるものを指す。以下もそれに倣う。

 前述の日記を書いたあたり1年くらいのわたしは、「わたしは愛されている、大事にされている、こんなに幸福である」ことが苦しくてたまらなかった。「わたしはこんなに幸福であるのに愛されているのに、なんにもできない、いつまでもくずのままだ、わたしがいなければみんなもっと幸せだったのに、」と毎日泣いていた。いま思えば、やや「愛」を誇張していたのかもしれないし、当然「愛」そのものがわたしを苦しめていたのではない。自分が必要以上に自分を許さなすぎたのである。つまり自分が自分を、苦しめていたのである(だから自分を苦しめてはいけないのだ、とまた考えてしまうけれど、この「~すべき」をゆるめられるようになるのが今年の目標です)。自己肯定感が低いというか、そもそも自分が存在していることを許せなかったのだ。
 ただ、「愛されることは責任を伴う」と書いているのはまさにその通りだと、いまでも思う。ひとに優しくしてもらうからには、愛してもらえるからには、きちんと生きなければならない。愛は無償ではないのだろう、とわたしは思っている。自分自身が誰かに優しくするようなときには見返りを求めているわけではないけれども、もちろんわたしに優しくしてくれているひとも見返りを求めているわけでもないだろうけれども、世の中とは「そういうふうに」できているのだろう。けれど、そういう義務感のようなものを意識しすぎていたから、苦しかったのかしら。愛に、自分に、わたしは苦しめられていた。

 わたしはずっと、「つらいと思っちゃいけないのだ」と思い込んできた。母が家を出たときも、「そうだあの子にもおとうさんがいない、だからこれはつらいことじゃない」と思い込んだ(のだと思う)。「だれもわるくないんだ。これはつらいことじゃないんだ」と、諦めることにした(のだと思う)。そのときのわたしは「わたしが存在したことは間違いだったのだ、わたしがいなければみんなもっと幸せだったのだ」と感じた(のだと思う。そのときのことはもう覚えていないけれど、振り返ればそうだったと思わされる)のに「わたしは愛されている、不自由なく生きている、だからきちんと生きなければならない、親は3人いるけど生きてるし、うちよりもっと大変な家もある、だからわたしは苦しんではならない」と思い込んだ。

 「ひとがなにかを誇張したり主張したりするときは、実はその反対のことを思っている」ということが、ひとの心理にはよくあるそうである。わたしが中学生のころから書いてきた日記やもう公開することのないウェブログにはたびたび、「私はずっと愛されてきた(のだからつらいと思っちゃいけない)」という文が登場する。これもきっと、「私が生まれたことは間違いで私なんていなければいいと思われている」と思っていたその裏返しだったのかもしれない。愛されてる大事にされてる、だから苦しんじゃいけない、と、自分を縛りすぎていたのか。
 親が離婚すると、「父と母の愛ゆえに生まれたはずなのだからそれがちがったならわたしが生まれたのは間違いだったのだ」と思うと思う。親が再婚すると、「前の奥さんとの子なんてじゃまに決まってる、疎まれているに違いない」と思うと思う。少なくともわたしはそうだったと思う(あまり覚えてないけどそう思っていた気がする)。7歳の子どものあたまで考えた論理、10歳の子どものあたまで考えた論理に、わたしはいつまでも縛られていたのだ。

 だいぶ大きくなったいま、そのように考え始めた。なので、「子どものころの自分はこう感じていたのかもしれない」がわかれば生きやすくなるのではないか、何かヒントになるのではないか、と思って、大学のカウンセリングに通い始めてみた。はじめて行った回の、カウンセリング終了時間2分前になって「そういえばおかあさんのこと聞いてないね」と言われたとき、魔法みたいにぼろぼろと、涙が出てきた(めいわくなやつだな)。反射で泣くなんて、これはやはりわたしの中にずっと残っている問題なのだろうな、と思った。カウンセラーさんは、「よく誰も責めず文句も言わずここまで来ましたね」と言ってくれた。ひとを責めてよかったのだ。わたしは悪くないと思ってよかったのだ。つらいと思ってよかったのだ。いま振り返れば当然だ。生まれたすぐからずっと近くでめんどうを見てくれていたばーちゃんにも、「おにいちゃんはよく泣いてたけどあんたは一度も泣かなかったね」と言われたことがある。カウンセラーさんはまた、「何も感じないようにする術を身に着けたんでしょうね」と言った。母方のおじにも、「お前は昔からどこか冷めてものをみている」と言われたことがある。たしかにわたしは「これは仕方のないことなのだ」と諦めていた(そんな記憶がある気がする)。いまも「みんないなくなるし、全て終わる」と思ってタイミングを掴めないことはよくある。それでも「わたしは愛されてる大事にされてる」と思うことで(父はずっといたから、それはもちろん真実でもあるのだけれど。母もわたしのことを愛してくれていたのだけれど)、傷つかないようにしたんでしょうかね。わかりません。7歳の女の子は何をみて何を感じていたのか。わたしにはもうわからない。わからないから、追いかけていかなければならない。わたしはあなたに「苦しんでいいよ」と伝えてあげたい。わたしはあなたを、愛してあげたい。

 「わたしはつらかった」。「わたしはくるしかった」。「あのときの自分を愛してあげたい」。「わたしは憎んでいることがある」。ここまで思えるようになるのに16年かかった。

 「愛することが生きさせることであればいいなあ」とは、わたしの願望である。ここまで書いてきたような理由でわたしは愛されることがつらかったし、「愛してくれるひとが増えるたび、優しくしてくれるひとが増えるたび、死ねなくなる」と思ってしまう。愛は呪いなのか。
 けれどわたしにも愛するひとがいる。愛してくれてありがとう。わたしもあなたを愛しています。わたしがあなたを愛することをゆるされたい。わたしがあなたを愛することがあなたを苦しめませんように。わたしがあなたを愛することがあなたを絶望させませんように。愛されてるから死ねないなんて思いませんように。希望でありますように。あなたを生きさせる力でありえますように。愛が呪いとなりませんように。愛があなたを生きさせますように。
 わたしを苦しめるのはわたしだった。ほかの何でもない。わたしを縛るのはわたしだった。その要因となる出来事はあったにしても。「わたしは愛されてる」「苦しんじゃいけないんだ」「つらいことじゃないんだ」「わたしが生まれたのは間違いだったのだ」と、自分に呪いをかけたのはわたしだった。

 ひとと一緒にいると、そのひとがわたしを非難する声が聞こえてきて、「きっと違うんだわたしの思い込みなんだ」と思おうとしてもたまらなくなって、人間関係を壊してしまう(これは大学に入ってから)。わたしのことを邪魔だと思っているに違いない、わたしがいなければいいと思っているに違いない、と思い込みすぎてしまう。それもおそらく前述したような所以なのかなあ(じゃあ高校まではふつうにやってこられたのはなぜか)。このせいで最近もまた引きこもっていたけれど、地上に出てきたら、光は優しかったのでした。光は目をくらませるものではなかった。美しいものを見させるものであった。みんなわたしが生きているように願ってくれる。愛は呪いではない。愛がどうか光でありますように。あなたの行く先を照らしますように。涙の出そうなくらいに、そう思うのです。

 あなたとは、あなたのことでありわたしのことでもある。みんな本当はひとりの人間なんじゃないか、みたいなことをよく考える。このことはまたいつか。
 わたしは自分にかけた呪いを解かなければならない。今年一年の目標はそのことです。
 要素が多すぎて自分でもよくわからないけれど愛したいし生きたいので、よろしくお願いします。
 わたしは攻撃性が100%自分に向かう・内にこもるタイプだから、自分だけ破滅するからいいけど(そうなると休学したりして結局迷惑かけるけど)、ひとに向けてしまうタイプのひとは大変だろうなあ、と思う。本当にそうしたいわけじゃなくてその原因となるものがあるはずなのにね、そこまでは目を向けてもらえないのだろうなあ。世の中にはいろいろなひとがいる。

 あなたは世界に愛されている。
 わたしはそう思うよ。

 

 

 2018年7月17日 追記

 2015,6年ころに書いていたものの、タイミングがなくて掲載していなかったので、今。これをさらりと公表できるということは、いろいろ乗り越えつつあるということでしょうか。どうか全ての「わたし」が「わたし」を愛することができますように。

 

 

 

真夏の果実

 

 特筆すべきような一日を過ごしたわけではないけれど今日のことは書き残したいから書くだけの私のためだけの日記。

 

 2018年7月11日(水)の日記(1)

 私が生まれ育った札幌には、かえるがいなかった。

 正確にいえば、札幌の中の私が生まれ育った町のあたり(そこは地下鉄沿線だったのでかなり都会であるといえる)には、かえるがいなかった。だからこちらに引っ越してきて、ドラッグストアで買い物をして店の外に出た夜、「かえるの合唱」が聞こえてきたときは、とてもおどろいた。「これ、かえる?」と、配偶者に確認したものだった。

 私にとって、かえるの合唱は、キャンプ場に行かないと聞けないものだった。車に乗ったり電車に乗ったり、キャンプ場使用料を払ったりと、おかねを払わなければかえるには会えなかった。

 また、蝉も札幌にはいなかった。とはいっても、木の多い公園や山に行けば蝉の鳴き声は聞こえないことはなかったと思うけれど、本州のような「家の中でも外でも蝉しぐれ」という状況はなかった。

 民家の前や田んぼの横を流れる、夏には涼しげなあの用水路もなかった。どうでもいいけれど、あれがもし私の人生にこれまで存在していたのならそこに落っこちた回数は一度や二度では済まないんだろうな、なんて思う。

 そのような、「よくある夏の日常・夏の風景」は私にとっては全く日常ではなく、むしろ非日常だった。

 本州の夏の楽しいところは、そのような典型的な・テレビや漫画でよく見る日本の夏を体験することができるところだ。こちらに来るまでは気が付かなかったけれど、北海道で巡る四季というものはやはりこちらにおけるそれとは大いに異なる。「北海道に夏はなかった」とまで言ってしまいたい。

 蝉の声が聞こえる。用水路のすぐ脇を自転車で走る。猛暑日

 いまの県に引っ越してきて5か月が経ってもまだ行ったことのない近所のスーパーまで。帰り道は、通ったことのない道を通る。あ、行き当たり。曲がってまっすぐ行ってみると、新興住宅地。新しい家が立ち並び、家の前の道路では子どもたちが遊び、ぎゃんぎゃんした子どもの声が聞こえてくるなとそちらへ向かってみても姿はない。どうやら彼らは家の中にいるらしい。それなのにこの声の大きさ。夏休みが恋しくなる。

 線路を渡るための地下歩道を通る。すこし涼しい。道路も人生も、暗いところはひんやりとする。

 トンネルを抜けるとそこは古い住宅地。数十年分の雨風や人の生を吸収しきったような木造の家々。「おばあちゃんちを思い出すな」なんて言ってみたかったけれど、私のおばあちゃんちはみんな新しい家だから、そして札幌にはこういう趣の古い家も瓦屋根もめったにないから、ざんねんながら先ほど通った新興住宅地の方が、なつかしかった。

 てきとうに右へ左へ曲がったら、見慣れた交差点に出たので、帰宅。

 家の鍵を開けてリビングに着いて即エアコンをつける。北海道にはエアコンのある家なんてそうそうないなとまた、思う。リモコンひとつで瞬く間に家が涼しくなる、これも本州の夏。

 

 2018年7月11日(水)の日記(2)

 昔の自分はよくがんばっていたみたいだ。

 彼女のイメージで私を記憶してくれている人がいる。彼女の書いた日記は私の心を動かす。彼女のおかげで私は生きているようなところがある。

  「もういいです、今がいちばんだから、もうこれ以上の幸せは望まないから、私はいますぐ、死んでもいいです」と、以前はよく思っていた。でも、「今がいちばんだ」と今もそう思うのだから、やはり生きていてよかったのでしょう。そう思わせてくれる人に出会うためにはやはり、生きることだ。それと、「自分」を「よく」生きることだ。

 私はいま、生きたくてたまらないです。

 

 2018年7月11日(水)の日記(3)

めまいがしそうな真夏の果実

今でも心に咲いている

サザンオールスターズ真夏の果実

 

  2018年7月11日(水)の日記(4)

 時は2018年、今年で平成が終わるそうですが、私は現在HTMLでホームページを作る作業中です。いつか移行しようかなと思っています。いつかね、いつか。

 

 

「私」は「私」を生きていること

 

 泣きながら書いています。

 感情で書いています。

 考えないことには価値がないとは思っています。

 

 ここのところずっとしんどい。

 近い状態にあったとしても「しんどい」ということばを使うことはあまりなかったのだけれど、このことばがとてもしっくりくる。しんどい。しんどい。

 ここのところ、「セクハラ」にかかわる事件や議論を多く目にする(ずっと昔からある事件や議論だけれど)。あまりに見過ぎて、自分にもあったことを思いだしました。しんどい。

 

 6年前、すれ違いざまに知らない人から卑猥な言葉を浴びせられ、その後自転車で追いかけられました。すっごく怖かった。怖かった。私はあれから、その「知らない人」と同じ性別の知らない人とすれ違うことが、今でも、昼間でも、人通りのあるところでも、怖いです。目が合うのも怖いです。目が合えばすぐに逸らします、逸らしてすこししてもまだ私を見ているとき、ほんとうに怖くてたまらないです。

 あれは私が、人の歩いていない夜の0時半に足や腕を出した夏ワンピ姿で一人で歩いていたのが悪いんでしょうか?

 その後も別件で2回ほど、人通りのある日中にすれ違いざまに突然叫ばれたり私の容姿に関するコメントを吐き捨てられたことがありました。

 あれは私が、外を歩いていたのが悪いんでしょうか?

 それから昨年、駅のホームで立っていたらお尻を触られたことがありました。2回。

 1回めのときは偶然かな、ただ当たっただけかな、と思ったけれど、2回めのときはさすがに確信しました。混雑しているわけでもないのに手のひら全体がお尻に触るはずがない、偶然のはずがない。でも私は、どうすることもできませんでした。それをした人の後ろ姿を振りむいただけで凄まじい屈辱感に満ちて、もうどうすることもできませんでした。たとえば訴えようにも捕まえようにも、たぶん立証することはできないんだろうと思いました。そして今の私にはそれをするだけの気力がないと思いました。

 あれは私が、平日18時半の池袋駅湘南新宿ラインのホームに、紺色の長ずぼんを履いて紺色のコートを着て紺色のかばんを持って立っていたのが悪いんでしょうか?

 そのほかにも、友人と2人で歩いていたら窓からこちらをじっと見ている人の運転する乗用車が私たちの横を徐行し、その後もう一度私たちの横を通りすぎたこと(怖くなった友人と私はコンビニに駆け込み、友人の車で帰宅しました)や、乗用車が自転車を漕いでいる私の横を並走し、一時停車したあと再び追いかけてきた(私は自転車を全力で漕いで細い道に入り逃げました)ことなどがありました。

 あれは私が、友人と2人で笑いながら歩いていたのが悪いんでしょうか?

 あれは私が、自転車を漕いでいたのが悪いんでしょうか?

 

 あなたは、あなたたちは、その対象が「女」であればよくて、誰でもよくて、「私に」したということはもう覚えていないのでしょうけれど、私は、「私」という「個」で「私が」受けるしかないんだよ、忘れても、忘れないんだよ。

 

 私はセクハラという言葉が嫌いだ。

 「私」がされたのは、されているのは、されるのは、「セクハラ」ではなくて、「私」がこれまで生きてきたこと、大事にしてきたこと、大事にしている人、大事にしてくれた人、楽しかったこと、がんばったこと、好きなおやつ、楽しみに思っていること、そういうものを、「無」にすること、「私」から「私」を引きはがすこと、「私」を踏み躙ることだ。

 

 途中までどうにか性別にはふれずに書いてきたけれど、結局3段落上で性別にふれてしまった。

    ここでは、私が、「異性」から「性」を対象とした言葉を発せられ、行為をされたから性別にふれて書いたが、「性別」はあまり重要なことではないと考えている。その理由は既述した。

 

 セクハラなどいう言葉(しかも略語)でまとめたり性別による対立の構図で安易にくくったりしてこぼされる「私」という個。逃してはいけないのはそれだと思う。

 

 「セクハラくらいでおおげさな」「痴漢されたとか言って、可愛いアピール」「ていうかわかるでしょされる方が悪いでしょ」「若い女の子はおじさんの話し相手になってあげてよ」「何もできない世の中になっていくね」「容疑者にも人生が未来がある」「誰にも相手にされない奴の身にもなれよ」

 

 うるさい、「私」がそれらに泣かされていいはずがない

 

 

 でもみんな幸せに生きたいだけなんだよね、そうだよね

 私はそうだからじゃましないで

 お願いだから加害せずに幸せになってよ

 

    「私」は「私」を生きていて「あなた」は「あなた」の「私」を生きている、みんな「私」だということが大体のことを解決してくれるのだと思いたい。

 

 

 書きっぱなしで勝手かもしれないがここに書いた内容にかんしてどんな意見も感想も聞きたくはない

 

 

 

 

 25歳になって、「これから」を考え始めている。

 

 できるかぎり遠くまで、できるかぎり深くまで行きたいなあ。

 

 書くこと、読むことで私は私をすくいたかった。

 

 私がずっとわからないこととは?

 それを私がわからなければならない理由とは?

 

 

 

三月

 

    ショートヘアーになりたかった

    どっちが好き?なんて聞けなかったから

    安全策で髪を伸ばした

 

    君をタロット占いしてみたら

    わたしのことが好きだったって

    好きだったって

    過ぎた季節は線香花火で弔いましょう

 

    並行世界は占わなくても

    ここはいつでもしあわせだって

    しあわせだって

    あっちの世界のわたしが手を振る

    

    かけちゃいけない電話番号が増えていく

    失くしたイヤリングが誰かの耳を輝かせている

    それが生きるということ

 

    恋をするたび自分が嫌いになって

    センチメント主食に生きてきた

    愛するとは自分を好きになることだと

    教えてくれたひとがいた

 

    並行世界は占わなくても

    ここはいつでもしあわせだって

    しあわせだって

    こっちの世界のわたしは笑う

    

    ゆる巻き毛束は季節が絡まるから

    めんどくさいね ショートにしちゃおう

 

    二度と伸ばすことのない髪

    二度と行くことのない町

    二度と見ることのない夢

 

    君に憧れてた

 

 

 

 

     2017年6月

 

 

 

雪の話

 
    今朝はよく晴れていて、それなのに雪がちらついていた。雪はずいぶん水分を含んでいるようで、陽にあたるとダイヤモンドダストのように見えた。
 なんて、流暢なことをきのう書いて保存してねむって、目が覚めて、そしたら今朝は、大雪だった。積雪していた。警報まで発令している。
    古都に降る雪はよい。趣がある。なんてまた流暢なことを。
 
 
      過ぎた事、選ばんかった道、どれも覚めた夢と変わりやせんな。すずさん、あんたを選んだんは、わしにとって多分最良の現実じゃ。
こうの文代『この世界の片隅に 中』双葉社 2017年1月25日 P-34
 
 
    私にとってあなたは「過ぎた事」で、私にとってあなたは「選ばんかった道」だった。
    あなたにとって私は「過ぎた事」で、あなたにとって私は「選ばんかった道」だった。
    そしてわたしは、「いま」を「あなた」と生きている。
    
    こんなにもたくさんの、たくさんの雪が降るのに、わたしのこのまつげの上に乗るのは数えるほどしかない。わたしはそれを選べない。それでも、そのひとつたちにまばたきをさせられて、目をつむる。そうして目を開けたら、また、無数の雪が見える。わたしを選ばなかった雪は路面に積もって、街を白くする。きれい。きれいだね。
 
    この世界の無数のわたしとあなたがそれぞれ、ただ一つだけ実現したこの現実の中で最良でありますように。
 
 
 2017年1月